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両端に獅子紋・中央に虎紋を置く3間の羽目板部(その11)
前回では2獅子1虎紋Bタイプを少し検討したが、さらに考察を加えてみたい。
これまでに、2獅子1虎紋Bタイプの羽目板部を持つ3間巾の石造連子窓型蕃塀は、1930年から1938年までという短い間に角田六三郎と荒木弥助によって製作されたものであることが明らかになった。では、角田六三郎と荒木弥助と相違はどこかにないだろうか。 そこで思い出されるのは、2獅子1虎紋Aタイプ1類の羽目板部である。以前に検討した結果、虎紋の背後に伸びる竹が右側に描かれるのは1926年から1941年の間に角田六三郎と角田乙吉によって製作され、虎紋の背後に伸びる竹が左側に描かれるのは1940年から1964年の間に岡崎市と津島市の石工によって製作されたものであったことが明らかとなっていた。 では、具体的に2獅子1虎紋Bタイプでも虎紋の背後に伸びる竹に注目してみよう。まず、角田六三郎によって製作された名古屋市守山区大森八劔神社例は虎紋の背後全面に竹が表現され、同じく角田六三郎によって製作された稲沢市日下部3丁目神明社例・稲沢市法花寺日吉社例はいずれも虎紋の背後に竹紋が描かれていなかった。一方、荒木弥助によって製作された清須市朝日愛宕社例・甚目寺町方領八幡社例は、いずれも虎紋の背後に伸びる竹が右側に描かれていた。つまり、2獅子1虎紋Bタイプでは、竹が右側に描かれているものが荒木弥助の作品で、そうでないのが角田六三郎の作品であることになる。 この結果、角田六三郎の作品は、竹紋のあり方が2獅子1虎紋のAタイプとBタイプで異なっていることが判明した。ただ、こうした相違がどうして発生するのかはよくわらないままである。
by banbeimania
| 2010-10-04 21:21
| 蕃塀を深める
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