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稲沢市稲島町八龍社の蕃塀
稲沢市稲島町6丁目に所在する八龍社については、創建年代など詳細は不明である。寛文13年(1673)に記された『寛文村々覚書』には稲島村に八龍・八幡・神明二社の4社があるといい、八龍社は「前々除」と記されている。慶長年間以前から八龍社は存在したものと推測される。祭神は社名からみて龍神と推察されるが、詳細は不明である。
稲島八龍社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.6m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。コンクリート製の参道が幅広くなった部分に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。右側の羽目板部裏面には「昭和四十年十月建之」、右側の円柱裏面には「岡崎市 石匠新美栄太郎」と刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部をやや中央に寄せて配置するDタイプで、中央に「八龍社」と記された扁額を持っている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根で、大棟は外側にほとんど突き出ていないものである。 稲島八龍社は正面か鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。 稲島八龍社の蕃塀は、昭和40年(1965)に岡崎市の石匠新美栄太郎によって製作されたものである。新美栄太郎作の蕃塀には、昭和39年(1964)製作の愛西市千引奥津社の蕃塀がある。稲島八龍社の蕃塀と千引奥津社の蕃塀は、透かし部の双龍紋のタイプは異なるが、正しく透かし状にならない点は共通している。円柱の裏面に銘を入れる点も共通しており、新美栄太郎作の蕃塀には一定の特徴が存在するかもしれない。
by banbeimania
| 2007-09-21 23:25
| 蕃塀の事例
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