蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
カテゴリ
全体
蕃塀とは(はじめに)
蕃塀30選
蕃塀の事例
蕃塀を深める
探索の記録
検索
よろしかったらお願いします。クリック! click!
人気blogランキングへ
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

リンク
みちくさ学会
さぬき暮らし
あらいのじかん
愛知県神社庁
ひなたぼっこ
以前の記事
2013年 01月
2012年 06月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
最新のコメント
最近は全く更新していない..
by banbeimania at 08:18
通りすがりのものです。 ..
by サリー(宮総代の下っ端) at 20:29
皇室や糸屋ゆかりの大根焚..
by 環境大学新聞 at 15:08
とても魅力的な記事でした..
by 志望動機の書き方 at 09:43
はじめまして。 応援感..
by banbeimania at 22:08
はじめまして。 いつも..
by ならば at 13:02
いつも情報感謝しています..
by banbeimania at 01:02
最新のトラックバック
なんだろう?
from 龍を探して旅日記
【ネットができる宿|日本..
from ぱふぅ家のサイバー小物
岡崎市 レコード買取
from レコ-ド 買取
911 アメリカ 同時多..
from 【写真】 911 アメリカ ..
寺社建築の歴史図典
from ロドリゲスインテリーン
LOVE in Acti..
from ニコニコ笑う、トマトの笑顔な..
10・27請願受付の全容..
from 【日本を】10ゲ7『日本解体..
タグ
(1364)
(148)
(99)
(87)
(71)
(38)
(29)
(25)
(23)
(22)
(19)
(15)
(15)
(12)
(9)
(8)
(8)
(7)
(7)
(5)
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2007年 07月 ( 30 )   > この月の画像一覧

愛西市の蕃塀(その1)

 愛知県神社庁の資料によれば、愛西市には87社の神社が記載されている。私はこの6月までにこのうちの87の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した14例である。具体的には、柚木由乃伎神社、北一色八幡社、日置八幡宮、東保八幡社、葛木八竜社、千引奥津社、草平津島社、大野山須佐之男社、西川端神明社、宇太志神社、川北神社、藤ヶ瀬神社、立石八幡社、塩田神社である。

 この他の二子白山社、須依八幡社、須依天神社、内佐屋相江社、稲葉八幡社、金棒神明社、甘村井甘楽社、落合八幡社、西保星大明社、東条八幡社、西条八幡社、本部田八幡社、大井神社、大野神社、鰯江神明社八劔社舎殿、善太新田富士浅間社、早尾神明社、戸倉八幡社、新右エ門新田津島社、下一色神明社、四会八幡社、宮地神明社、石田石神社、雀ヶ森神明社、山路津島社、山路八幡社、森川梶島神明社、森川津島社、森川富岡神社、森川上古川神明社、小茂井津島社、小茂井八幡社、三和大明社、三和中ノ割神明社、三和田尻神明社、立田ギロ八幡社、立田船頭平八幡社、立田神明社、立田南鍋田八幡社、立田富安八幡社、勝幡神社、佐折神明社、古瀬熊野社、諸桑諸鍬神社、持中神明社、南河田神明社、北河田神明社、小津八竜社、諏訪大明神社、根高八幡社、見越六所社、町方新田五軒家津島社、町方新田神明社、町方新田彦作堤内津島社、鷹場新田須佐之男社、大野山八幡社、渕高新田神明社、上東川星大明神社、上東川金峯社、下東川秋葉社、下東川八幡社、鵜多須大山西神明社、鵜多須白山神社、鵜多須二本松神明社、二子山神社、二子津島社、給父神明社、高畑大明社、江西神明社、元赤目八幡社、赤目神明社、下大牧神明社、下大牧白髭社の73柱には蕃塀は認められなかった。

 以上の結果、愛西市では、愛知県神社庁のリスト中の約16%の神社で蕃塀が存在するという結果となった。この約16%という数値は、知多郡武豊町の約15.4%、名古屋市中区の12.5%、名古屋市天白区の約11.1%に近似し、丹羽郡扶桑町や大口町、西春日井郡豊山町、北名古屋市および犬山市などと比べると少ない。

 ところで、愛西市は平成17年(2005)に海部郡佐屋町、立田村、八開村および佐織町の2町2村が合併し発足した愛知県北西部の都市である。そこで合併以前の行政単位で検討すると、佐屋町では19社中4社、立田村では25社中1社、佐織町では21社中4社、八開村では22社中5社に蕃塀が認められるという結果になった。愛西市でも南西部に位置する旧立田村ではやや分布密度が小さくなるといえよう。
[PR]
by banbeimania | 2007-07-31 21:54 | 探索の記録 | Comments(0)

愛西市塩田神社の蕃塀

 愛西市塩田町字宮田に所在する塩田神社は、大正14年(1925)に八幡宮と神明宮を合祀し改称したものである。八幡宮は慶長12年(1607)に中野善右衛により創建された古社であった。祭神は八幡神・天照皇大神・水神・春日大明神である。

 塩田神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.4m、全高約1.8m、屋根長約2.5m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇上に、羽目板部、貫、連子窓部、屋根を下から順に積み上げて造られる。これは、多くの石製連子窓型蕃塀に見られた外側に柱を立てて屋根を載せる「外枠優先タイプ」ではなく、下位から部材を載せる「積み重ねタイプ」の石造連子窓型蕃塀といえる。また、連子窓部から直接屋根に至って透かし部を持たないものでもある。羽目板部は3枚の板材で構成され、中央の羽目板には龍紋が描かれ、両側の羽目板には「忠孝」という文字が浮き彫りされている。羽目板の裏面には草書で文字が多数刻まれているが、その多くを筆者は判読できなかった。連子窓部は円柱を8本立ててその上に屋根を載せている。屋根は寄棟に切り出され曲面をなす照り屋根となっている。大棟は外側には突き出ていない。

 塩田神社は正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬、基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。蕃塀のすぐ手前に樹木が2本生えていて、蕃塀を覆い隠すような状態であった。また、拝殿は切妻部を正面に向けるのではなく、屋根面を正面に向けていた。

 塩田神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、透かし部を持たない事や連子窓に円柱を用いることなどは草平津島社と北一色八幡社の蕃塀に近似するが、製作方法からみると外枠優先タイプではなく、積み重ねタイプである点は珍しいといえる。(写真は背面から撮影したものである)
e0113570_22455218.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-30 22:49 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市立石八幡社の蕃塀

 愛西市立石町字上に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不明である。寛文年間から文政年間にかけて赤目村地蔵院の持ち分になっていたという(『八開村史通史編』による)。祭神は応神天皇・迦具土神である。

 立石八幡社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約1.9m、全高約2.3m、屋根長約2.5m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。周囲に切り石を巡らせたコンクリート製基壇上に、切り石による礎石と布基礎を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を1本立てて2つの区画に分けており、両区画には倒立した獅子紋が施されている。透かし部は「工」字状の石製柱が5本立てて造られ、それ以外の紋様は見られない。右側羽目板部の裏面には「昭和十一年四月建之 寄附人(人名2名分)」と刻まれている。左下隅に小文字で製作者などが記されていたと思われるが、残念ながら判読できなかった。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しはなく、連子窓部は円柱を6本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、大棟は両端が外側にわずかに突き出ている。

 立石八幡社は正面から鳥居、灯籠群、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 立石八幡社の蕃塀は、昭和11年(1936)に製作された新しいものである。連子窓部に円柱が使用されているという特徴は、現状で愛西市に所在する蕃塀にしか認められないものである。
e0113570_152155.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-29 15:21 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市藤ヶ瀬神社の蕃塀

 愛西市藤ヶ瀬町字東藤に所在する藤ヶ瀬神社は、明治45年(1911)に白髭大明神と山ノ神社と秋葉社と富士社を春日大明神に合祀し、大正元年に改称した神社である。山ノ神社は藤ヶ瀬村領主の比叡氏が守護神として山神と秋葉権現を奉祀したものであるが、創建年代は不詳である。白髭大明神と春日大明神は明暦元年(1655)に相殿として奉祀された。富士社は貞享元年(1684)に境内社として奉祀された。祭神は天児屋根命・奥山津見命・木花咲耶姫命・猿田彦命・迦具土神である。

 藤ヶ瀬神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.6m、屋根長約3.8m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷きの参道に切り石による礎石を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に倒立した獅子紋が、中央の区画には牡丹紋が施されている。透かし部は双龍紋が彫刻され、頭部を両端に配置して中央に「藤ヶ瀬神社」と記された扁額を持つBタイプであった。連子窓部の上位の貫の正面には「奉納」と彫り込まれている。羽目板部の裏面には「平成元年十二月吉日建之 (人名17名分) 藤ヶ瀬大正会寄進」と刻まれている。羽目板裏面の隅には石久石材店の金属プレートが貼付けられていた。プレートには「墓石専門店(各種墓石・記念碑) 設計・施工 石久石材店 早川岩男 津島市城山町2の106 TEL(電話番号)」と印刷されていた。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後と外側にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、大棟は両端が外側に突き出ている。

 藤ヶ瀬神社は正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。蕃塀から拝殿までの参道が比較的長い。

 藤ヶ瀬神社の蕃塀は、平成元年(1989)に製作された新しいもので、彫刻は鮮明で美しい。本蕃塀も、川北神社の蕃塀と同様に津島市所在の石久石材店の作品である。川北神社の蕃塀は透かし部の双龍紋がAタイプであったが、藤ヶ瀬神社の蕃塀はBタイプで異なっている。ただし、彫刻の雰囲気や金属プレートを使用することなどの共通する点も多く認められる。
 ここで注目したい点は、石久石材店の作品は広く分布する透かし部を持つタイプの石造連子窓型蕃塀であることだ。すなわち、現状で愛西市に限られて分布している透かし部を持たないタイプの石造連子窓型蕃塀を、石久石材店は継承していないということになる。
e0113570_04345.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-28 00:05 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市川北神社の蕃塀

 愛西市川北町字下に所在する川北神社は、明治43年に恵比須宮と山王宮(日吉社)と神明宮の3社が合祀されてできた神社である。『尾張徇行記』では、恵比須宮は慶安年中に大水に流され現地に遷座したといい、山王宮は元禄5年(1692)に長兵衛という者が再造したとあり、神明宮は正保2年(1645)に村人新左衛門が祀ったという。祭神は事代主神・豊受大神・大山咋神・漆部天神・迦具土神・建速須佐之男命である。

 川北神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.5m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷きの参道に切り石による礎石を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は円柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に倒立した獅子紋が、中央の区画には牡丹紋が施されている。透かし部は双龍紋が彫刻され、頭部を両端に配置して中央に扁額を持たないAタイプであった。連子窓部の上位の貫の正面には「奉納」と記されている。中央羽目板部の裏面には「昭和五十四年二月吉日 御縁感謝 (人名12名分)」と刻まれている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、大棟は両端が外側に突き出ている。なお、連子窓部の下位の貫の裏面には津島市城山町に所在する石久石材店の金属プレートが貼付けられていた。

 川北神社は正面から鳥居、狛犬、灯籠、蕃塀、灯籠群、二の鳥居、壁の無い吹き抜けの拝殿、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 川北神社の蕃塀は、昭和54年(1979)に製作された新しいもので、彫刻は鮮明で美しい。石工角田六三郎の作品に多く見られるAタイプの透かし部の双龍紋が本蕃塀にもみられるが、作者は津島市所在の石久石材店であった。
e0113570_036846.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-27 00:37 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市宇太志神社の蕃塀

 愛西市鵜多須町字下中山道下に所在する宇太志神社は、『延喜式神名帳』に記載される式内社で、創建は白鳳元年(672)12月と伝えられる。白髭大明神とも呼ばれ、創建以来幾多の自然災害に遭遇したため棟札や古記録が散逸し詳細の由来は不明である。祭神は邑上足尼命・金山彦命である。

 宇太志神社の蕃塀は、4間巾のコンクリート造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たない石造連子窓型蕃塀を模倣して、全てをコンクリートで一体化して構築されている。模倣された石造蕃塀の形状(イメージ)は、方形の礎石上に円柱を2本立てて屋根を載せ、その内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部の順に積み重ねたタイプである。連子窓部の上に透かし部を持たないものであり、草平津島社と北一色八幡社の蕃塀に類似している。羽目板部は角柱を用いずに4区画に分けられており、それぞれの無紋である。連子窓部は9本の角柱を用いた形状に作られ、屋根は寄棟に切り出され大棟は外側に突き出ている。羽目板部裏面の隅に「昭和四十五年五月 寄附者(地名+人名1名分)」と刻まれた黒色の石製プレートが埋め込まれていた。羽目板の下位には排水用の方形孔が存在する。

 宇太志神社は正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの拝殿から渡殿以降の本殿施設群に至る構成を持つ。蕃塀と拝殿の間には長い参道が延びていた。

 宇太志神社の蕃塀は、昭和45年(1970)に製作されたものである。コンクリート製であるものの、草平津島社と北一色八幡社の蕃塀と同様の石造連子窓型蕃塀を忠実に模したものと評価できる。コンクリート製であるためか、羽目板部の間に入れるべき柱がないことや、基部に排水孔があることなどの特徴が認められる。作者は不明である。
e0113570_02798.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-26 00:28 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市葛木八龍社の蕃塀

 愛西市葛木町字長池に所在する八龍社は、古くから落雷除難の守護神として崇敬せられる神社で、手力男命・猿田彦命・邇々伎命を祀っている。神社の古記録には「奉勧請難陀八龍王 国家安全武運長久村中繁盛祈所 葛木村草切住人橋本弁作 慶長十五年八月七日 勧請社僧津島全性院 大工津島伊藤作司」とある。慶長十五年(1610)に創建されたものと思われる。

 葛木八龍社の蕃塀は、4間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.0m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず地面に直接円柱を2本立てて屋根を載せている。おそらく地面の下に礎石があるものと推測される。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を3本立てて4つの区画に分けているが、特に彫刻は施されていない。円柱上部に三角形の石材を載せてその上に屋根板を載せている。三角形の石材によって上位の貫の上部が透かし部となっている。連子窓部は角柱を9本立てて造られる。連子窓部は、通常は角材を斜めに配置するのだが、本例は貫と平行する形で並び平板な連子窓となっている。屋根は平坦な薄い直方体の石材を山形に置いて造り、結果切妻屋根となっている。大棟は両端が外側に突き出ている。4枚の羽目板部の裏面には「大正九年一月建之 寄附人 (人名24名分)」と刻まれている。

 葛木八龍社は正面から灯籠、鳥居、蕃塀、長い参道と灯籠群を経て、狛犬から基壇上の本殿およびその覆屋に至る構成を持つ。蕃塀から本殿(あるいは拝殿)までの距離が、鳥居から蕃塀までの距離よりもはるかに長くなっている。
e0113570_083328.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-25 00:09 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市東保八幡社の蕃塀

 愛西市東保町字宮越に所在する八幡社は、『尾張徇行記』に「荷之上村、五ノ三村の氏神なり、社内一反歩御除地位、鎮座年紀は不詳である」という。昭和20年(1945)5月に戦災に遭い社殿や棟札などを焼失したが、後に社殿・拝殿などを新築し今日に至る。応神天皇を祭神とする。

 東保八幡社の蕃塀は現存しないが、木造蕃塀の基礎と思われる構造がかろうじて残っている状態であった。

 詳細の構造は次の通りである。基壇を持たず直接地面に平面円形の礎石が2個据え付けられていた。礎石の中央には円形の穴が穿たれていて、その中には一部木材が残存していた。このことから礎石上には円形の木柱が立っていたと推測できる。状況からみて灯籠や手水舎などとは思われず、蕃塀の基礎と想定した。

 東保八幡社は正面から鳥居、蕃塀(の基礎)、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、移殿を通じて基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 東保八幡社の蕃塀は基礎のみが残存するもので、上位の構造は不明である。むろん製作年代なども全く分からない。昭和20年5月の社殿などを焼失した戦災に伴い蕃塀も滅失し、その後再建されることがなかったのであろうか。
e0113570_0211587.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-24 00:23 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市日置八幡宮の蕃塀

 愛西市日置町本郷に所在する日置八幡宮は、源頼朝が勧請したと伝えられる。光明院の由緒に「当社は養和元年(1181)源頼朝公大檀主として海部郡日置荘の本所なる日置村に八幡宮を鎮座する。同社の別当光明院を創建する」とある。社宝には明応2年(1493)銘懸仏と享徳3年(1454)銘獅子頭などがある。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫である。

 日置八幡宮の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.9m、全高約3.2m、屋根長約5.3m、屋根巾約0.8mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇上に切り石による礎石と布基礎を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は幅広い角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に倒立した獅子紋が、中央の区画には虎紋が施されている。裏面は両側の区画に狛犬が表現されている。透かし部は双龍紋が彫刻され、頭部を両端に配置して中央に扁額を持たないAタイプであった。中央羽目板部の裏面には「昭和四年十月 寄附人 美和村大字古道 醫師(人名1名分) ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」と刻まれている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後と両側にあり、連子窓部は角柱を15本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され大棟の両端に鬼板が置かれている。控え柱も石造で頭部は宝珠に形作られている。

 日置八幡宮は正面から一の鳥居、灯籠、木造将門?、蕃塀、灯籠群、二の鳥居、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿から本殿施設群に至る構成を持つ。

 日置八幡宮の蕃塀は、羽目板部の裏面に狛犬紋が彫刻されていることなどを含めた紋様構成が、同じ津島市の西川端神明社の蕃塀と極めて類似している。しかし作者に着目すると、西川端神明社の蕃塀は津島の石工によるものであったが、日置八幡宮の蕃塀は名古屋市西区角田六三郎の作品であり、同一ではない。津島の石工と角田六三郎には何らかの密接な関係があるのだろうか。なお、日置八幡宮の蕃塀は昭和4年(1929)のものである。
e0113570_084690.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-23 00:09 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

愛西市北一色八幡社の蕃塀

 愛西市北一色町北田面に所在する八幡社は、創建年代は不詳である。神社に伝わる棟札のうち最古のものは天明元年(1781)のものであるが、創建はそれよりも古いと思われる。祭神は応神天皇である。

 北一色八幡社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約1.9m、屋根長約2.6m、屋根巾約0.4mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に角柱を2本立てて屋根を載せてつくる。角柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部の順に石材を積み重ねている。連子窓部の上にあるべき貫と透かし部を持たないタイプである。羽目板部は幅広い角柱を1本立てて2つの区画に分けており、それぞれの区画に獅子紋が向き合って彫刻されていた。中央貫の正面に「八幡社」、両側角柱の正面には「奉納」と記されている。両羽目板の裏面には文字が刻まれているが、残念ながら「古御札入」と記されたスチール製物入れが据え付けられており、全文を読むことができない。かろうじて、左側羽目板の裏面に「昭和九年十月建之」と読み取ることができた。角柱に腕木などを模した張り出しは無く、連子窓部は円柱を8本立てて造られる。屋根は丸く照り屋根の形状で寄棟に切り出されるが、大棟は低くその両端は鬼板状に作られている。

 北一色八幡社は正面から一の鳥居、二の鳥居、蕃塀、灯籠群、狛犬、格子窓をはめた壁の無い吹き抜けの拝殿から渡殿以降の本殿施設群に至る構成を持つ。

 北一色八幡社の蕃塀は、昭和9年(1934)に製作されたが、作者は不明である。形状は透かし部を持たないタイプの石造連子窓型蕃塀であり、このタイプは草平津島社についで本例が2例目である。連子窓部が円柱を立てて造られること、屋根は丸く照り屋根の形状になること、正面に見える文字の配置なども草平津島社によく似ている。草平津島社の蕃塀と北一色八幡社の蕃塀は、同じ(系統の)石工によるものと推測されよう。
e0113570_00813.jpg

[PR]
by banbeimania | 2007-07-22 00:00 | 蕃塀の事例 | Comments(0)