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蕃塀の概要(1)蕃塀とは何か(その歴史)
蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である。辞書などでは「蕃塀」は伊勢神宮のものを指すことが多い。
『神道大辭典第三巻』(昭和12年臨川書店発行)によれば、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。」という。これは伊勢神宮の蕃塀のことを説明している。これとは別に、尾張地域に主に分布する蕃塀は「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれるもので、伊勢神宮の蕃塀とは異なるようである。それぞれの歴史的な経過を辿ってみよう。 まず、伊勢神宮の蕃塀の歴史をみてみる。延暦23年(804)の『皇大神宮儀式帳』と『止由氣宮儀式帳』の記述から、内宮・外宮共に「蕃垣」が存在し、蕃塀の起源は8世紀以前に遡ると思われる。その後の状況はよく分からない点が多いが、中世には明瞭な記録はなく、『神道大辭典』の記述を信用すれば、神道の国教化などの政策を進めるために明治2年(1869)の第55回式年遷宮の際に玉垣と共に蕃塀が再興されたという。 次に、尾張地域の蕃塀の歴史をみてみる。これまでのところ、記録上最古の尾張の蕃塀は承応2年(1653)に補修された「紙本著色真清田神社古絵図」に描かれた真清田神社の蕃塀である。絵図の表現などの分析からみて、この蕃塀は安土桃山時代にまで遡る可能性もある。そして江戸時代には、少なくとも尾張大国霊神社(1714年以前の建立)、熱田神宮(1752年以前の建立)、津島神社(1825年頃の建立)の3社にも蕃塀の存在が確認され、尾張にはある程度広がっていたものと考えられる。これらは「透垣」などと呼ばれ、「蕃塀」と記された事例を未だに見ていない。 この結果、尾張地域の蕃塀は、平安時代前後の段階に伊勢神宮の蕃垣の影響を受けて成立した可能性が残されるものの、江戸時代に尾張独自に「透垣」が造られるようになったと考える方が自然であろう。
by banbeimania
| 2008-03-17 23:14
| 蕃塀とは(はじめに)
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Comments(1)
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