蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
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堀池論文を読む(19)

 今回は堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第5章を読んでみる。

5)尾張型蕃塀の特長 — 以上の実地及び資料による調査結果から尾張の国の蕃塀は次のように特長づけられる。即ちその配置は「尾張造り」のそれであり、一及び二ノ鳥居又は楼門の次に建ち、更に奥の舞殿・拝殿とつづく配置である。次にその構造型式は、木造又は石造で、角、丸柱建て、桁受腕木により屋根を受け、壁面は竪連子、入れ腰羽目板張とし、塀両端の控柱によりその独立を支える。伊勢神宮蕃塀とは視線の遮断の程度によりその機能が大きく異なる。尾張型は一応、形の上での目隠し、又は視線の障壁と考えられる。その分布状態は、尾張国一円に限られて、他国にその所在を見ない点は、最も重要な特長の一つである。尾張型蕃塀は伊勢神宮蕃塀に起源を持つと推定されるが、古代、中世を経て尾張の国に独特の構造型式と配置を形成・確立した発展・変遷の歴史的過程は、今後更に追求される可きものとする。—以上—(完)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 上記の文章から、堀池はまず尾張の蕃塀を「尾張造り」の一構成部位と位置付けてその構造を概述している。「尾張造り」の定義の問題が残されるが、それを除くとこの部分は概ね問題は無いと思われる。次に、尾張の蕃塀は伊勢神宮蕃塀とは視線の遮断の程度によりその機能が大きく異なり、尾張国一円に限られていると指摘している。「伊勢神宮蕃塀」とか「内宮型蕃塀」とか用語がきちんとした定義もなく無造作に登場することにやや違和感を思えるが、この部分も十分に肯首できる。ただ、最後に尾張型蕃塀は伊勢神宮蕃塀に起源に持ち、長い年月を経て独特の構造型式と配置を形成・確立したと推測しているようであるが、これはどうであろうか。想像するのは自由と考えるが、約140年前(堀池論文は1983年作)の1841年に記された文献で蕃塀の存在が認められるから、蕃塀はそこから遥か先の中世や古代にまで遡ることができると考えるのは、あまりに都合が良すぎる論法と言えよう。

 そもそも、1841年に「透垣」が描かれた20社の神社について、2008年現在においても同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている神社は8社(力長若宮八幡社が未確認なので9社になる可能性がある)にしか過ぎない。つまり、残り半数以上は状況が変化しているのである。尾張の蕃塀と伊勢神宮蕃塀の関係はそう簡単にいえる問題ではなく、まさに「今後更に追求される可きもの」だろう。
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by banbeimania | 2008-11-10 21:45 | 蕃塀を深める | Comments(0)
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