蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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名古屋市天白区の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、名古屋市天白区には9社の神社が記載されている。私は昨年の11月中にこの9の神社を踏破したが、このうち蕃塀の存在が確認された神社は、先に紹介した島田神社1社のみである。

 この他の針名神社、菅田神社、野並八劔社、植田八幡宮、八事天道五社宮、御幸山御嶽神社、御幸山塩竈社、八事神社には、蕃塀は認められなかった。この8社のうち針名神社は平安時代初期の『延喜式』にある式内社と想定されており、古くより伝わる大きな神社と位置付けられている。名古屋市天白区の事例をみると、蕃塀の有無は『延喜式』にある式内社であるか否かといった理由には関係がないように思われる。

 さて、名古屋市天白区で蕃塀が9社中1社にあることは、名古屋市昭和区に比べるとやや少ない。天白区は蕃塀が少量ながらも存在する地域と評価できるだろう。
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by banbeimania | 2007-02-28 00:26 | 探索の記録 | Comments(0)

名古屋市天白区島田神社の蕃塀

 しばらくぶりです。花粉症で喉をヤラれてしまい暫くダウンしてしまいました。さて、再開の第1回目は名古屋市天白区の事例を紹介します。

 天白区島田3丁目に所在する島田神社は、尾張・遠江・越前の三国の守護で管領家でもあった斯波高経が、貞治年間に島田城築城にあたって城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀ったのが始まりである。明治42年(1909)年に神明社、八幡社、天神社と合祀され、 その後黒石の山神社と天神社を合祀して黒石に遷された。そして大正12年(1923)年に現在地へと遷り、その3年後に 天神社と秋葉社を祀り、名称を現在の島田神社に改めている。現在では伊邪那岐命、伊邪那美命など九柱を祀っていて、境内には神楽殿も存在する。

 島田神社の蕃塀はコンクリート造と思われる。大きさは概略で、本体長約4.7m、全高約2.3m、屋根長約5.1m、屋根巾約0.8mで、両側に控え柱は持たない。

 詳細の構造は次の通り。円柱を4本立てて巾を3間とし上位に貫を2本渡した形状に、コンクリート造りされている。左右の柱間の上部に連子窓を持ち、その他の部分には羽目板が嵌め込まれた状態となっている。中央上位には両面に丸に嶋字紋が施され、中央下位には本殿とは反対側に「奉納 昭和五十九年十月吉日建之 名古屋市天白土地区画整理組合」と刻書されている。屋根は断面長方形状の大棟を渡す比較的単純な形状となっている。基壇は石材で縁取られた内側には白色の玉石が埋め込まれていた。

 蕃塀は拝殿のほぼ正面に配置されているが、境内広場の端部に所在しており、拝殿の反対側には鳥居は存在せず樹木が植えられている。したがって鳥居をくぐって拝殿に至る途中の目隠しとはなっておらず、配置としては蕃塀とは言いがたい状態となっている。蕃塀の本来の役割が失われたものなのだろうか?
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by banbeimania | 2007-02-27 23:20 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市千種区田代山神社の蕃塀

 千種区田代町に所在する山神社は、守山近辺の農家が「山の神」を祀って江戸時代の頃に建立されたという。昔は何も無い雑木林の中だったと思われるが、山神社の東に南区の笠寺観音から守山区の竜泉寺を結ぶ四観音道という古道があることから、当地が選ばれたのかも知れない。現在は日進市白山宮宮司が神職を兼務しており、祭りの飾り馬の道具や棒の手の道具が保存されている。

 田代山神社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約2.6m、全高約2.6m、屋根長約3.3m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。直線的なコンクリート基礎に丸太材の柱4本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に肘木と簡略化した雲形腕木を配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされ、大棟の両端には銅板による鬼板が配置される。腕木や桁の先端は白色に塗られ、垂木の先端は銅製飾金具で装飾されている。蕃塀の中央には連子窓があり、下部には布羽目板が嵌め込まれている。中央の柱間が両側の柱間よりも広くなっている点が、これまで紹介してきた蕃塀とは大きく異なる点である。控え柱は木製で基礎は本体とは異なるものとなっている。

 田代山神社は正面から鳥居、蕃塀、狛犬、拝殿から本殿に至る構成を持つ。拝殿の正面に蕃塀は所在するが、鳥居とは軸線を同じにしていない。全体としてはシンプルな蕃塀といえよう。製作年代は不明だが、基礎から見て現代のものと考えられる。
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by banbeimania | 2007-02-17 22:35 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市千種区上野天満宮の蕃塀

 ここ数回は犬山市内に所在する蕃塀をいくつか紹介してきたが、実は犬山市内の神社についてはまだ半数程度しか調査が進んでいない。そこで、ここで一旦地域を変え、再びしばらくは名古屋市内の事例について紹介していきたい。

 千種区赤坂町に所在する上野天満宮は、志半ばにして無実の罪を背負い都から追いやられた天才学者の菅原道真が祀られている。道真没後約100年の正歴元年(990)頃、同様に都を追われた陰陽学者の安倍晴明一族の一部が、現在の名古屋市千種区晴明山に移り住み、自らの境遇と照らして菅原道真を祀り上野天満宮を建立した。江戸時代に矢田川の氾濫を避けるため現在地に移動したという。

 上野天満宮の蕃塀はコンクリート造と思われる。大きさは概略で、本体長約4.8m、全高約2.7m、屋根長約5.9m、屋根巾約0.5mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。円柱を4本立てて巾を3間とし貫を3本渡した形状に、コンクリート造りされている。下部と上部には羽目板を、中央には円柱を跨ぐ形で連子窓を持ち、屋根は断面五角形状の大棟を渡すものである。表面下段中央の羽目板に「奉納」、裏面下段の羽目板に「 (人名109名分で詳細は省略) 金二十五萬円 敬神婦人会有志 昭和五十年七月建之」と記された刻書がある。表面上段中央の羽目板に梅紋が施されている。

 蕃塀は拝殿のほぼ正面に配置されるが、鳥居の軸線からは大きく右側にずれている。蕃塀としては規模が大きくどっしりとしたものである。
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by banbeimania | 2007-02-16 00:54 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

犬山市宮浦神明社の蕃塀

 犬山市字宮浦に所在する神明社は、仁寿元年(851)に創建され、享保10年(1725)に現在地に移したという。祭神は天照大神である。境内にある大クスノキは推定樹齢300年、幹周485cmを測る犬山一の巨木である。

 宮浦神明社の蕃塀は2間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約2.7m、全高約2.7m、屋根長約3.2m、屋根巾約1.7mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に丸太材の柱3本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に肘木と簡略化した雲形腕木を配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされ、反りのある照り屋根となっている。大棟の両端には銅板による鬼板が配置され、肘木・腕木・垂木の先端は銅製飾金具で装飾されている。蕃塀の中央には連子窓があるが、下部は本来嵌め込まれるはずの羽目板が欠損している。蕃塀の表側に目が比較的細かい鉄柵が設置されている。控え柱は石製であるが、控え貫および足元貫は木製。

 宮浦神明社は正面から一の鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿から本殿に至る構成を持つ。犬山市内で蕃塀を持つ神社の構成におおよそ合致している。

 宮浦神明社の蕃塀は、正面に鉄柵が設置されており、一見異様である。下部の羽目板が失われていることから推察するに、何らかの原因で蕃塀の破壊が進んだ結果、やむを得ず鉄柵を設置せざるを得なかった事情が垣間見える。写真は表からの映像を避け裏から撮影した(2006年10月下旬)。大棟の銅板に金彩で桐紋が配置されているような風雅な蕃塀が、このような状態であることが痛ましく感じられる。
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by banbeimania | 2007-02-15 00:05 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

犬山市羽黒鳴海杻神社の蕃塀

 犬山市羽黒字成海郷に所在する鳴海杻(なるみてがし)神社は、平安時代初期の『延喜式』にある『丹羽郡鳴海杻神社』に相当する式内社である(神社の名称の3文字目は木偏に丑でなく、正しくは木偏に刄の下に横棒を記した文字)。創建年代は不詳であるが、明治45年(1912)に貴船社を合祀した。祭神は鳴海天神と山岬多良志と高於加美神が祀られている。

 鳴海杻神社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約3.4m、全高約3.0m、屋根長約4.5m、屋根巾約2.1mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に角材の柱4本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に簡略化した雲形肘木と腕木を配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされ、反りのある照り屋根となっている。切妻部分の懸魚の装飾は比較的派手で、大棟の両端には銅板による鬼板が配置され、肘木・腕木・垂木の先端を白色に塗布されている。蕃塀の中央には連子窓、下部には布羽目板が嵌め込まれ、控え柱は木製である。

 鳴海杻神社は正面から一の鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬から本殿に至る構成を持つ。「犬山市内では蕃塀を持つ神社の多くは壁の無い吹き抜けの拝殿を伴う」という傾向を示す追加資料となっている。

 式内社である本社で3間巾の蕃塀を持つ点は社格に見合うものと感じられるが、基礎がコンクリートによる基壇上に設置されていることから、比較的新しいものと思われる。
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by banbeimania | 2007-02-14 00:59 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

犬山市羽黒比良賀神社の蕃塀

 犬山市羽黒摺墨に所在する比良賀神社は、その由緒書によれば、創建年代は不詳であるものの、文治2年(1186)の『尾張国神名帳』に小弓庄羽黒村従三位比良賀神社と記載され、古くは太一大見大明神と称せられていたという。寛文11年(1671)に再建され、大正2年(1913)に神明社と須賀神社を合祀した。祭神は天照大神と須佐之男命と天香語山命が祀られている。

 比良賀神社の蕃塀は3間巾の朱塗木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約3.6m、全高約2.4m、屋根長約4.4m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート造りの基壇上に角材の土台木を置き、その上に角材の柱4本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に腕木のみを配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで、銅板を野地板に直接一文字葺きされ、反りの無い直線屋根となっている。大棟の両端には鬼板は無く突き出しており、屋根の構造は比較的単純なものとなっている。蕃塀の中央には連子窓、下部には布羽目板が嵌め込まれ、控え柱は木製である。内法長押から下部は赤色ペンキ?で塗布され、屋根に隠れる上部は白木風であるが、垂木や腕木の先端は白色に飾られている。また、破風板は紫色に塗布される。

 この蕃塀は3間巾の規模を持つが、造りは比較的単純で簡素なものである。基礎がコンクリートである上に土台木等はボルトで固定されており、現代的な技法で製作されたものといえる。製作年代は不明だが、新しいものと思われる。

 比良賀神社は正面から太鼓橋、(灯籠)、鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬から本殿に至る構成を持つ。蕃塀の正面に注意看板が立てられているのは、蕃塀を鑑賞する上では興ざめなものとなっている。
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by banbeimania | 2007-02-13 00:06 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

犬山市羽黒南郷白山社の蕃塀

 羽黒南郷白山社は、犬山市のホームページによれば、創建年代は不詳で菊理媛命(白山比咩神)が祀られているという。

 羽黒南郷白山社の蕃塀は2間巾の木造桟瓦葺きである。大きさは概略で、本体長約2.3m、全高約2.4m、屋根長約3.4m、屋根巾約1.5mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。二段構造の基壇上に切り石による布基礎と角材の土台木を置き、その上に角材の柱3本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に簡略化された雲形の肘木と腕木を配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造り桟瓦葺で軒反りは真反り、屋根の両端部に降棟を設け立浪紋の留蓋瓦が使用され、切妻部には掛瓦が配置される。大棟の両端に足付獅子口が置かれその上に鯱瓦が載る。蕃塀の中央には連子窓、下部には布羽目板が嵌め込まれ、控え柱は木製である。控え柱とは別に裏中央部に倒潰防止のためのコンクリート製支え材が後付けされる。

 この蕃塀も、羽黒堂ヶ洞神明社の事例と同様に、2間巾のコンパクトなものである。しかし、小さいながら2段の基壇を持ち、屋根に鯱瓦を配置することなどから、規模の割に重厚な雰囲気を持つように感じられる。製作年代は不明。

 羽黒南郷白山社は正面から一の鳥居、百度石、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿から本殿に至る構成を持つ。蕃塀の正面やや右手に角柱石で造られた百度石が大きく据えられており、蕃塀よりも目立っている。
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by banbeimania | 2007-02-10 00:50 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

犬山市羽黒堂ヶ洞神明社の蕃塀

 羽黒堂ヶ洞神明社は、犬山市のホームページによれば、創建年代は不詳としながらも重吉新田開拓後に創設されたとされ、天照大神と豊受大神が祀られているという。

 羽黒堂ヶ洞神明社の蕃塀は2間巾の木造桟瓦葺きである。大きさは概略で、本体長約2.2m、全高約2.3m、屋根長約2.8m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石による布基礎に角材の土台木を置き、その上に角材の柱3本を立て、下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に肘木と簡略化された雲形の腕木を配置して表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造り桟瓦葺で軒反りは真反り、屋根の両端部に降棟を設け牡丹紋と思われる留蓋瓦が使用され、切妻部には掛瓦が配置される。中央には連子窓、下部には布羽目板が嵌め込まれ、控え柱は木製である。後に倒潰防止のための鉄製支え材が渡される。

 これまで紹介した蕃塀は3間巾のものが多かったが、この蕃塀は2間巾のものでコンパクトな印象がある。しかし、布基礎の下位には敷瓦を葺いたようなコンクリート製基壇を持つことから、比較的丁寧に制作されたように感じられる。製作年代は不明。

 羽黒堂ヶ洞神明社は正面から一の鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿から本殿に至る構成を持つ。この壁の無い拝殿の存在が、蕃塀の有無に少なからず関係があるように思われる。
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by banbeimania | 2007-02-09 00:50 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

半田市の蕃塀

 知多郡武豊町では蕃塀が13社中2社に存在することが分かったが、他の知多地域ではどういう状況であろうか。そこで次に半田市の状況を確認してみる。

 愛知県神社庁の資料によれば、半田市には23社の神社が記載されており、私は昨年の10月中にこれらの神社を踏破した。

 具体的に参拝した神社は、有脇町春日社、亀崎町尾張三社、亀崎町神前神社、亀崎町秋葉社、亀崎町神明社、新居町愛宕社、乙川八幡町天神社、乙川殿町八幡社、乙川北側町若宮神社、乙川西之宮町津島社、平地町神明社、向山町市杵島社、有楽町成岩神社、栄町浪寄社、東本町業葉神社、山之神町山之神社、宮路町住吉神社、白山町白山社、宮本町成石神社、板山町板山神社、神代町八幡神社、岩滑中町八幡社、平和町神明社である。これらの神社には、蕃塀は全く認められなかった。

 武豊町では蕃塀を持つ神社が2社存在したが、半田市には全く認められない。このことから、知多地域全体でみると蕃塀は極わずかしか存在しないものと評価できそうである。果たして本当にそうだろうか?
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by banbeimania | 2007-02-07 21:29 | 探索の記録 | Comments(0)