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犬山市虫鹿神社の蕃塀
犬山市大字前原字向屋敷に所在する虫鹿神社(むしかじんじゃ)は、延喜式に丹羽郡虫鹿神社として名の載る古い社で、元々は入鹿村に存在した。楽田原・青山原・小牧台地などの高台に新田開発をしようと、寛永9年(1632)に本格的に始まった入鹿池造成により、入鹿村の村民は移転を余儀なくされた。移転先として前原新田・奥入鹿村・菊川新田・神尾入鹿新田・北外山入鹿出新田があり、この土地が与えられた。このうち、前原新田が一番移住した数の多かった所である。虫鹿神社は、寛永12年(1635)に前原新田へ移築され、国常立神、国狭槌命、豊斟淳命、天照大神、菊理媛命を祭神とする。
虫鹿神社の蕃塀は1間巾のコンクリート(モルタル)造で、大きさは概略で本体長約3.2m、全高約1.8m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.5mを測るが、本来は両側に控え柱を持つ部分が塀状となっており、この部分で測ると巾は約0.9mとなる。 詳細の構造は次の通り。コンクリートによる基壇上に、下半は整層切り石積み状に、上半は土壁状にコンクリート(あるいはモルタル)造りされている。下半は灰色に上半は薄い肌色に彩色され、上半の土壁状部分には透かし文様が施されていた。屋根部も切妻屋根状にコンクリート造りされるが、形状はシンプルである。これまで紹介した蕃塀と大きく異なる点は、控え柱に相当する塀の両端部が、板(塀)状に造られていることである。本体部と同様に、下半は灰色に上半は薄い肌色に彩色され、上端部に屋根が設けられている。 虫鹿神社は、正面から灯籠、一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、百度石、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬があり、基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。 土壁による塀を模した蕃塀の事例は、これまでのところこの虫鹿神社の事例のみである。大きくみれば、衝立状の蕃塀の一群に加えてもよいかもしれない。しかし、衝立状の蕃塀は上から下まで同様な構造を持っているのが通例であり、虫鹿神社の事例とは、似せようとしたモチーフが異なるような気がする。具体的な評価は類例の存否を確認してから考えていきたいものである。
by banbeimania
| 2007-03-20 01:03
| 蕃塀の事例
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