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北名古屋市九ノ坪十所社の蕃塀
北名古屋市九ノ坪字市場に所在する十所社は、棟札によれば永禄2年(1559)に梁田出羽守(梁田政綱と考えられる)によって造営されたと伝わる。簗田政綱は織田信長の家臣で、桶狭間の戦いで今川軍の行軍路周辺の情報収集を行うなどして戦功を上げた。近在する九ノ坪城はその居城と考えられる。日本武尊・神功皇后・応神天皇他10柱の神々が祀られている。
九ノ坪十所社の蕃塀は3間巾の石造で、大きさは概略で本体長約3.5m、全高約2.9m、屋根長約4.2m、屋根巾約0.8mを測り、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。玉石で飾られた基壇上に切り石による礎石を配置し、その上に石造の円柱を2本立てさらに屋根を載せている。円柱の内側には、下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部と透かし部には2本の円柱を立て区画を造り3つの区画に分け、簡易で幾何学的な装飾が施されている。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが付属している。連子窓部は角柱を12本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され鬼板は持たない。大棟の中央には桐紋があしらわれている。 九ノ坪十所社は、正面から鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬、灯籠、移殿、基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。現在は建物などの配置は南向きとなっているが、東に延びる参道にも多数の灯籠が並んでいる。元々は東向きに建てられていたが、昭和5年(1930)に本殿改築に際して現在の南向きに改められたという。 九ノ坪十所社の蕃塀は石造のものとしては規模が大きく、特に高さが高いのが特徴である。3m近くの高さは一種の威圧感を醸し出しているようである。正面からみて左下の羽目板裏面に「昭和六年五月」、中央の羽目板裏面に「献主 當村(人名) 名古屋市(人名)」、右下の羽目板裏面に「東ビワジマ 石工荒木弥助」と記されている。この記述からみて、本殿改築に合わせて製作されたものと推測できる。
by banbeimania
| 2007-04-20 00:31
| 蕃塀の事例
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