蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
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祝 投稿記事100回

 少し間があいてしまいました。しばらくぶりです。

 さて、本年1月から始めた本ブログも、本日をもって100回目の投稿を迎えた。神社の中でも、狭い地域にしか見られない神社の一パーツについて特化した内容であり、自分で言うのも何であるが、普通ではおよそ読者がいるとは思われないものである。が、しかし、不思議なもので本ブログに立ち寄られる方が少ないながらも安定した数でおられるようだ。とても有難いことだと思う。

 ところで、これまでは、蕃塀の事例を紹介することに終始ししてきた感がある。1つの記事に1つの蕃塀を記述する形式は、これはこれで調査のデータとしては重要なので、今後も何らかの形で続けていくつもりであるが、いささか(かなりと言った方がよいかもしれないが)マンネリ化していたことは否定できない。それはどの記事も似たような文章が延々と続いてしまうことになっているからだろう。記事を書く側も流れ作業となってしまい、あまりものを考えていない状態であったともいえる。

 そこで、しばらくは視点を変えて、これまで紹介してきた蕃塀を形態などからみて整理してみたい。あるいは各パーツのヴァリエーションを紹介するのもよいかもしれないと考えている。

 さて、どうなることやら。
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by banbeimania | 2007-05-31 22:17 | 探索の記録 | Comments(0)

神社探訪余話(4)移動手段

 愛知県内の神社は、都心の中にあるものから山中奥深い場所にあるものまでの様々な場所に存在している。都会の神社は交通機関が発達しているので参拝の足には不自由はしないが、そうでないところではやはり自家用車の利用が便利である。

 自動車を利用する場合に、案外と心配なのが駐車場の確保である。神社が直接に駐車場を持つものや、境内等に併設されている公民館などの公的施設に伴う駐車場を持つ神社は、その駐車場が利用可能である。これは参拝のために利用するのだから、全く問題は無いだろう。一方、駐車場はあっても閉じられてしまっているものや、そもそも駐車場が存在しない神社も多数ある。ただ、ほとんどの場合は、氏子等が神事など様々な所用を行うために、近接する道路の幅が広かったり、何となくスペースがあったりするものだ。短い時間であれば、そこで停めておけば、これもそう問題は無いだろう。

 前にも触れた通り、愛知県下の神社を全て見て回るということは、ほとんど愛知県内の全ての集落を巡り歩くことと同意と言ってもよい。集落には、区画整理等が進み道路が整備された地域もあれば、集落内には古くからある今となっては狭い道路しか無い場所もある。特に、港町を起源とする集落等の住宅が稠密に集中するところでは、本当に神社を探し当てるまでの道路が狭いことが結構ある。この場合は、安心して停められる場所に車を置いて徒歩で移動するに限る。古い町並みが楽しめることもあるし、神社も見落とすことはない。

 いろいろと参拝してみて分かったことは、神社は古い街道や古い道路を歩いた方が、探しやすいし本来の参道を初めから歩くことも容易であるということだ。神社の場所に迷ってしまったら、その集落の主要道路を探し集落の成り立ちを考えると案外わかるものである。
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by banbeimania | 2007-05-25 23:10 | 探索の記録 | Comments(0)

海部郡蟹江町の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、海部郡蟹江町には19社の神社が記載されている。私はこの5月(つい先日)までにこの19の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した蟹江新町日吉社の1例のみである。

 この他の、須成富吉建速神社八劔社、今三明神社、蟹江本町海門秋葉社、蟹江本町城秋葉神社、蟹江本町替地神明社、蟹江本町秋葉社、蟹江本町両五神明社、鍋蓋新田神明社、蟹江新田秋葉社、蟹江新田宮ノ割神明社、蟹江新田鹿嶋神社、蟹江新田風之宮社、蟹江新田道西神明社、蟹江新田百保神明社、西之森八幡社、西之森北新田神明社、西之森神社、西之森硴場神明社の18柱には蕃塀は認められなかった。また、愛知県神社庁の資料に掲載されていない蟹江本町富吉龍神社、蟹江新田尾張稲荷大社にも蕃塀は認められなかった。

 蟹江町では約5%の神社で蕃塀が存在するという結果となった。唯一蕃塀を持つ事例は、平成6年(1994)に移築された蟹江新町日吉社である。これは、弥富市鳥ヶ地八王子社と同様、再建の際に氏子等が他の地域の神社を見て新たに蕃塀を取り入れたかも知れない、と私は考えている。

 既に、旧海部郡南部の弥富市と飛島村では、蕃塀がほとんど無い地域とまとめてきたが、蟹江町も蕃塀がほとんど無い地域の仲間に入れることができよう。
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by banbeimania | 2007-05-24 00:12 | 探索の記録 | Comments(0)

海部郡蟹江町蟹江新町日吉社の蕃塀

 海部郡蟹江町大字蟹江新町に所在する日吉社は、天和2年(1682)以前に創建されたと伝えられ、祭神は大山咋命である。江戸時代に山王社と呼ばれ明治時代に村社日吉社と改められた。同社神楽庫には神楽屋形があり、日吉神楽は町無形民俗文化財に指定されている。平成6年(1994)に蟹江第二学戸土地区画整理事業に伴い、蟹江新町字村西にあった神社を現在地に移し、本殿・祭文殿・拝殿・神楽庫を再建、社務所を造営したという。

 蟹江新町日吉社の蕃塀は3間巾の石造である。大きさは概略で、本体長約2.1m、全高約2.1m、屋根長約2.5m、屋根巾約0.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇にはなっていないが、切り石で囲まれた玉石敷の上に礎石と布基礎を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分け、左右の区画には獅子紋、中央の区画には牡丹紋が彫刻されている。透かし部は中央に日吉神社と記された扁額があり、両側に波涛を泳ぐ双龍紋が施されている。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を9本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され外側に突き出ている。角柱と中央の羽目板の裏面には「平成六年十月吉日 奉納(人名6名分) ㈲本間石材」と刻まれている。

 蟹江新町日吉社は、灯籠、鳥居、太鼓橋、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠群、狛犬から拝殿以降の本殿施設群に至る構成となっている。拝殿は壁の無い吹き抜けのものではなく、鉄筋コンクリート製である。

 蟹江新町日吉社の蕃塀は、平成6年(1994)に神社の移転に伴って建造されたものといえる。後述するように、海部郡蟹江町では蕃塀を持つ神社は珍しく、移転される以前の日吉社には蕃塀は無かったものと推察される。
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by banbeimania | 2007-05-23 00:16 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

丹羽郡大口町の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、丹羽郡大口町には20社の神社が記載されている。私はこの3月までにこの20の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した12例である。具体的には、河北神明社、河北二ツ屋神明社、清島神社、外坪神明社、高橋諏訪社、秋田八王子社、秋田東郷前天神社、豊田八劔社、大屋敷三明神社、上小口白山神社、下小口白山社、余野神社である。また、愛知県神社庁の資料に掲載されていない大御堂縣神社にも蕃塀を持っていた。

 この他の、小口神社、新宮神明社、秋田津島社、秋田宮前天神社、秋田熊野社、秋田金刀比羅社、豊田神福神社、大屋敷神明の8柱には蕃塀は認められなかった。また、愛知県神社庁の資料に掲載されていない河北津島社、おちょぼ稲荷故里宮、秋田3丁目神明社、丸大口神社の4社にも蕃塀は認められなかった。

 丹羽郡大口町では、愛知県神社庁のリスト中の6割の神社で蕃塀が存在するという結果となった。これまで紹介してきた中では最も濃密に蕃塀が分布するエリアということができる。このうち木造の蕃塀を持つものは豊田八劔社、大屋敷三明神社、下小口白山社、清島神社、外坪神明社の6社である。また、石造の蕃塀を持つ神社の内、『大口町史』所収写真からみて、河北神明社は平成4年に、上小口白山神社は昭和55年に、それぞれ木造から石造に造り直されていることが判明している。大口町では元々は木造の蕃塀が優勢を占めていた地域であったと考えられるが、徐々に石造蕃塀が増加しつつある状況を読み取ることができよう。
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by banbeimania | 2007-05-22 00:09 | 探索の記録 | Comments(0)

大口町大御堂縣神社の蕃塀

 丹羽郡大口町大御堂に所在する縣神社は、愛知県神社庁の資料には掲載されていない神社であり、創立年代と由緒は不詳である。

 大御堂縣神社の蕃塀は2間巾の石造である。大きさは概略で、本体長約1.4m、全高約1.7m、屋根長約1.9m、屋根巾約0.4mで、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇は特になく切り石による礎石と布基礎の上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から下位羽目板部、貫、連子窓部、貫、上位羽目板部の順に石材を積み重ねている。下位羽目板部は角柱を1本立てて2つの区画に分けているが、特別な紋様は施されていない。上位羽目板部は、「縣神社」の文字が浮き彫りされている。下位羽目板の裏面には、右側に「昭和二十八年十二月建之」と、左側に「寄付者 (人名2名分)」の文字が刻まれている。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を6本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され外側に少し突き出ている。

 大御堂縣神社は、鳥居、百度石、蕃塀、灯籠、狛犬から基壇上の本殿に至る構成となっている。拝殿等の施設はなく、境内も比較的狭い。

 大御堂縣神社の蕃塀は、昭和28年(1953)に建造されている。由緒に関わる記録を見出していないため断定はできないが、愛知県神社庁のリストに無いことも考え合わせると、昭和28年頃に創立された新しい神社であろうと推測される。この事例をみても分かるように、神社が新しいからといって蕃塀はないとは限らない。神社の諸施設や境内が小規模であるために、蕃塀も相対的に小規模となり、これまで紹介してきた蕃塀の中では最小の部類に属するものである。
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by banbeimania | 2007-05-21 00:45 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

大口町外坪神明社の蕃塀

 丹羽郡大口町大字外坪字宮前に所在する神明社は、伝えによると仁寿元年(851)再建といわれており、それ以前の創建と思われるが、本当のところの詳細な年代は不明である。明治の頃は笹踊が奉納されていた。天照大神などを祭神としている。

 外坪神明社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.8m、屋根長約4.1m、屋根巾約2.1mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇上に切り石による礎石と布基礎を配置し丸太材による柱を4本立てている。柱には下から順に貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に方形の肘木と腕木を配置し表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされた直線屋根となり、大棟の両端は外側に突き出て上位に鰹木が置かれている。蕃塀の中央には連子窓が設けられ、連子窓の上下には縦羽目板が嵌め込まれている。控え柱も木製である。垂木や肘木と腕木および控え貫の先端は白色に塗布されている。

 外坪神明社は、石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、移殿を経て基壇上の本殿に至る構成となっている。拝殿は切妻部分を正面にせず、屋根面を正面に見せている。

 外坪神明社の蕃塀は建造年代が不明であるが、拝殿の基壇には基礎工事を大正14年(1925)に実施した記録があり、その頃の作品の可能性が考えられる。参道は、舗装された通路が鳥居から直線的に伸び、蕃塀の手前で左右両側に大きく分かれていき、狛犬の手前で曲がり合流している。蕃塀によって影響をうける参拝経路を知る上で興味深い事例である。
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by banbeimania | 2007-05-20 01:21 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

大口町河北二ツ屋神明社の蕃塀

 丹羽郡大口町河北二ツ屋に所在する神明社は、創立年代と由緒は不詳であるが、多くの棟札が保存されているという。延享2年(1745)と安永6年(1777)の棟札が『大口町史』に記されている。天照大神を祭神としている。

 河北二ツ屋神明社の蕃塀は3間巾の石造である。大きさは概略で本体長約2.7m、全高約1.8m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。(2007年5月19日時点では私の調査上の不手際で大きさは測定できていなかった。その後改めて参拝し測定し2009年6月13日加筆修正した。)


 詳細の構造は次の通り。高い石製基壇の上に円柱を2本立てて長押、雲形腕木等、屋根の順に石材を載せている。円柱の内側には、下から羽目板部、貫、連子窓部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は一枚板で波涛
上に飛翔する鳥の紋様が浮彫されている。透かし部は雲形腕木を模した石材を3個配置して、その隙間を透かしとしている。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され両端に鬼板が配置されている。羽目板の裏面には「大正八年十月 (人名7名分)」と刻まれている。連子窓部は角柱を10本立てて造られる。

 河北二ツ屋神明社は、石柱、灯籠、鳥居、灯籠、百度石、蕃塀、壁の無い吹き抜けの拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成となっている。拝殿は切妻部分を正面にせず、屋根面を正面に見せている。

 河北二ツ屋神明社の蕃塀は、大正8年(1919)に建造された。これまで紹介してきた多くの石造蕃塀は、円柱と屋根で大きく輪郭を構成しその内側に石材を積み重ねていくタイプであるが、本蕃塀は円柱を屋根まで通さずに蕃塀全体を下から順に積み重ねていくタイプである。基壇は灯籠と同じような石積み方法を用いて高くしている点が珍しい。
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by banbeimania | 2007-05-19 12:52 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

大口町清島神社の蕃塀

 丹羽郡大口町萩島(大字小口字島内)に所在する清島神社は、創建年代は不詳である。明治42年(1909)に八幡社と三明社を合祀し清島神社と改称したという。品陀和気命などを祭神としている。

 清島神社の蕃塀は3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約3.0m、全高約2.6m、屋根長約4.2m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。周囲を切り石で巡らせたコンクリート基壇上に切り石による礎石と布基礎を配置し丸太材による柱を4本立てている。柱には下から順に貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に肘木と雲形腕木を配置し表裏両面の桁を支え、直接屋根板を載せている。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされ、緩やかに反る照り屋根となり、大棟の両端には五七桐紋が施された鬼板を持つ。蕃塀の中央には連子窓が設けられ、連子窓の上下には縦羽目板が嵌め込まれている。控え柱も鉄筋コンクリート製で造られる。

 清島神社は、灯籠、鳥居、百度石、蕃塀、灯明台、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬を経て基壇上の本殿に至る構成となっている。

 清島神社の蕃塀は3間巾で、基壇に玉石を散りばめたものであり、基礎等は補修を受けた可能性がある。蕃塀そのものの建造年代は不明であるが、八幡社と三明社が合祀された明治42年(1909)頃の作品であろうか。ただ、連子窓の一部が破損し、羽目板には野球のボールが当たった痕跡が残っていた。境内が広い神社では、ボール遊びによる蕃塀の破損はなかなか避けられないようである。
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by banbeimania | 2007-05-18 00:51 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

大口町上小口白山神社の蕃塀

 丹羽郡大口町上小口1丁目(大字小口字水戸)に所在する白山神社は、創建年代は不詳だが、大久地城主織田遠江守広近が小口神社とともに崇敬したと伝えられる。菊理姫命を祭神としている。

 上小口白山神社の蕃塀は3間巾の石造で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.4m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇上に切り石による礎石を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、左右に立体的な獅子紋、中央に五七桐紋が施されている。透かし部は、波涛を泳ぐ双龍紋が彫刻され、中央に「奉納」と記された扁額が彫刻されている。中央の羽目板裏面には「米寿祝 昭和五十五年十二月吉日 (人名1名分)建立」と刻まれている。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され外側に少し突き出ている。控え柱も石造で頭部が擬宝珠状に形作られている。

 上小口白山神社は、県道に面してすぐに鳥居があり、灯籠、百度石、蕃塀、灯明台、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬を経て基壇上の本殿に至る構成となっている。

 上小口白山神社の蕃塀は、特に透かし部の紋様構成が下小口白山社の蕃塀に類似している。刻書から昭和55年(1980)に製造されており、彫刻も風化しておらずシャープである。『大口町史』には、上小口白山神社の写真が掲載されているが、その写真にある蕃塀は木造瓦葺きの3間巾を持つものに見える。大棟の両端には鯱瓦らしい姿も存在する。おそらく昭和55年に木造から石造に建て替えられたのだろう。
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by banbeimania | 2007-05-17 00:18 | 蕃塀の事例 | Comments(0)