蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
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宝飯郡御津町の蕃塀

 東三河の宝飯郡小坂井町では蕃塀は一切存在しなかった。では、隣接する宝飯郡御津町ではどうだろうか。

 愛知県神社庁の資料によれば、東三河地方の宝飯郡御津町には15社の神社が記載されている。小坂井町の神社と同様に、昨年の12月下旬にこの15の神社を踏破することができたが、やはり蕃塀を持つ神社は全く存在しないことが確認された。

 具体的に参拝した神社は、大字上佐脇の佐脇神社、大字下佐脇の佐脇神社、大字下佐脇素盞嗚神社、大字御馬八幡社、引馬神社、廣幡神社、泙野神社、大草神社、萩原神社、御津神社、御舳玉神社、大字豊沢秋葉神社、大字金野白山神社、大字金野八柱神社、大字金野熊野神社である。比較的規模の大きな神社や、山の中腹にあって道に迷った神社もあったが、いずれも蕃塀は存在しなかった。

 東三河は蕃塀が多く分布する地域ではないことを示す追加データといえる。
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by banbeimania | 2007-01-31 00:24 | 探索の記録 | Comments(0)

宝飯郡小坂井町の蕃塀

 名古屋市昭和区では蕃塀が普通に分布する地域と評価できそうであったが、三河地方ではどうであろうか。そこでまず、東三河の一部である宝飯郡小坂井町における蕃塀の有無を確認したい。

 愛知県神社庁の資料によれば、東三河地方の宝飯郡小坂井町には13社の神社が記載されている。私は昨年の12月下旬にこの13の神社を踏破することができ、蕃塀を持つ神社は全く存在しないことが確認された。

 具体的に参拝した神社は、式内社である菟足神社、大字小坂井若宮社、大字宿多美河津社、大字宿白山社、篠束神社、五社稲荷神社、大字平井八幡社、大字伊奈若宮八幡社、大字伊奈加具土神社、大字伊奈素盞嗚神社、大字伊奈速須佐之男神社、大字伊奈迦具土神社、大字伊奈前山神社である。比較的規模の大きな神社が多いが、いずれも蕃塀は存在しなかった。

 東三河は蕃塀が多く分布する地域ではないことを示すデータといえよう。
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by banbeimania | 2007-01-30 00:37 | 探索の記録 | Comments(0)

名古屋市昭和区の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、名古屋市昭和区には10社の神社が記載されている。私は昨年の12月中にこの10の神社を踏破することができた。このうち、蕃塀の存在が確認された神社は、これまでに紹介してきた川名町川原神社、御器所八幡宮、石仏白山社の3社である。

 この他の塩付通神明社、池端町八幡神社、尾陽神社、伊勝八幡宮、広路町須佐之男神社、汐見町須佐之男社、五軒家町神明社には、蕃塀は認められなかった。特に、池端町八幡神社と汐見町須佐之男社などは、鳥居と拝殿までの空間に余裕が無く、とても蕃塀を設置できるような状態ではなかった。都心部における土地利用上の制約を受けているといえるかも知れない。また、神社庁の資料にない神社である広路町白髪稲荷大明神にも参拝したが、蕃塀は存在しなかった。

 さて、名古屋市昭和区で蕃塀が10社中3社にあることが、他の地域に比べて多いのか少ないのかは、現在の調査途上の段階では即断できない。が、全くないわけではなく、また極めて多いわけでもないと思われることから、昭和区は蕃塀が普通に分布する地域と評価できそうである。
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by banbeimania | 2007-01-27 00:20 | 探索の記録 | Comments(0)

名古屋市昭和区石仏白山社の蕃塀

 名古屋市昭和区石仏町1丁目にある白山社は、元は善昌寺の境内にあったが、明治維新の神仏分離により善昌寺から分離され、同寺の鎮守社となった。祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)で、貞享年間(1684〜87)に服部総一郎善昌が加賀国白山の「山神」を勧請したといわれる。社殿は前方後円墳の後円部分に建てられている。ご神体はなく、昭和になって神剣として太刀一振りが奉納された。境内には「延宝八庚申」と刻まれた御手洗石や江戸時代に使われたという力石が3個残っている。          

 石仏白山社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約4.3m、全高約3.3m、屋根長約5.4m、屋根巾約2.3mで、両側に控え柱を持つ。構造は名古屋市昭和区川名町川原神社の蕃塀と似ている。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に丸太材の柱4本を立て、腰板の貫、腰長押、内法長押、棟木を通す。内法長押の上に雲形肘木と腕木を配置し表裏両面の桁を支え、まばらに垂木を渡して屋根を載せる。川原神社の蕃塀は垂木が軒先まで延びて化粧垂木となっているのに対し、石仏白山社のものは垂木が桁に隠れている。屋根は切妻造りで表面を銅板平葺きで覆い、大棟とその両端の鬼板も銅板で造られる。中央に連子窓、下部は布羽目板が嵌め込まれ、控え柱は石製。建造年代は不明。

 秋に私が訪問した時は、境内に落ち葉が散乱しないようにネットがかけられていて、蕃塀を鑑賞する(撮影する)にはあまりよい状態ではなかったが、これも管理上からみて仕方ないのだろう。境内の規模の割に蕃塀が大きいこともありやや窮屈な印象を与えるが、蕃塀によって社の風格が増しているようにも感じられる。
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by banbeimania | 2007-01-26 00:32 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市昭和区御器所八幡宮の蕃塀

 昭和区御器所4丁目に所在する御器所八幡宮は、仁明天皇勅願の熱田神宮鬼門除鎮護の大神として斎鎮祭されたと伝えられ、御器所の総社として古くから信仰を集めた。『尾張志』によれば、御器所は熱田神領にて神祭に用いる土器を調進するために付いた地名と伝えられ、八幡宮は御器所城主佐久間家の領内総鎮守として尊崇された。実際に嘉吉年間以降のいくつかの棟札が残る。八幡大神や八剣大神など8柱の祭神が祀られている。          

 御器所八幡宮の蕃塀は、一の鳥居と二の鳥居の間に所在し、3間巾の赤彩木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約4.2m、全高約3.0m、屋根長約5.2m、屋根巾約1.9mで、両側に石製の控え柱を持つ。規模や構造は、名古屋市昭和区川名町川原神社の蕃塀と近似する。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に丸太材の柱4本を立て、腰板の貫、腰長押、内法長押、棟木を渡す。内法長押の上に雲形の肘木と腕木を配置し表裏両面の桁を支え垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで大棟とその両端の鬼板も含め表面を銅板平葺きで覆う。軒反りは真反り、大棟上に千木と鰹木が配置され、神社としての雰囲気を醸し出している。中央に連子窓、下部は布羽目板が嵌め込まれ、連子窓を黒色に塗る他は赤彩が施されている。正面中央に御幣が飾られ、窓上位には銅鈴が下がっている。銅鈴の後ろに「清浄門」と記された板が存在する。

 川原神社と正木八幡社の木造蕃塀は白木造りであったが、本蕃塀は赤彩である点に特徴がある。赤彩蕃塀は数が少ないものの類例が全くないわけではない。また、本蕃塀に「清浄門」と記されていたことは、蕃塀の意義を考える上で参考になるかも知れない。建造年代は不明。
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by banbeimania | 2007-01-25 00:24 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中区伊勢山1丁目神明社の蕃塀

 伊勢山神明社は、境内の案内看板によれば、室町時代以前に伊勢神宮の御分霊を奉斎し鎮座したという。以来人々はお伊勢山と称え、慶長年間に伊勢御師巡拝の折に巻物を納められたことにより「巻の森」とも呼ばれ、『尾張徇行記名所図絵』にも記されている。主神は天照皇大神で、相殿として熱田大神と加具土大神が祀られている。

 伊勢山神明社の蕃塀はコンクリート造と思われる。大きさは概略で、本体長約3.4m、全高約2.4m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.7mで、控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。円柱を3本立てて巾を2間とし貫を3本渡した形状に、コンクリート造りされている。下部と上部の羽目板は石製かも知れない。2間とも中央に連子窓を持たず、屋根は断面五角形状の棟を渡すのみの簡素なものである。裏面左下の羽目板に刻書があり、「伊勢山町中部 (以下人名15名分で詳細は省略) 昭和四十三年十月」と記されている。

 伊勢山神明社は正面から一の鳥居、御神灯、蕃塀、御神灯、二の鳥居、狛犬、階段を上り拝殿に至る。私が訪問した時には、蕃塀の正面前に鉢植えが飾られていた。

 連子窓を持たないシンプルな衝立状の蕃塀は、これまでにもいくつか確認しており、それほど珍しいものではない。この種の蕃塀は、木造の連子窓タイプの蕃塀に比べると風格に負けるきらいがあるが、独特の存在感を放っている。
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by banbeimania | 2007-01-24 00:18 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中区正木三丁目八幡社の蕃塀

 正木八幡社は「闇(くらがり)の森八幡社」とも呼ばれ、中央に応神天皇、左に仁徳天皇、右に神宮皇后が祀られている。昔、若宮八幡とも称し、創建は古く、鎌倉時代の頃より集落の中心となっていた。「尾張誌」によれば、創建を源為朝としており、本殿の西に為朝使用の武具を埋めたといわれる鎧塚が残っている。棟札によれば、永正十八年(1521)鶴見道灌等が造営したという。          

 正木八幡社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約4.1m、全高約3.0m、屋根長約5.8m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。規模や構造は、名古屋市昭和区川名町川原神社の蕃塀と近似する。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に丸太材の柱4本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に肘木と雲形の腕木を配置し表裏両面の桁を支え、まばらに垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造り桧皮葺で表面を銅板平葺きで覆う。軒反りは真反り、大棟とその両端の鬼板も銅板で造られるが、川原神社に比べると規模は小さい。中央に連子窓、下部は布羽目板が嵌め込まれる。控え柱は川原神社が石製であるのに対し、正木八幡社は木造である。

 蕃塀の周囲は木柵で囲まれており保護されている。元来は桧皮葺であると思われ、蕃塀の中でも比較的重厚な趣を持つものである。建造年代は不明。

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by banbeimania | 2007-01-23 00:54 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市昭和区川名町川原神社の蕃塀

 最初の蕃塀の事例として、このブログの冒頭で紹介した川原神社の蕃塀を取り上げる。

 川原神社は、平安時代初期の『延喜式』にある『愛智郡川原神社』に相当する式内社で、日神(ひのかみ)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、罔象女命(みずはめのみこと)の三神を祀っている。戦災に遭い昭和28年に再建されたという(境内の案内看板による)。なお、現在の社殿は平成10年に再々建されたものである。

 川原神社の蕃塀は木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約4.1m、全高約3.0m、屋根長約5.4m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。
 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に、丸太材の柱を4本立てて巾を3間としている。下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に雲形肘木と腕木を配置し表裏両面の桁を支え、まばらに垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造り銅板平葺きで、軒反りは全体に緩やかに反る真反り、屋根の最上部の大棟とその両端の鬼板も銅板で造られる。3間とも中央に連子窓を持ち、下部は布羽目板が嵌め込まれる。

 3間の規模で縦方向に隙間の開く連子窓を持つものは、蕃塀の中でも比較的立派な印象を与えるものである。なお、きちんと確認を取っていないが、案内文からみて蕃塀も昭和28年に再建された可能性が高いだろう。
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by banbeimania | 2007-01-20 01:10 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

まずは神社へ行ってみる

 蕃塀が尾張地域に本当に多いか否かは、文献やネットで調べることはほとんど無理だろう。
 なぜなら、自分のように蕃塀に関心がある人などそうそういるとは思えないからだ(世の中は広いからあるかも知れないが・・)。
 ならば、自力で神社へ訪問して蕃塀の有無を確認するしかあるまい。

 さしあたり、愛知県の神社をシラミつぶしに見ていくことにしたい。
 そこで、愛知県神社庁のホームページ(http://aichi-jinjacho.or.jp/)から、愛知県内の3314柱の神社のリストを入手して、これを一つ一つ参拝して回り、蕃塀があればこれを写真に撮って、蕃塀の画像を集めることとしよう。

 この調査は、開始して約4ヵ月を経過しており、最初は勢いもあって既に500柱以上の神社を参拝してきた。以降は、蕃塀の事例をひたすら紹介する。
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by banbeimania | 2007-01-19 00:08 | 探索の記録 | Comments(0)

辞書などで調べる

 名前が分かれば、その語義は辞書類を調べれば分かるはずである。
 早速、図書館でいくつかの辞典類を調べてみた。

 1『建築大辞典』彰国社、昭和49年10月10日発行、編集:金春国雄 によれば、
「伊勢の皇大神宮の内宮・外宮において鳥居の正面に設けてある衝立状の板塀。目隠しのためのもの。」という。

 2『神道大辭典第三巻』臨川書店、昭和12年7月19日発行、編集:下中彌三郎 によれば、
「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。現制は横板嵌、弘二丈、高一丈。『皇大神宮儀式帳』には見えないが、『止由氣宮儀式帳』に「蕃垣參重長各二丈」と見え、また『顯廣王記』治承二年十月の條に「大神宮御前屏柱」、建久の『皇大神宮年中行事記』に屏垣と見えるから、古くから存じたことが知れる。中世御垣と共に廃絶したものを明治二年に玉垣とともに再興せられた。」とある。

 つまり、これをまとめると、蕃塀は伊勢神宮の板垣御門外(鳥居の正面)にある目隠しのための塀といったところであろうか。

 ついでに、WEBで少し検索してみると、ヒットするのはおおむね伊勢神宮と津島神社と石巻神社などにしぼられていた。このうち、津島神社の解説では、
「参道を進むと南門。南門をくぐると、蕃塀。愛知の大きな神社には、この蕃塀が多い。蕃塀後方に尾張造の社殿がある。(抜粋)」と記述されていた。

 わずかに調べた辞典では伊勢神宮のことしか出てこないが、このWEBでは愛知県の神社に多いという。
 むしろ、私は印象では、多いのは愛知県ではなく尾張地域に限定してもよいように感じられた。
 そこで、蕃塀が本当に尾張地域に多いか、検証してみたいと思う。
 そして、可能ならば伊勢神宮との関係も考えてみたいと目論んでいる。
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by banbeimania | 2007-01-18 00:48 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(0)