蕃塀マニア
2024-03-19T21:26:26+09:00
banbeimania
蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
Excite Blog
刈谷市本刈谷神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30861114/
2024-03-19T21:26:00+09:00
2024-03-19T21:26:26+09:00
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蕃塀の事例
本刈谷神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.6m、屋根長約4.0m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。
詳細な構造は次の通り。切石を周囲に配したコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面はそれぞれ四隅を内側へ窪ませた方形枠が施され、中央の区画に左巻き三つ巴紋に「本」、右側には雲気上の蛇紋、左側に雲気上の馬紋が表現さている。裏面には中央と右側の区画には人名16名分、左側の区画には人名14名分の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「本刈谷神社」と記された扁額が配置され、頭部を両端に位置し向かい合わせに表現された双龍紋が施されている。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は断面五角形の角材が置かれ両端が少し突き出ている。控え柱と控え貫は石製で、控え柱上端は宝珠形に造られていた。左の裏側の控え柱には「昭和五十六年五月吉日」の文字が刻まれていた。蕃塀の右側には「神宮遥拝所」の案内石碑が立つ。
本刈谷神社は、正面から狛犬、一の鳥居、灯籠群、狛犬、灯籠、二の鳥居、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(拝殿、祝詞殿、本殿)に至る社殿構成を持つ。蕃塀は二の鳥居と本殿施設群の間の参道西側に遥拝所の一施設として存在する。蕃塀は伊勢神宮を望む方向に設置され、右側に神馬像、左側に筆塚があり、蕃塀の背後にある樹木2本の奥には方形の石敷きがあり「神宮遥拝所」の石碑が立っている。
本刈谷神社の蕃塀は、昭和56(1981)年に製作されたものだが、作者は不明である。その配置からみて本刈谷神社の本殿に対するものではなく、境内にある「神宮遥拝所」すなわち伊勢神宮に対する蕃塀として設置されたものと理解される。このような配置は異例であり、蕃塀と称して良いか迷うものであるが、戦後に築造された石造連子窓型蕃塀としてみた場合、全く違和感の無い構造を持っており、蕃塀としておく。三河地域では、豊橋市石巻神社の事例以来2例目であり、極めて珍しい存在といえる。]]>
各務原市の蕃塀(2)旧各務原市内
http://banbeimani.exblog.jp/30856756/
2024-03-16T18:48:00+09:00
2024-03-16T18:48:16+09:00
2024-03-16T18:48:16+09:00
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探索の記録
この他の那加桐野諏訪神社、那加北洞白山神社、蘇原宮代若宮八幡神社、那加金刀比羅神社、那加西市場神明神社、那加東亜八幡神社、那加御鍬神社、那加前野八幡神社、那加土山諏訪神社、那加山後八幡神社、那加手力雄神社、那加縣神社、那加村上神社、蘇原持田白山神社、蘇原飛鳥田神社、蘇原飛鳥津島神社、蘇原坂井八幡神社、蘇原興亜八幡神社、蘇原柿沢稲荷神社、蘇原旭神社、蘇原吉新稲荷神社、蘇原大島稲荷神社、蘇原伊吹八坂神社、蘇原古市場神明神社、蘇原加佐美神社、蘇原熊田日吉神社、蘇原野口神明神社、蘇原島崎神明神社、前渡西神明神社、前渡北北野神社、前渡東八幡神社、前渡東9神明神社、前渡市杵島神社、前渡熊野神社、前渡白鬚神社、前渡西神明神社、前渡祇園神社、前渡秋葉神社、下切津島神社、松本白鬚神社、下中屋春日神社、上中屋天神神社、上中屋秋葉神社、上戸春日神社、山脇秋葉神社、山脇若宮神社、大佐野神明神社、上中屋金刀比羅神社、神置熊野八幡神社、神置秋葉神社、大野白山神社、大野熊野神社、成清社宮神社、三井御井神社、小佐野神明神社、新加納日吉神社、各務東神明神社、苧ヶ瀬神社、各務おがせ3-46村国神社、各務おがせ3-85村国神社、各務おがせ3神明神社、各務おがせ6神明神社、各務山の前八幡神社、各務西町金山神社、各務西町1神明神社、各務西町2神明神社、各務西町3神明神社、須衛神明神社、須衛八幡神社、鵜沼北野神社、鵜沼村国真墨田神社、鵜沼赤坂神社、鵜沼白山神社、鵜沼二ノ宮神社、鵜沼八坂神社、鵜沼古市場神明神社、鵜沼羽場神明神社、松が丘愛宕神社、鵜沼熱田神社、鵜沼川崎神明神社の80柱には蕃塀は存在しないことが確認された。また、岐阜県神社庁の資料には存在しない鵜沼南本郷神社、下中屋西宮神社、各務おがせ金比羅神社、各務おがせ八大白龍大神、各務おがせ八大龍王、蘇原六軒不明神社の6社にも蕃塀は認められなかった。
岐阜県南部(旧美濃国)にある旧羽島郡川島町以外の旧各務原市では、岐阜県神社庁のリスト中の約8.0%の神社で蕃塀が存在することが判明した。各務原市は少ないながらも蕃塀が存在する地域といえるが、旧川島町では約29.4%の神社で蕃塀が存在しており、突出して割合が高いことは留意しておきたい。]]>
各務原市鵜沼三ツ池神明神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30852611/
2024-03-13T19:11:00+09:00
2024-03-13T19:11:06+09:00
2024-03-13T19:11:06+09:00
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蕃塀の事例
鵜沼三ツ池神明神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.2m、屋根長約3.32m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。
詳細な構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は隅丸角柱による束柱を2本立て3区画に分け、全区画の表面に四隅を内側へ窪ませ円紋を配置させた方形枠が施されている。中央の区画の裏面には「寄附人 三名」、左側円柱裏面のやや内側に「大正□(十ヵ)三□(年ヵ)三□(月ヵ)の文字が刻まれていた。欄間部は束柱を1本立て2区画に分けて、両区に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠の内部に左巻き三つ巴紋2個を配置させた板石材を嵌め込んでいる。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根が2段に重なり、棟木石は断面方形の角材が置かれている。
鵜沼三ツ池神明神社は、正面から一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る社殿構成を持つ。
鵜沼三ツ池神明神社の蕃塀は、大正13(1924)年に製作されたものだが、作者は不明である。この石造連子窓型蕃塀は、連子窓部の竪連子がやや太く作られており、このため竪連子との隙間が非常に狭いものとなっている。結果として向こう側がほぼ見えない蕃塀といえる。]]>
各務原市鵜沼津島神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30848559/
2024-03-10T18:51:00+09:00
2024-03-10T18:51:08+09:00
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蕃塀の事例
鵜沼津島神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約4.7m、全高約2.9m、屋根長約5.5m、屋根巾約2.3mで、両側に控え柱を持つ。
詳細の構造は次の通り。切石を周囲に配したコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に角柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に雲形肘木と簡略雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、桟瓦葺きされていた。大棟は熨斗瓦を積み重ねて造られ、その両端は鬼瓦が設置されていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には漆喰壁が施され、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は礎石上に高さ約1.9mの木製角柱を立てて造られ、石製布基礎と木製地貫が置かれ、控え貫2本も木製であった。表面は一部が剥げているものの、竪連子窓部を除く大部分が朱彩されていたとみられる。柱と長押が交差する部分には餝金具が設けられ、懸魚などに見られる彫刻は細工が細かい。
鵜沼津島神社は、正面から鳥居、蕃塀、市指定重要有形民俗文化財の皆楽座、灯籠、狛犬、基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。
鵜沼津島神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は農村舞台建築の典型例である「皆楽座」とともに平成18年5月に各務原市により重要有形民俗文化財に指定されたものであるが、その名称は「皆楽座 付津島神社藩塀」となっている。なお、「蕃塀」と「藩塀」は音が同じで字形も似ており、混用されることが多い。現在は蕃塀と本殿の間に巨大な皆楽座が存在してその配置は奇異であるが、各務原市歴史民俗資料館1995『各務原市の農村舞台』によれば、羽場区有文書「明治16年津島神社図」には今の皆楽座の位置に5間×3間の拝殿があったと記されており、本来は鳥居→蕃塀→拝殿→本殿の配置であったと推定される。明治24(1891)年の濃尾震災により拝殿が倒壊した後に色々と再建や修築がされたようであるが、皆楽座の移設などに伴い蕃塀の位置も移動しているのではないかと想像される。また、『各務原市の農村舞台』によれば、蕃塀は地元では「御切り(みきり)」と称すという。鵜沼津島神社の蕃塀そのものは、やや大型で彩色もあり優美なものである。控え柱が大きいことも特徴の一つといえる。]]>
各務原市鵜沼熊野神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30844475/
2024-03-07T19:39:00+09:00
2024-03-07T19:39:20+09:00
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蕃塀の事例
鵜沼熊野神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約2.3m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。
詳細な構造は次の通り。二重のコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。なお、コンクリート製基壇の上段は周囲に切石が配されている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は隅丸角柱による束柱を2本立て3区画に分け、全区画の表裏両面に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠が施されている。左側の区画の裏面には「昭和二年拾貮月建之 (人名6名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は束柱を1本立て2区画に分けて各区に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形透かしを施す。円柱の柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出されたほぼ直線屋根で、棟木石は断面方形の角材を2段積み、上位の両端は横に突き出る形状である。
鵜沼熊野神社は、正面から灯籠群、一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、灯籠群、蕃塀、1段上がり狛犬、木造平入拝殿、渡殿から本殿に至る社殿構成を持つ。
鵜沼熊野神社の蕃塀は、昭和2(1927)年に製作されたが、作者は不明である。前度東神明神社の蕃塀と同様に、欄間部に隅丸方形の透かしを持ち、かつ羽目板部が3間巾で全て方形枠タイプの組合せであり、本例で52例目を数える。この組合せの石造連子窓型蕃塀は各務原市にもそれなりに普及していたといえる。]]>
各務原市前度東神明神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30841274/
2024-03-05T18:27:00+09:00
2024-03-05T18:27:00+09:00
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蕃塀の事例
前度東神明神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.1m、屋根長約3.3m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。
詳細な構造は次の通り。切石を周囲に配した低いコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は隅丸角柱による束柱を2本立て3区画に分け、全区画の表裏両面に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠が施されている。左側の区画の裏面には「那加 石工山田 昭和四年拾貮月建之 (人名2名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は束柱を1本立て2区画に分けて各区に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形透かしを施す。円柱の柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、棟木石は断面方形の角材を2段積み、上位の両端は横に突き出る形状である。
前度東神明神社は、正面から鳥居、灯籠群、狛犬、蕃塀、灯明台、壁の無い木造平入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る社殿構成を持つ。
前度東神明神社の蕃塀は、昭和4(1929)年に那加の石工山田(現在の各務原市那加門前町所在山田石材店か)により製作されたものである。これまでの分析で、石造連子窓型蕃塀は、欄間部に隅丸方形の透かしを持ち、かつ羽目板部が3間巾で全て方形枠タイプの組合せの事例が50例あって最も多いことが判明している。この組合せの石造連子窓型蕃塀の製作者は、名古屋市、一宮市、江南市、小牧市、稲沢市、岩倉市、北名古屋市、岡崎市に所在する17者の石工が確認されており、特定の生産者に偏らない特徴がある。本例のように岐阜県所在の石工もこのタイプの石造連子窓型蕃塀の製作していたのであった。]]>
各務原市蘇原六軒神明神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30834980/
2024-03-01T18:37:00+09:00
2024-03-01T18:37:51+09:00
2024-03-01T18:37:51+09:00
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蕃塀の事例
蘇原六軒神明神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.8m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。
詳細な構造は次の通り。切石を周囲に配した低いコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部、天井貫の順に材を積み重ねている。羽目板部は束柱がなく1枚板で、表面には飛翔する鳥に波濤と日輪のレリーフが施され、裏面には中央部に「昭和十年十月 寄附人 (人名2名分)」が記されている。欄間部は束柱を2本立て3区画に分けて各区に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠を施し、両側の区画表面に「奉納」の文字を刻み中央に花菱紋を削り出している。四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠が施されており、裏面は無紋である。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石は断面五角形の棒材である。棟木石は両端が斜めに切断され、中央に角柱状の石材が差し込まれ上部に突出していた。控え柱と控え貫は石製で、控え柱上端は宝珠形に造られていた。
蘇原六軒神明神社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い木造平入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る社殿構成を持つ
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蘇原六軒神明神社の蕃塀は、昭和10(1935)年に製作されたが、作者は不明である。1間巾の石造連子窓型蕃塀の羽目板部は、これまでの分析では4類に区分できるが、その一つに1区画全面に波涛上を飛翔する鳥の紋様が彫り込まれた「全面彫刻タイプ」がある。このような事例は、本例の他に稲沢市船橋熊野神社例と丹羽郡大口町河北二ツ屋神明社例があるが、紋様の中に日輪が認められるのは本例のみである。
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各務原市蘇原寺島神明神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30830178/
2024-02-27T17:54:00+09:00
2024-02-27T17:54:47+09:00
2024-02-27T17:54:47+09:00
banbeimania
蕃塀の事例
蘇原寺島神明神社の蕃塀は、2間巾の木造銅板葺き衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約1.8m、全高約1.7m、屋根長約2.0m、屋根巾約0.2mで、両側に控え柱を持たない。
詳細な構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に切石製礎石を置き、その上に角柱を3本立てて頂部に屋根板を置く。幅が狭い板材を貫板に3段組み込まれ、各区画の外側に3枚と内側に2枚の板材を縦板にして交互に貫板へ釘止めされている。上部は屋根板との間に透かし(欄間部)が設けられ、2本の角材で横連子が施されている。屋根は切妻造りの直線屋根で、2枚の板材を山形に組み角柱に直接組み込む構造である。大棟は屋根板よりも短く、上部を山形に加工された角材で作られており、屋根と大棟は銅板が一文字葺きされていた。下部も透かしとなっている。表面は何も塗布されず、全て白木である。
蘇原寺島神明神社は、正面から鳥居、灯籠から直角に折れて、壁の無い木造平入拝殿から基壇上の本殿に至る構成を持つ。蕃塀は本殿と拝殿の延長線上の位置にあるものの、直角に折れる参道上にはない。
蘇原寺島神明神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は典型的な木造連子窓型蕃塀とは構造が異なり、かつ典型的な木造衝立型蕃塀でもない珍しい形状となっている。上下に隙間を持つ構造ではあるものの、表裏で交互に縦羽目板を設置して目隠し状にしているので、ここでは木造衝立型蕃塀の変形として理解しておく。現状で参道上に所在しない点をみると、本施設が本当に蕃塀なのかという疑問を抱かせるが、後で参道が切り替わった可能性や伊勢の皇大神宮の蕃塀の配置をそのまま模倣した可能性なども考えられ、ここでは蕃塀と評価しておきたい。]]>
各務原市蘇原東島津島神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30825066/
2024-02-24T18:32:00+09:00
2024-02-24T18:32:14+09:00
2024-02-24T18:32:14+09:00
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蕃塀の事例
蘇原東島津島神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.3m、屋根長約2.8m、屋根巾約0.4mを測り、両側に控え柱を持たない。
詳細な構造は次の通り。基壇を持たずに地面に直接礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分け、両側の区画表面に四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠が施されている。裏面は無紋で、中央の束柱には「平成九年十二月吉日 奉納氏子中」の文字が刻まれていた。欄間部は一枚板をはめ込み、四隅を扇形に内側へ膨らませた状態に変形させた方形枠が施されている。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を11本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は断面鏡餅型の棒材で両端は単純に切断されていた。
蘇原東島津島神社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、木造平入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る社殿構成を持つ。
蘇原東島津島神社の蕃塀は、平成9(1997)年に製作されたが、作者は不明である。平成6年から10年にかけては、それなりに石造連子窓型蕃塀の作例はあり、甚目寺町新屋神社例(1994年)、蟹江町蟹江新町日吉社例(1994年)、名古屋市港区上中神明社例(1994年)、津島市青塚白山社例(1994年)、一宮市浅野日吉社例(1995年)、稲沢市日下部沓石神社例(1996年)、北名古屋市能田津島社例(1998年)、北名古屋市二子神明社例(1998年)が確認されている。この中で本例と同じ欄間部と羽目板部に方形枠を置く事例は一宮市浅野日吉社例のみである。]]>
各務原市の蕃塀(1)旧川島町内
http://banbeimani.exblog.jp/30820160/
2024-02-21T20:00:00+09:00
2024-02-21T20:00:48+09:00
2024-02-21T20:00:48+09:00
banbeimania
探索の記録
この他の川島松倉大印前神明神社、川島松倉前河原神明神社、川島松倉伊勢山神明神社、川島松倉榎神社、川島河田八幡神社、川島松原299-1神明神社、川島松原299-4神明神社、川島松原301神明神社、川島松倉河原屋敷神明神社、川島松倉秋葉神社、川島北山神明神社、の11柱には蕃塀は存在しないことが確認された。また、川島松倉金刀比羅神社は本年(2024)2月の段階では社殿は存在せず跡地のみが残る状態であり、すでに廃社または合祀されたものと思われる。ただ、ネット上で記録される社殿の様子を撮影した画像では、蕃塀は存在しなかったことが推定できる。
岐阜県南部(旧美濃国)にある羽島郡に所在する川島町では、岐阜県神社庁のリスト中の約29.4%の神社で蕃塀が存在することが判明した。羽島郡では、笠松町では約7.4%の神社で蕃塀が存在し、一方岐南町では、蕃塀は存在しないことが確認されている。やはり、羽島郡は少ないながらも蕃塀が存在する地域といえる。]]>
各務原市川島笠田白鬚神社の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30814608/
2024-02-18T18:55:00+09:00
2024-02-18T18:55:05+09:00
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banbeimania
蕃塀の事例
川島笠田白鬚神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.7m、全高約3.2m、屋根長約5.6m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。
詳細の構造は次の通り。切り石で敷かれた低い石製基壇に2段の石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に方形肘木と簡略雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端は鬼板を置き最上部は外側に突き出ていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られていた。表面は何も塗布されず、全て白木である。
川島笠田白鬚神社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、基壇上の木造拝殿から渡殿状施設群を経て基壇上の本殿に至る構成を持つ。
川島笠田白鬚神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は規模がやや大きく、釘隠などの餝金具の造が細かい反面、肘木などの構造はシンプルな形状となっている。布基礎が2段になるなど基礎構造がやや複雑な点に特徴を見出すことができる。]]>
羽島郡岐南町の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30809071/
2024-02-15T19:20:00+09:00
2024-02-15T19:20:31+09:00
2024-02-15T19:20:31+09:00
banbeimania
探索の記録
具体的に参拝した神社のうち、上印食御鍬神社、上印食生嶋神社、三宅石作神社、三宅八幡神社、平島物見神社(熊野神社)、野中八幡神社、若宮地白山神社、伏屋白山神社、伏屋貴船神社、伏屋八幡神社、伏屋諏訪神社、伏屋秋葉神社、八剣諏訪神社、八剣大山神社、薬師寺鞍掛神社、徳田九所神社(者言知神社)、徳田神明神社、徳田北野神社、徳田津島神社、みやまち八剣神社、下印食津島神社、八剣北社宮地神社の22柱には蕃塀は認められなかった。また、残りの三宅北野神社はすでに廃社または合祀されたものと思われ、所在が確認できなかった。
岐阜県南部(旧美濃国)にある羽島郡に所在する岐南町では、蕃塀は存在しないことが確認されたが、隣の同郡笠松町では岐阜県神社庁のリスト中の約7.4%の神社で蕃塀が存在することが判明している。このことから、羽島郡は少ないながらも蕃塀が存在する地域と考えられる。]]>
知立市の蕃塀
http://banbeimani.exblog.jp/30803689/
2024-02-12T18:51:00+09:00
2024-02-12T18:51:38+09:00
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banbeimania
探索の記録
具体的に参拝した神社は、八橋日吉山王社、来迎寺御鍬神社、牛田八幡社、八ツ田神明社、谷田神明社、西中神明社、新林神明社、知立神社、上重原八劔社の9柱であり、いずれも蕃塀は存在しなかった。また、愛知県神社庁の資料には存在しない西丘秋葉神社にも蕃塀は認められなかった。
知立市では愛知県神社庁のリスト中の全ての神社で蕃塀が存在しないことが分かったが、これまでに判明した蕃塀が存在しない地域としては27市区町村目となる。知立市が所在する西三河地域に着目すると、既に碧南市(29社)、安城市(54社+1社)、高浜市(6社)、額田郡幸田町(30社)と幡豆郡吉良町(現西尾市:26社)では蕃塀が全く分布していない。西三河では蕃塀がほとんど存在しない地域であるといえる。]]>
尾張地域の蕃塀(その2)
http://banbeimani.exblog.jp/30798675/
2024-02-09T22:55:00+09:00
2024-02-09T22:55:45+09:00
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探索の記録
そこで、愛知県神社庁の資料に掲載された神社における蕃塀を持つ神社の割合で、市町村別に多い順に並べてみると、丹羽郡扶桑町約88.9%、岩倉市約87.0%、江南市約73.6%、丹羽郡大口町60.0%、西春日井郡豊山町約57.1%、小牧市約56.1%、一宮市約53.3%、あま市約52.9%、清須市約46.5%、北名古屋市約46.3%、春日井市約45.5%、稲沢市約44.7%、犬山市約44.4%、海部郡大治町約18.2%、愛西市約16.1%、名古屋市約15.6%、知多郡武豊町約15.4%、知多郡東浦町約14.3%、津島市約13.6%、海部郡蟹江町約5.3%、弥富市約2.2%となる。
この割合をピンク色の濃さで表現して分布図を作成すると、下図のようになる。丹羽郡扶桑町と江南市と岩倉市を中心に蕃塀を持つ神社の割合が高くなり、周辺に行くほどその割合が低下していることが読み取れる。
一方、愛知県神社庁の資料に掲載された神社について蕃塀を持つ神社のない市区町村は、39市町村中15市町村である。具体的には、知多郡南知多町34社、瀬戸市28社、常滑市27社、半田市23社、大府市21社、東海市21社、知多市20社、豊明市19社、知多郡阿久比町17社、知多郡美浜町17社、海部郡飛島村11社、日進市11社、尾張旭市9社、愛知郡東郷町6社、愛知郡長久手町6社であり、旧知多郡と愛知郡に属する自治体が多い。]]>
尾張地域の蕃塀(その1)
http://banbeimani.exblog.jp/30792114/
2024-02-06T19:36:00+09:00
2024-02-06T19:36:21+09:00
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banbeimania
探索の記録
この結果、愛知県尾張地域には蕃塀が全部で538基あることが判明した。その内訳を市町村別に蕃塀が多い順に並べてみると、一宮市118基、稲沢市83基、名古屋市63基、江南市39基、小牧市34基、春日井市25基、犬山市24基、北名古屋市20基、岩倉市20基、清須市18基、愛西市14基、海部郡美和町14基、丹羽郡大口町13基、海部郡甚目寺町11基、海部郡七宝町11基、丹羽郡扶桑町8基、津島市8基、西春日井郡豊山町4基、海部郡大治町4基、西春日井郡春日町2基、知多郡武豊町2基、海部郡蟹江町1基、弥富市1基、知多郡東浦町1基となる。
さらに、愛知県神社庁の資料に掲載された神社について蕃塀を持つか否かで色分けして分布図を作成すると、下図のようになる。この図から分かるとおり、尾張の北西域に蕃塀が多く分布していることが明らかとなった。]]>
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