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名古屋市熱田神宮の蕃塀(2)
前々回に熱田神宮に所在する木造衝立型蕃塀を紹介した。そこでは「明治26年(1893)に伊勢神宮と同じ神明造に作り替えられていることから、蕃塀も同じ頃に建造されたのかも知れない」と記述した。このことに関連して『張州府志』を見ていたら、興味深い図が発見されたので、これを紹介したい。
『張州府志』は、宝暦2年(1752)に儒学者の松平君山等によって尾張藩で初めて編纂された官撰の地誌であり、全部で30巻を数える。この中には「熱田宮境内図」があり、熱田神宮内の建物配置等が描かれている。これによれば、正面から「下馬橋」、「下馬橋鳥居」、「沓石」、「海蔵門」、「透垣」、「勅使殿」、「拝殿」、「白洲(立明)」、「祭文殿」、「白洲釣殿」、「渡殿」を経て「正殿」と「土用殿」に至る構成が示されている。「海蔵門ヨリ鳥居迄六十七間」と注記され、海蔵門の両脇に連なる塀は現存する「信長塀」と思われる。 現在の熱田神宮の蕃塀は、信長塀と本宮の拝所の間に位置しており、絵画の雰囲気からみてもおそらく「熱田宮境内図」に示された「透垣(すかしがき)」に対応すると考えられる。これを言い換えれば、透垣を蕃塀と同じものと仮定すると、現在の熱田神宮の蕃塀の位置は江戸時代中期以降において概ねそのままの状態を保っていたと思われる、となる。 さて、そこで問題となるのは「透垣」という表現である。一般に透垣は板などの間を広く開けて隙間を造る垣を意味しており、先の蕃塀の分類を当てはめると、連子窓型蕃塀は透垣に該当するが、衝立型蕃塀は透垣と呼ぶことはできないだろう。したがって『張州府志』所収「熱田宮境内図」によれば、宝暦2年(1752)頃は「透垣」と呼ばれる連子窓型蕃塀があったと推定されよう。この推定が正しいとすれば、熱田神宮の蕃塀の存在は江戸時代中期まで遡るが、現在ある蕃塀の形状はそれよりも新しい別のものといえる。やはり、明治26年(1893)に蕃塀は衝立型蕃塀に造り直されたのかも知れない(このあたりのこともきちんと調べればわかるのかな?)。
by banbeimania
| 2007-06-06 22:32
| 蕃塀を深める
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