蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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カテゴリ:蕃塀とは(はじめに)( 9 )

蕃塀の概要(1)蕃塀とは何か(その歴史)

 蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である。辞書などでは「蕃塀」は伊勢神宮のものを指すことが多い。
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           津島神社の蕃塀       (2009年6月14日加筆)

 『神道大辭典第三巻』(昭和12年臨川書店発行)によれば、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。」という。これは伊勢神宮の蕃塀のことを説明している。これとは別に、尾張地域に主に分布する蕃塀は「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれるもので、伊勢神宮の蕃塀とは異なるようである。それぞれの歴史的な経過を辿ってみよう。

 まず、伊勢神宮の蕃塀の歴史をみてみる。延暦23年(804)の『皇大神宮儀式帳』と『止由氣宮儀式帳』の記述から、内宮・外宮共に「蕃垣」が存在し、蕃塀の起源は8世紀以前に遡ると思われる。その後の状況はよく分からない点が多いが、中世には明瞭な記録はなく、『神道大辭典』の記述を信用すれば、神道の国教化などの政策を進めるために明治2年(1869)の第55回式年遷宮の際に玉垣と共に蕃塀が再興されたという。

 次に、尾張地域の蕃塀の歴史をみてみる。これまでのところ、記録上最古の尾張の蕃塀は承応2年(1653)に補修された「紙本著色真清田神社古絵図」に描かれた真清田神社の蕃塀である。絵図の表現などの分析からみて、この蕃塀は安土桃山時代にまで遡る可能性もある。そして江戸時代には、少なくとも尾張大国霊神社(1714年以前の建立)、熱田神宮(1752年以前の建立)、津島神社(1825年頃の建立)の3社にも蕃塀の存在が確認され、尾張にはある程度広がっていたものと考えられる。これらは「透垣」などと呼ばれ、「蕃塀」と記された事例を未だに見ていない。

 この結果、尾張地域の蕃塀は、平安時代前後の段階に伊勢神宮の蕃垣の影響を受けて成立した可能性が残されるものの、江戸時代に尾張独自に「透垣」が造られるようになったと考える方が自然であろう。
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by banbeimania | 2008-03-17 23:14 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(1)

蕃塀の概要(2)蕃塀の配置

 蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。堀池論文では「正殿、御門の中心線上に、その中心を置き、御門等の前方に位置し、御門の面に平行して建ち」と記述されている(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」より引用)。ここでは蕃塀の配置を、伊勢神宮の蕃塀と愛知県内の蕃塀とを別々に解説してみたい。

 伊勢神宮(皇大神宮・豊受大神宮)の蕃塀は、「その東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなすものであり」(『神道大辭典』より引用)、これらは御正宮を囲う板垣が御門の部分のみ切り抜かれ、その部分が外側に移動した結果できた塀という感じがするものである。「蕃塀は障壁」という解釈をよく見かけるが、特に私たちが一般に参拝する南面の蕃塀は、参道の御正宮の反対側の縁に所在していて、決して参拝者を遮断して参拝者の視線から内部を覆い隠す形になっていない。

 一方、愛知県(尾張地域)内の蕃塀は、伊勢神宮の蕃塀とは全く異なる配置となっている。両者は正殿の中心線上に、正殿の正面に平行して存在する点は共通するが、愛知県内の蕃塀は明らかに参拝者を遮断する形となっている。多くは鳥居と拝殿の間に所在し、概ね拝殿の中心線上に配置されている。このために多くの参道は蕃塀付近で左右に迂回する形になっている。こうした配置の特徴から、正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために蕃塀は造られたと考えられることが多い。ただし、正確な目的は不明である。
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(2009年6月14日加筆)
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by banbeimania | 2008-03-16 22:37 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

蕃塀の概要(3)蕃塀の種類

 蕃塀は、規模や形状から様々なかたちに分類することができる。その中でも、蕃塀の中央に「連子窓」と呼ばれる細い柱状の材を均等に並べた窓を持つ連子窓型蕃塀と「連子窓」を持たない衝立型蕃塀に大きく分けると、蕃塀の意義が良く理解できると思われる。愛知県下では圧倒的に連子窓型蕃塀が多く、衝立型蕃塀は少ない。一方、伊勢神宮では全てが衝立型蕃塀であった。

 さて、臨川書店発行の『神道大辭典第三巻』には「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。(中略)古くから存じたことが知れる。中世御垣と共に廃絶したものを明治二年に玉垣とともに再興せられた。」と記されている。これによれば、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の御正宮と外宮(豊受大神宮)の御正宮に伴う蕃塀が、本来の正しい蕃塀であるといえる。

 これに対して、尾張地域の神社を中心に展開する連子窓型蕃塀は、江戸時代においては多く「透垣」、「籬」などと称されていて、今のところ「蕃塀」と呼ばれた事例を知らない。つまり、連子窓型蕃塀は本来「蕃塀」と呼ばれておらず、おそらく近代以降に「蕃塀」と呼ばれるようになったのであろう。近代以降に「蕃塀」と呼ばれたのは、伊勢神宮の蕃塀に類似していたからではないかと現在は考えている。

 一方、材質に着目すると木造と石造などの種類がある。材質による使い分けのあり方はよく分からないが、丹羽郡大口町河北神明社の蕃塀や丹羽郡大口町上小口白山神社の蕃塀などの事例からみて、多くの蕃塀は当初木造連子窓型蕃塀であったのが、後に石造連子窓型蕃塀に変化していったように感じられる。
(2009年6月14日加筆)
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by banbeimania | 2008-03-15 22:27 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

蕃塀の概要(4)衝立型蕃塀の構造

 衝立型蕃塀は、中央に「連子窓」を持たず、衝立のように壁のみで構成される蕃塀のことである。柱間は1間幅から3間幅の規模を持つ。衝立型蕃塀の一般的な構造は、円柱を2〜4本立てて上端に覆板(笠木)を載せ、柱間の壁面には横羽目板を嵌め込んで造るものである。これらは、柱脚に盤(地貫)・柱頭に樋(頭貫)を渡すもの、横羽目板の間に貫を渡すもの、基礎に基壇や礎石を持つものなど様々な形状が認められる。これまでのところ、衝立型蕃塀には彩色や紋様がほとんど施されていない。衝立型蕃塀の部位の名称を示したので、参照されたい。
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          豊受大神宮正殿南面の蕃塀

 この衝立型蕃塀は、連子窓型蕃塀に比べれば事例は遥かに少ない。これらは蕃塀の材質から木造・石造・コンクリート造などに区分できる。このうち木造衝立型蕃塀は、これまで(2008年3月11日現在)に紹介してきた中では、伊勢神宮と熱田神宮という特別な神社に限られている。また、石造衝立型蕃塀には、製作年代が記された事例があり、一宮市西大海道宅美神社の蕃塀と一宮市西大海道神明社の蕃塀は1930年に造られたと考えられる。
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by banbeimania | 2008-03-14 21:02 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

蕃塀の概要(5)木造連子窓型蕃塀の構造

 木造連子窓型蕃塀は、塀の中央に連子という細い材を縦に並べた窓を持つ木造りの蕃塀のことである。柱間は1間幅から3間幅の規模を持ち、ほとんどの屋根は切妻屋根となっている。木造連子窓型蕃塀の一般的な構造は、円柱を2〜4本立て、下から順に腰長押と内法長押を通し、上端は棟木を渡している。内法長押の上位に肘木や腕木を架し、表裏両面の出桁を支えて屋根を載せている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上下には羽目板が嵌め込まれている。写真に、木造連子窓型蕃塀の部位の名称を示したので、参照されたい。
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              津島市津島神社の蕃塀

 この木造連子窓型蕃塀は、それぞれの部分ごとに多様な分類をすることができる。屋根に着目すると、桧皮葺き・銅板葺き・桟瓦葺きなどがあり、桧皮葺きのものが最も格調が高いようである。何も塗布しない白木造りのものが多いが、津島神社などのように赤色・白色・緑色などに彩色されたものも散見される。基礎構造では礎石の有無・基壇の有無・土台木の有無などで区分できる。

 木造連子窓型蕃塀は、作者や製作年代が蕃塀そのものに記されることが極めて稀である。これまで(2008年3月11日現在)に紹介してきた蕃塀の中で製作年代が蕃塀に記されたものは、稲沢市祖父江沼神明社の蕃塀(1923)、稲沢市鈴置神社の蕃塀(1925)、名古屋市西区比良六所神社の蕃塀(1933)、津島市白浜神明社八幡社合殿の蕃塀(1978)、春日井市高蔵寺五社大明神社の蕃塀(1984:澤野幸光)がある。
(2009年6月14日加筆)
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by banbeimania | 2008-03-13 20:49 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

蕃塀の概要(6)石造連子窓型蕃塀の構造

 石造連子窓型蕃塀は、塀の中央に連子という細い材を縦に並べた窓を持つ石造りの蕃塀のことである。基壇を除く蕃塀本体はほぼ全てが花崗岩(御影石)で作られている。この石造連子窓型蕃塀は大きく(1)外枠優先タイプの石造連子窓型蕃塀と(2)積み重ねタイプの石造連子窓型蕃塀に分けられるが、圧倒的に(1)のタイプが多く、(2)のタイプは少ない。
 外枠優先タイプの石造連子窓型蕃塀は、両端に主柱を2本立てて屋根を載せることで外枠を造り、主柱の内側に羽目板部・連子窓部・欄間部などを順に積み重ねているものである。これらは、さらに欄間部の有無などで大別でき、欄間部を持たないものは愛西市から一宮市にかけて分布している。写真に、石造連子窓型蕃塀の部位の名称を示したので、参照されたい。
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          稲沢市目比町裳咋神社の蕃塀

 石造連子窓型蕃塀は、作者や製作年代が蕃塀そのものに刻まれることが多い。これまで(2008年6月26日現在)に紹介してきた蕃塀の中で製作年を特定できる最古のものは、明治44年(1911)9月製作の江南市小杁魚入神社の蕃塀である。作者としては名古屋市西区の石工角田六三郎、角田乙吉、荒木弥助、岡崎市の石工今井新太郎、稲沢市長束の石工石松などがいる。(2008年6月26日と2009年6月14日に加筆修正した)
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by banbeimania | 2008-03-12 23:00 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

蕃塀の概要(7)分布

 前回が350回目の投稿であり、ちょうど節目なので、今日からは少し趣向を変えて、蕃塀の概要をまとめてみたい。なお、この概要の記事は、カテゴリー「蕃塀とは」に含め、今後新しい知見とともに随時記述を更新していくこととしたい。結果、いつでも蕃塀の最新の概要を把握できる形になるはずである。初回は蕃塀の分布についてである。

 蕃塀の分布は 今のところ愛知県西部(尾張平野)を中心に分布し、京都府や岐阜県や三重県や愛知県東部(三河)にもわずかに存在するようだ。少なくとも旧丹羽郡・旧西春日井郡・旧中島郡あたりは蕃塀が濃密に分布する地域と思われる。よく「愛知県の大きな神社に多い」という解説を目にするが、大きな神社でも蕃塀が無い神社もある(例えば犬山市大県神社など)し、小規模な神社でも蕃塀を持つ事例は数多いので、神社の規模と蕃塀の有無については関連性が薄いといえる。また式内社であるか否かもあまり関係がない。

 具体的にみてみよう。これまでに58市区町村の神社を調査し、本ブログで紹介してきた現存する蕃塀は全部で562基である(2009年6月14日現在)。
 市町村別に蕃塀が多い順に並べてみると、一宮市118基・稲沢市83基・江南市39基・小牧市34基・春日井市25基・犬山市24基・北名古屋市20基・岩倉市20基・清須市18基・愛西市14基・海部郡美和町14基・丹羽郡大口町13基・海部郡甚目寺町11基・海部郡七宝町11基・名古屋市北区11基・伊勢市(伊勢神宮)10基・名古屋市中村区9基・丹羽郡扶桑町8基・津島市8基・名古屋市西区5基・名古屋市港区4基以上・岐阜県各務原市4基以上・西春日井郡豊山町4基・海部郡大治町4基・名古屋市昭和区3基・名古屋市中区3基・名古屋市千種区3基・名古屋市名東区3基・名古屋市熱田区3基・西春日井郡春日町2基・知多郡武豊町2基・名古屋市守山区2基・名古屋市天白区1基・名古屋市東区1基・海部郡蟹江町1基・弥富市1基・知多郡東浦町1基・豊橋市1基・京都市1基となる。

 愛知県神社庁の資料に掲載された神社における蕃塀を持つ神社の割合で、市町村別に多い順に並べてみると、海部郡七宝町約91.7%・丹羽郡扶桑町約88.9%・岩倉市約87.0%・江南市約73.6%・丹羽郡大口町60.0%・西春日井郡豊山町約57.1%・小牧市約56.1%・一宮市約53.3%・清須市約52.9%・海部郡美和町50.0%・名古屋市北区50.0%・北名古屋市約46.3%・春日井市約45.5%・稲沢市約44.7%・犬山市約44.4%・名古屋市名東区約42.9%・海部郡甚目寺町約39.3%・名古屋市昭和区30.0%・名古屋市千種区30.0%・西春日井郡春日町約22.2%・名古屋市中村区約18.4%・海部郡大治町約18.2%・名古屋市西区約16.1%・愛西市約16.1%・知多郡武豊町約15.4%・知多郡東浦町約14.3%・津島市約13.6%・名古屋市中区12.5%・名古屋市守山区約11.8%・名古屋市天白区約11.1%・名古屋市熱田区約10.3%・名古屋市東区約6.3%・海部郡蟹江町約5.3%・弥富市約2.2%・豊橋市約0.6%となる。

 一方、愛知県神社庁の資料に掲載された神社について蕃塀を持つ神社のない市区町村は、53市区町村中19市区町村にのぼる(2009年6月14日現在)。具体的には、豊川市112社、田原市81社、安城市54社、額田郡幸田町30社、碧南市29社、幡豆郡吉良町26社、半田市23社、大府市21社、東海市21社、豊明市19社、名古屋市瑞穂区17社、知多郡阿久比町17社、宝飯郡小坂井町13社、海部郡飛島村11社、日進市11社、尾張旭市9社、愛知郡東郷町6社、愛知郡長久手町6社、高浜市6社である。
(2008年8月8日と2009年6月14日に加筆修正した)
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by banbeimania | 2008-03-11 21:18 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)

ちょっと驚いた(兼 本ブログの概要紹介)

 一昨日から急に訪問者数が激増した。桁が2桁くらい異なるアクセス数にいきなり跳ね上がり、一体どうしたのだろうと思った。少し調べた結果、10月24日にYahoo!カテゴリーの新着サイトに本ブログが紹介されたことがきっかけであることが判明した。生活と文化>宗教>宗教別>神道>神社のカテゴリーに登録されたようである。
 まさか、まさか、こんなマニアックなネタで、しかも決してやさしいとは言えない文章で淡々と事例紹介を続けている本ブログが登録されるとは、ちょっと驚いた。
 せっかくの機会なので、これまでに分かってきたことを簡単に整理して、本ブログの内容を紹介してみたいと思う。


蕃塀とは
 蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である。辞書などでは「蕃塀」は伊勢神宮のものを指すことが多い。

蕃塀の分布
 今のところ愛知県西部(尾張平野)を中心に分布し、岐阜県や三重県や愛知県東部(三河)にもわずかに存在するようだ。少なくとも旧丹羽郡・旧西春日井郡・旧中島郡あたりは蕃塀が濃密に分布する地域と思われる。よく「愛知県の大きな神社に多い」という解説を目にするが、大きな神社でも蕃塀が無い神社もある(例えば犬山市大県神社など)し、小規模な神社でも蕃塀を持つ事例は数多いので、神社の規模と蕃塀の有無については関連性が薄いといえる。また式内社であるか否かもあまり関係がない。

蕃塀の起源
 蕃塀の発生については全く知り得ていない。文献や記録などをもっと調べる必要がある。確認できた最古の蕃塀は、宝暦2年(1752)に編纂された地誌『張州府志』に描かれた稲沢市尾張大国霊神社と名古屋市熱田神宮と一宮市真清田神社の蕃塀である。

蕃塀の種類
 蕃塀は、形状から大きく連子窓型蕃塀と衝立型蕃塀に分類でき、愛知県下では圧倒的に連子窓型蕃塀が多い。材質に着目すると木造と石造などがある。状況からみて、当初は木造連子窓型蕃塀であったのが、後に石造連子窓型蕃塀に変化するケースが散見される。石造連子窓型蕃塀は製作年代や作者が判明する資料が多く、現在のところ大正9年(1920)が最古の事例である。大正9年から数年間は様々な石造連子窓型蕃塀ができたが、昭和初期になるといくつかの職人が定型化した蕃塀を製作するようになったと感じられる。

伊勢神宮との関連
 未だに実見していないが、伊勢神宮の蕃塀は衝立型蕃塀であり、案外愛知県に多数分布する連子窓型蕃塀とは関係が極めて薄いかもしれない。愛知県に多い連子窓型蕃塀は、本当は江戸時代の地誌類にみられる「透垣」と呼んだ方が良いかも知れないと感じ始めている。
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by banbeimania | 2007-10-26 23:17 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(4)

辞書などで調べる

 名前が分かれば、その語義は辞書類を調べれば分かるはずである。
 早速、図書館でいくつかの辞典類を調べてみた。

 1『建築大辞典』彰国社、昭和49年10月10日発行、編集:金春国雄 によれば、
「伊勢の皇大神宮の内宮・外宮において鳥居の正面に設けてある衝立状の板塀。目隠しのためのもの。」という。

 2『神道大辭典第三巻』臨川書店、昭和12年7月19日発行、編集:下中彌三郎 によれば、
「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。現制は横板嵌、弘二丈、高一丈。『皇大神宮儀式帳』には見えないが、『止由氣宮儀式帳』に「蕃垣參重長各二丈」と見え、また『顯廣王記』治承二年十月の條に「大神宮御前屏柱」、建久の『皇大神宮年中行事記』に屏垣と見えるから、古くから存じたことが知れる。中世御垣と共に廃絶したものを明治二年に玉垣とともに再興せられた。」とある。

 つまり、これをまとめると、蕃塀は伊勢神宮の板垣御門外(鳥居の正面)にある目隠しのための塀といったところであろうか。

 ついでに、WEBで少し検索してみると、ヒットするのはおおむね伊勢神宮と津島神社と石巻神社などにしぼられていた。このうち、津島神社の解説では、
「参道を進むと南門。南門をくぐると、蕃塀。愛知の大きな神社には、この蕃塀が多い。蕃塀後方に尾張造の社殿がある。(抜粋)」と記述されていた。

 わずかに調べた辞典では伊勢神宮のことしか出てこないが、このWEBでは愛知県の神社に多いという。
 むしろ、私は印象では、多いのは愛知県ではなく尾張地域に限定してもよいように感じられた。
 そこで、蕃塀が本当に尾張地域に多いか、検証してみたいと思う。
 そして、可能ならば伊勢神宮との関係も考えてみたいと目論んでいる。
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by banbeimania | 2007-01-18 00:48 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)