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稲沢市目比町裳咋神社の蕃塀
稲沢市目比町天神東に所在する裳咋神社は、『延喜式神名帳』に「中島郡裳咋神社」、『本国帳』に「従三位裳咋天神」と記載された式内社である。裳咋臣得麿が祖神を祭ったと伝えられ、『続日本紀』の天応元年五月丁亥の条に尾張国中島郡人外正八位上裳咋臣などの記載がある。江戸時代には安養寺境内にあり、八龍権現と称されていた。
裳咋神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。自然石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を設け、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は円柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は右側の区画に兎と波涛紋、中央の区画に五三桐紋、左側の区画に鳥と波涛紋が施されている。一方、裏面は中央の区画に「昭和三年建之 寄附者 上之切第二組」、右側の区画に「ナゴヤ市西区キクヰ町二 石工角田乙吉」の文字が刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を透かし部の両端に配置して2匹の龍が向かい合い中央に扁額を持たないAタイプである。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。連子窓上位の貫に「御大典記念」と記されている。屋根は寄せ棟状に切り出された反り屋根で、大棟の両端は突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠形に作られている。 裳咋神社は正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。 裳咋神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に名古屋市西区菊井町の石工角田乙吉によって製作されたものである。これまで確認された角田乙吉の手による石造蕃塀には、津島市宇治手力雄命社と海部郡大治町西条八劔社と稲沢市中之庄天神社と稲沢市塩江神社と稲沢市込野富士社の事例がある。本例は羽目板部に獅子紋が全く存在せず、波涛紋など別の紋様が施されている点が特徴的である。
by banbeimania
| 2007-11-20 00:34
| 蕃塀の事例
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