蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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カテゴリ:蕃塀の事例( 574 )

名古屋市港区春田野神明社の蕃塀

 名古屋市港区春田野3丁目に所在する神明社は、寛永17年(1640)に鬼頭勘兵衞景義が伊勢神宮の御分霊を祀ったのが始まりである。昭和20年(1945)に空襲により焼失し、その後再建された社殿も伊勢湾台風などの影響を受け老朽化したため、平成元年に新築造営された。祭神は国常立命である。

 春田野神明社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約2.4m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。石敷の参道に基壇を持たないで礎石と布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広い角柱による束柱を1本立て2区画に分けられており、表面は両区画に獅子紋が彫刻されていたが、裏面には特に何も刻まれていなかった。欄間部は、中央に「神明社」と刻まれた扁額を持ち、頭部を中央部に寄せる双龍紋が表現されていた。欄間部には透かしが全く存在しない。円柱の柱頭に腕木板は前後と外側にあり、連子窓部は円柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石の両端は外側にわずかに突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠に造られていた。

 春田野神明社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠群、蕃塀、狛犬、コンクリート製平入拝殿、狛犬から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 春田野神明社の蕃塀は製作年代や製作者は不明であるが、平成元年に社殿改築に伴い諸施設の一つとして建造されたものと推測される。欄間部や羽目板部にある彫刻は、均整がとれている反面、躍動感に乏しい作風となっている。
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by banbeimania | 2011-06-08 22:30 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区藤前神明社の蕃塀

 名古屋市港区藤前2丁目に所在する神明社は、創建年代は不明であるが、明治5年には村社となっている。昭和34年(1959)に伊勢湾台風により被災した。現在の社殿は昭和51年(1976)に改造され、この時に手水鉢などの諸施設も整備された。祭神は天照大神である。

 藤前神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高約2.4m、屋根長約3.9m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。石敷の参道の途中に特別に基壇を持たず、アスファルト敷?の地面に礎石と布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は左右の区画に倒立する獅子紋が、中央の区画に牡丹紋が彫刻されていた。羽目板の裏面には、中央の区画に「建之藤前土地改良 昭和五十一年五月」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「神明社」と刻まれた扁額を持ち、頭部を両端に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石の両端は外側に突き出ていない。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠に造られていた。

 藤前神明社は、正面から狛犬、灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠群、狛犬、コンクリート製平入拝殿、狛犬から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 藤前神明社の蕃塀は、昭和51年(1976)に製作されたものであるが、作者は不明である。社殿改築に伴い諸施設の一つとして建造されたものであり、境内の石碑には蕃塀のことを「不浄除」と記されていた。羽目板部の両獅子紋と牡丹紋の組合せは戦後の事例が多いことが判明しているが、これもその傾向を示す事例ということができる。
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by banbeimania | 2011-06-05 23:35 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区小碓神明社の蕃塀

 誰も待っていなかったかもしれませんが、長らくお待たせしました。久々に蕃塀マニアを再開したいと思います。

 最近は蕃塀の詳細な部分を検討している本ブログであるが、もともとは蕃塀の事例収集が基本であった。今回からしばらくは、昨年中に名古屋市港区の神社を全て参拝し終え、その際にこれまで紹介していない蕃塀がまだあるので、ここで紹介しておきたい。

 名古屋市港区小碓1丁目に所在する小碓神明社は、境内にある由緒書きによれば、寛文9年(1669)8月16日に鬼頭十郎右門を施主として村の氏神として勧請されたという。また、寛文年間(1789-1800)に作られた神楽があり、現在は26番から28番割観音堂に保存されているという。祭神は天照大神である。

 小碓神明社の蕃塀は、2間巾の木造衝立型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高約2.1m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.3mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。低いコンクリート製の基壇に、円柱を3本立てて巾を2間とし、上部に屋根(笠木)を載せている。基壇と一体化した地貫を作り出しその上に腰板の貫を置き、下部は銅板で覆われている。笠木直下にも貫を渡しており、その間の塀本体は横羽目板が嵌め込まれている。羽目板は各間に節を多く持つ板目板材が9枚使用されていた。笠木(屋根)は断面がホームベース形の五角形となっていて、上面に銅板が葺かれている。

 小碓神明社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの木造妻入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 小碓神明社の蕃塀は、製作者や製作年代は不明である。これまでに木造衝立型蕃塀は12基の存在が確認されており、全て伊勢神宮と熱田神宮に伴うものであると考えてきた。したがって、この小碓神明社の蕃塀の事例は伊勢神宮と熱田神宮に直接関わらないものであり、木造衝立型蕃塀の存在そのものが特異であるという評価は言い過ぎなのかもしれない。ただ、伊勢神宮と熱田神宮の事例に比べ、規模が小さく使用された材も一級品とは言い難い点に、伊勢神宮と熱田神宮と同列に並べて論じることができない大きな相違があるといえよう。
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by banbeimania | 2011-05-31 23:06 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市熱田神宮の蕃塀(3)

 名古屋市熱田区神宮1丁目に所在する熱田神宮の蕃塀については、すでに事例紹介している。しかし、これは平成21年(2009)10月に建て替えられる前の蕃塀であり、現在は新しく蕃塀が新造されている。今回はこの新蕃塀を紹介する。

 熱田神宮は平成25年(2013)に創祀1900年の節目を迎えるに際して、平成19年(2007)から記念造営事業を行っている。このうち、蕃塀は本宮社殿などとともに改築され、平成21年(2009)10月に「本宮遷座祭」が行われた際に披露された。

 この熱田神宮の蕃塀(新)は3間巾の木造衝立型蕃塀で、大きさは概略で本体長約6.5m、全高約3.0m、屋根長約7.5m、屋根巾約0.4mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。自然石で周囲を巡らせた白色玉石敷きの基壇に礎石を一列に並べ、その上に円柱を4本立てて巾を3間とし上部に屋根(笠木)を載せている。腰板(礎石直上)の貫と笠木直下の貫を渡し、その間の塀本体は横羽目板が嵌め込まれている。羽目板は各間に節をほとんど持たない美しい板目板材が6枚使用されていた。笠木(屋根)は断面がホームベース形の五角形となっていて、上面に銅板が葺かれている。

 蕃塀の配置については、本宮の拝所である外玉垣御門の正面の位置にあり、現在の参道の縁に所在する。したがって、現状では参拝者に対して目隠しをするような配置とはなっていない。

 さて、この熱田神宮の蕃塀(新)と建て替えられる前の蕃塀(旧)を比較してみる。蕃塀が建てられた位置は不変で、かつ基壇は全く同一であり、旧来のものをそのまま活用されていたようである。規模や構造もほぼ同一であったが、唯一変化が見られたのは腰板の貫の構造である。蕃塀(旧)では白木のままであったのが、蕃塀(新)では笠木と同様に上面に銅板が葺かれていた。また、4本の円柱の最下部も蕃塀(新)では銅板が巻かれていた。これらの構造は風雨による腐食を防ぐための工夫と考えられ、前代の蕃塀を改良したものと理解される。こうした工夫は、伊勢神宮の蕃塀には認められないが、20年ごとに御遷宮を行わない熱田神宮の蕃塀には必要な処置であったと理解されよう。
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by banbeimania | 2010-05-05 21:55 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区茶屋後神明社の蕃塀

 蕃塀の規模を検討中の本ブログであるが、最近名古屋市港区の神社を参拝した際にこれまで紹介していない蕃塀を発見したので、ここで紹介しておきたい。

 名古屋市港区新茶屋5丁目に所在する茶屋後神明社は、境内にある由緒書きによれば、延宝5年(1677)に茶屋長以が築堤成功に際し三十番神社を創建したのを嚆矢とし、明治初年に伊勢皇大神宮を氏神として崇敬したという。昭和46年(1971)に本殿が修理され、祭文殿・拝殿・渡殿などが造営された。祭神は天照大神である。

 茶屋後神明社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.6m、全高約2.3m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接に切り石敷きの参道上に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、その両区画の表面には獅子紋が彫刻されていたが、裏面は全く無紋であった。欄間部は扁額などを持たず、石製一枚板がはめ込まれ、表面のみに単龍紋が表現されていた。透かしは全く認められない。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を8本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に全く突き出ていない。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。右側背面の控え柱表面に「昭和四十六年十一月建之 氏子中 施工 岡崎石工団地協組」の文字が刻まれた石盤が嵌め込まれていた。

 茶屋後神明社は、正面から鳥居、灯籠、狛犬、蕃塀、灯籠群、狛犬、コンクリート製平入拝殿から連続して本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 茶屋後神明社の蕃塀は、昭和46年(1971)に岡崎石工団地協同組合によって製作されたものである。岡崎石工団地協同組合は、伝統ある岡崎石工業の近代化と企業体質の改善を図るため昭和39年に「石工団地」の造成し、岡崎石製品工業団地を結成したのが始まりという。本蕃塀は、欄間部に単龍紋を大きく表現した一枚板が嵌め込まれている点が印象的なものである。
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by banbeimania | 2009-06-15 20:54 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区正徳5丁目神明社の蕃塀

 名古屋市港区正徳5丁目に所在する神明社は、創建年代などの由緒は不明である。社名からみて、祭神は天照大神と推測される。なお、この神社は愛知県神社庁のリストには存在しない神社である。

 正徳5丁目神明社の蕃塀は、1間巾の金属造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約1.8m、全高約1.9m、屋根長約2.1m、屋根巾約0.1mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接コンクリート敷き参道にコンクリート製基礎(礎石状)を据えて、木造衝立型蕃塀をモチーフとした金属製蕃塀が造られている。模倣されたモチーフで構造を説明すると、角柱を2本立てて上端に覆板(笠木)を載せて骨格が作られる。貫などを一切渡さない形に造り、壁面は一枚板を嵌め込まれているもので、上下に透かしを設けている。覆板(笠木)は断面形が長方形で直線的に伸び、両端は斜めに切断され逆台形状になっていた。金属の種類は特定できないが、銀色に発色し光沢を持っていて美しい。

 正徳5丁目神明社は、正面から蕃塀から本殿に至る単純な構成を持つ。

 正徳5丁目神明社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は全体が金属で製作されているものであり、こうした事例はこれが初めてである。蕃塀の規模は小規模であるものの、神社の規模が小さいために本殿などを完全に覆い隠すような状態となっている。
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by banbeimania | 2009-05-23 22:49 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区福屋西ノ割熱田社の蕃塀

 名古屋市港区福屋1丁目に所在する西ノ割熱田社は、境内にある由緒書きによれば、寛永20年(1643)に当地の干拓事業完成に伴い守護神社を奉るのが始まりという。明和7年(1770)に造営工事が行われ、昭和61年(1986)に福田川堤防拡幅工事により現在地に遷宮された。社名からみて、祭神は熱田大神であろう。

 西ノ割熱田社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.5m、全高約2.4m、屋根長約2.9m、屋根巾約0.5mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず、直接コンクリート敷の参道上に礎石を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、その表面には両区画で獅子紋が彫刻されていた。また、左側の羽目板裏面には、「平成五年十月吉日 氏子中 西福田土地改良区」の文字が刻まれていた。欄間部は「熱田社」と記された扁額を持ち、その両側には頭部を両端に配置される双龍紋が表現されていた。欄間部では透かしは全く認められない。円柱の柱頭には腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側にほとんど突き出ていない。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 西ノ割熱田社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、コンクリート製平入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 西ノ割熱田社の蕃塀は、平成5年(1993)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、上中神明社の蕃塀と同様に、主柱だけではなく束柱も立派な礎石を持つ構造となっていた。
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by banbeimania | 2009-05-22 22:54 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区南陽上中神明社の蕃塀

 名古屋市港区南陽町西福田5丁目に所在する上中神明社は、境内にある由緒書きによれば、享和2年(1802)に創建されたという。現在の本殿は昭和43年(1968)に造営された。祭神は天照大神である。

 上中神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.0m、全高約2.0m、屋根長約2.5m、屋根巾約0.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲を巡らせた石製基壇を持ち、その上に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、その表面には両側の区画で獅子紋、中央の区画で牡丹紋が彫刻されていた。裏面には、中央の羽目板で「奉納 (地名+人名1名分) 氏子中」、左側束柱で「平成六年十二月吉日」の文字が刻まれていた。欄間部は「神明社」と記された扁額を持ち、頭部を両端に配置される双龍紋が表現されていたが、透かしは全く認められない。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ていた。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 上中神明社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠2対、狛犬、コンクリート製妻入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 上中神明社の蕃塀は、平成6年(1994)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、主柱だけではなく束柱も立派な礎石を持つ構造となっており、こうした事例は新しい事例に多く認められるといえよう。
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by banbeimania | 2009-05-21 23:16 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市港区東茶屋神明社の蕃塀

 岐阜県各務原市川島の神社を未だ全踏破を達成していないので、今回からは名古屋市港区の事例を紹介する。

 名古屋市港区東茶屋1丁目に所在する神明社は、境内にある掲示によれば、寛文3年(1663)に茶屋新田が茶屋長意により干拓されて数年後に伊勢神宮より勧請して創建されたという。現在の本殿は昭和12年(1937)に造営された。祭神は天照大神である。

 東茶屋神明社の蕃塀は、3間巾のコンクリート造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.6m、全高約1.7m、屋根長約4.0m、屋根巾約0.3mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接参道に礎石とコンクリート製布基礎を据えて、木造衝立型蕃塀をモチーフとしたコンクリート製蕃塀が造られている。模倣されたモチーフで構造を説明すると、円柱を4本立てて上端に覆板(笠木)を載せて骨格が作られる。柱脚の盤(地貫)や柱頭の樋(頭貫)を渡さずに、柱間壁面は横羽目板を各間に4枚嵌め込まれているものである。左側区画の上から1枚目と2枚目の横羽目板裏面に、「奉納 當所 (人名3名分) 昭和三十八年三月」の文字が刻まれた灰色石板が貼付されている。覆板(笠木)は断面形がほとんど長方形に近い五角形の角材が用いられ、特に反ることもなく直線的に伸びていた。

 東茶屋神明社は、正面から一の鳥居(銅製)、灯籠2対、二の鳥居(石製)、灯籠、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 東茶屋神明社の蕃塀は、昭和38年(1963)に製作されたものだが、作者は不明である。衝立型蕃塀は、伊勢神宮と熱田神宮の木造の事例を除くと、これで14例目となり、コンクリート造衝立型蕃塀としては7事例目である。本蕃塀は表面が花崗岩のような雰囲気に造られていて、一見見分けが難しいが、一部で表面の材が剥がれ落ちた部分がありコンクリート製と判明する。
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by banbeimania | 2009-05-19 22:51 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

岐阜県各務原市川島渡町八幡神社の蕃塀

 岐阜県各務原市川島渡町字南渡に所在する八幡神社は、境内前にある掲示板に天明6年(1780)に創建されたという。祭神は応神天皇である。

 川島渡町八幡神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.4m、全高約2.4m、屋根長約4.2m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に巡らせたコンクリート製基壇に礎石を置き、その上に円柱を4本立てて屋根石を載せている。円柱の間には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部の表面には、右側の区画に波涛上を飛翔する鳥紋、中央の区画に龍紋、左側の区画に岩上の社紋?が彫刻されていた。羽目板部の裏面には、右側の区画に人名48名分、中央の区画に「寄附者 (人名1名分) (丸に吉)組 大正十三年一月建之」、左側の区画に人名46名分の文字が刻まれていた。左側の円柱裏面には「□□ 石匠 伊神□(仙カ)太郎」と記されていた。欄間部は、両側の区画に獅子像が、中央の区画に「八幡社」と「神明社」の扁額が置かれており、両外側の円柱の柱頭の前後には腕木板が、外側には梁石が存在する。連子窓部は各区画とも角柱を4本ずつ立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端がわずかに外側に突き出ていた。

 川島渡町八幡神社は、正面から灯籠群、一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 川島渡町八幡神社の蕃塀は、大正13年(1924)に江南市草井の石工伊神仙太郎によって製作されたものである。江南市草井の石工伊神仙太郎の手による蕃塀には、江南市東野神社の蕃塀(1920)と江南市宮田川島神社の蕃塀(1923)があり、江南市魚入神社の蕃塀(1911)と江南市草井天神社の蕃塀(1928)も石工伊神仙太郎本人かそれと関連が深い人物の作品と考えられたものである。このうち、宮田川島神社の蕃塀は、主柱が4本据えられ、しかも梁石を持つことが、他の蕃塀には見られない最大の特徴と評価されていた。本蕃塀も、主柱が4本据えられており、梁石は欄間部の内側には存在しないものの外側には認められることから、この宮田川島神社の蕃塀とは共通点が多いといえよう。
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by banbeimania | 2009-05-16 23:38 | 蕃塀の事例 | Comments(0)