カテゴリ
全体蕃塀とは(はじめに) 蕃塀30選 蕃塀の事例 蕃塀を深める 探索の記録 検索
以前の記事
2024年 03月2024年 02月 2024年 01月 2013年 01月 2012年 06月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
蕃塀(1391)
神明社(152) 式内社(99) 八幡社(88) 分布(87) 白山社(38) 八劔社(29) 天満宮(25) 津島神社(25) 日吉社(23) 堀池論文(19) 熊野神社(16) 分類(15) 伊勢神宮(12) 熱田神宮(9) 蕃塀類似施設(9) 春日社(8) 六所社(8) 須佐之男社(7) 愛宕社(5) その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
一宮市千秋町佐野八幡社の蕃塀
一宮市千秋町佐野字本郷に所在する八幡社は、創建年代などの由緒や祭神は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と推測される。
千秋佐野八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.5m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、全ての区画の表面に角を丸く変形した方形の枠が施されている。裏面は全ての区画と2本の束柱にわたって「(人名26名分) 昭和四十六年三月」の文字が刻まれていた。欄間部は、扁額などを持たず全面に双龍紋が彫刻されていた。双龍紋は頭部を透かし部の中央に寄せた状態で2匹の龍が向かい合うDタイプであった。右側円柱の裏面には「岡崎市 石匠新美栄太郎」と記されている。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ていない。 千秋佐野八幡社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、妻入拝殿、灯籠、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。 千秋佐野八幡社の蕃塀は、昭和46年(1971)に岡崎市の石工新美栄太郎によって製作されたものである。新美栄太郎作の蕃塀には、昭和39年(1964)製作の愛西市千引奥津社の蕃塀と昭和40年(1965)製作の稲沢市稲島八龍社の蕃塀がある。稲島八龍社と千引奥津社の事例は欄間部が全く透かしになっていない点が似ていたが、本蕃塀は裏面からみると円形の透かしが合計4個存在するものでタイプは異なっている。
by banbeimania
| 2008-04-27 22:23
| 蕃塀の事例
|
Comments(0)
|