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清須市上畠神明社の蕃塀
清須市清洲2丁目に所在する上畠神明社は、垂仁13年に鎮座と伝えられるが、伊勢神宮の御厨があった上畠(現清洲公園付近)に神明社が勧請されたものという。織田信雄の城域拡大を機に現在地に遷座したと考えられ、清洲三社の一つに数えられる。社名からみて、祭神は天照大神と推定される。
上畠神明社の蕃塀は、3間巾の木造桟瓦葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.7m、全高約2.9m、屋根長約5.0m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。円礫を周囲に巡らせたコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に雲形肘木と簡略化された雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、桟瓦葺きされていた。大棟には菊丸瓦などを嵌め込み装飾的に造られ、その両端には鬼瓦が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には縦羽目板が嵌め込まれ、下は白壁状に漆喰?が塗り込まれていた。控え柱コンクリートで造られ、控え貫は木製である。 上畠神明社は、南側の正面から蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。神社の北側に鳥居と参道があり、本来の参道はこの北側と思われる。 上畠神明社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。基礎構造と控え柱は構造などから見てそれほど古いものとは思われないが、古い建造物を修繕したものか新たに新築されたものかは現状では判断しがたい。清洲日吉神社と同様に、『尾張名所図会』の検討からその起源は1841年までは遡り得るといえる。
by banbeimania
| 2008-11-12 22:29
| 蕃塀の事例
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