蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
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<   2007年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧

神社探訪余話(7)賽銭泥棒

 節目を迎えた瞬間から記事が途絶えてしまった。私事ながら9月は公私とも行事が多く、とうとうこの月末は疲れ果ててしまったためであるが、流石に寄る年波には勝てないといったところであろうか? ようやく復活しつつあるので、そろそろマニアを続けていきたいと思う。

 さて最近は、どうやら各地の神社で賽銭泥棒が多く出没しているようである。だからといって、もちろん私は決して賽銭泥棒ではないし、幸いにして賽銭泥棒に出会ったことも無い。また、私自身が神職であるとか神社に深く関わる立場であるということもない。したがって、賽銭泥棒の被害の多さについて直接的に実感することはないのである。

 しかし、神社や氏子等はあまりの被害の多さにその対応策を講じざるを得ず、私はその対応策のいくつかをみることがある。最も多くみられる対策は賽銭箱を厳重に管理することである。賽銭箱に施錠するばかりではなく、賽銭箱を金属製の小型のものにしたり、マメに賽銭を回収しそのことを明示したりしている。その上、賽銭の直接的な被害額よりも、その泥棒行為による器物破損の方が被害は大きいためか、賽銭そのものを固く断る神社すら存在している。

 さらに、警戒体制が強くなると、賽銭箱や社務所に不用意に近づくと警報装置が作動し警報音が鳴り響く場合もある。その場合は、通常の参拝経路ではあまり通ることがない場所に入った時に鳴ることが多く、やむを得ないことだなと思う。しかし、名古屋市内のある神社では、拝殿の前に鎮座する阿吽の両狛犬の間に入った瞬間にいきなり警報音が鳴り響いた。さすがにこれには驚き、「少しやり過ぎだ」と感じた。これでは一般の人は拝殿の前に立って参拝するなと言っているようなものである。だが、逆に考えれば、神社に対する盗難やいたずらは、そこまで対策しなければならないほど深刻な状況であることがわかる。

 新世紀が始まったばかりなのに「世も末」なのである。
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by banbeimania | 2007-09-30 23:19 | 探索の記録 | Comments(0)

節目(その2) 祝 投稿記事200回

 さて、本年1月から始めた本ブログも、本日をもって200回目の投稿を迎えた。これまでに、ある地域にしか見られない神社の一パーツである蕃塀は、細かく見れば様々な種類があり、しかもそれが製作者や製作年代と関連している可能性を指摘してきた。こうした中、蕃塀の実態の解明はなかなか奥が深いものであると感じている次第である。

 ここ暫くは、引き続き、蕃塀の事例を紹介するつもりであるが、またいずれ機会を見つけては、紹介してきた蕃塀の形態分類などを再整理してみたいと考えている。

 さて、さて、どうなることやら。
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by banbeimania | 2007-09-24 22:09 | 探索の記録 | Comments(0)

節目(その1)

 実は、今週の初めに、私が蕃塀を調査し始めて丁度丸1年を迎えた。豊橋市石巻本町にある石巻神社(下社)で、これまでよく分からなかった謎の塀が「蕃塀」と呼ばれるものであることが判明し、弥富市鏡島神明社を皮切りに神社の参拝を開始して1年になるのである。この1年間に訪問した神社は全部で1156社であり、愛知県に所在する神社の約三分の一に相当する数となる。振り返ってみればよく回れたものだなあと、我ながら感心する。単純に計算すれば、あと2年で県内の神社を踏破することになるが、初期の頃に比べ最近は参拝するペースも落ち、なかなか思うに任せられないのは残念なことである。

 まあ、それでもあせらずにマニアを続けていきたいと、改めて思う次第である。
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by banbeimania | 2007-09-22 23:25 | 探索の記録 | Comments(0)

稲沢市稲島町八龍社の蕃塀

 稲沢市稲島町6丁目に所在する八龍社については、創建年代など詳細は不明である。寛文13年(1673)に記された『寛文村々覚書』には稲島村に八龍・八幡・神明二社の4社があるといい、八龍社は「前々除」と記されている。慶長年間以前から八龍社は存在したものと推測される。祭神は社名からみて龍神と推察されるが、詳細は不明である。

 稲島八龍社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.6m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製の参道が幅広くなった部分に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。右側の羽目板部裏面には「昭和四十年十月建之」、右側の円柱裏面には「岡崎市 石匠新美栄太郎」と刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部をやや中央に寄せて配置するDタイプで、中央に「八龍社」と記された扁額を持っている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根で、大棟は外側にほとんど突き出ていないものである。

 稲島八龍社は正面か鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 稲島八龍社の蕃塀は、昭和40年(1965)に岡崎市の石匠新美栄太郎によって製作されたものである。新美栄太郎作の蕃塀には、昭和39年(1964)製作の愛西市千引奥津社の蕃塀がある。稲島八龍社の蕃塀と千引奥津社の蕃塀は、透かし部の双龍紋のタイプは異なるが、正しく透かし状にならない点は共通している。円柱の裏面に銘を入れる点も共通しており、新美栄太郎作の蕃塀には一定の特徴が存在するかもしれない。
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by banbeimania | 2007-09-21 23:25 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市島町二ノ宮社の蕃塀

 稲沢市島町北浦に所在する二ノ宮社(二ノ宮大明神)については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には「前々除」と記載され、『尾張州志略』には「修験道来長院奉社祀」と記されている。祭神は不明である。

 島町二ノ宮社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。一方、羽目板部裏面には文字が記されて、人名20名分が刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は龍の頭部が左端と中央に配置されて向かい合うCタイプであった。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、大棟の両端は外側に突き出ている。控え柱の代わりに石製の斜めに支える角材がボルトで固定されていた。

 島町二ノ宮社は正面から灯籠、鳥居、長い参道に蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬を経て、基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 島町二ノ宮社の蕃塀は、製作者や年代は不明である(初期の頃に参拝したので十分に観察されていない可能性もあるが)。透かし部の双龍紋はCタイプであるが、稲沢市内でCタイプに属するものには、北市場立部社の蕃塀や堀之内天神社の蕃塀がある。ともに名古屋市西区の石工角田六三郎が製作したものであるので、島町二ノ宮社の蕃塀も同じ作者なのかも知れない。
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by banbeimania | 2007-09-18 23:46 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市日下部中町草部神明社の蕃塀

 稲沢市日下部中町6丁目に所在する草部神明社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』に記載された日下部村の神明二社のうち、日下部3丁目神明社とは別の1社に該当するものと思われ、「前々除」と記されている。祭神は社名からみて天照大神と推察される。

 草部神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.5m、屋根長約3.8m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。低いコンクリート製基壇に礎石を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に前足を鞠にのせた獅子紋が、中央の区画に虎紋が彫刻されている。一方、羽目板部裏面には文字が記されているが、調査した時点では木材が山積みになっていて十分に観察できなかった。かろうじて、左側の羽目板部裏面には「昭和十二年(以下不明)」、中央の羽目板部裏面には「寄附人 当所 (以下不明だがおそらく人名1名分)」と刻まれていることが分かった。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を両端に配置し扁額を持たないAタイプであった。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を13本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、屋根面は反っている。大棟の両端には鬼板が配置されている。控え柱は全て石製で、控え柱の頭部は宝珠形に造られている。

 草部神明社は正面から鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、コンクリート製平入拝殿などを経て、本殿に至る構成を持つ。

 草部神明社の蕃塀は、昭和12年(1937)に製作されたもので、透かし部の双龍紋はAタイプである。これまで確認されたAタイプの双龍紋を持つ蕃塀は、一部を除き名古屋市西区の石工角田六三郎の手によるものであった。本蕃塀は諸事情により製作者を確認できなかったが、おそらく石工角田六三郎の作品と想定される。
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by banbeimania | 2007-09-17 21:17 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市日下部中町3丁目神明社の蕃塀

 稲沢市日下部中町3丁目に所在する神明社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』に記載された日下部村の神明二社のうちの1社に該当するものと思われ、「前々除」と記されているので慶長年間以前から存在したものと推測される。祭神は社名からみて天照大神と推察される。

 日下部3丁目神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.1m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に倒立した獅子紋が、中央の区画に虎紋?が彫刻されている。一方、左側の羽目板部裏面には「昭和十二年十月」、中央の羽目板部裏面には「寄附人 名古屋市 (人名1名分)」、右側の羽目板部裏面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」と刻まれている。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を両端に配置し扁額を持たないAタイプであった。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、屋根面は反っており大棟は両側が外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、控え柱の頭部は宝珠形に造られている。

 日下部3丁目神明社は正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。参道はコンクリート製杭で区画されその中に玉砂利が敷かれているが、蕃塀の付近の参道は平面が円形に膨らむ形で迂回している。

 日下部3丁目神明社の蕃塀は、昭和12年(1937)に石工角田六三郎によって製作されたものである。これまで確認されたAタイプの双龍紋を持つ蕃塀は、作者不明の蕃塀と愛西市所在の蕃塀を除き、全て名古屋市西区の石工角田六三郎の手によるものであった。本蕃塀も透かし部の双龍紋はAタイプであり、これまでの見解とは矛盾しない。なお、蕃塀を迂回する参道をはっきりと示すものは、今のところそれほど多くは見られないようである。
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by banbeimania | 2007-09-16 22:22 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市日下部中町白山社の蕃塀

 稲沢市日下部中町に所在する白山社については、創建年代など詳細は不明である。寛文13年(1673)に記された『寛文村々覚書』には日下部村に神明二社・弁才天・白山の4社があるといい、「前々除」と記されている。慶長年間以前から白山社は存在したものと推測される。祭神は社名からみて菊理姫命と推察される。

 日下部白山社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約1.7m、屋根長約2.6m、屋根巾約0.4mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は両側の区画に倒立した獅子紋が、中央の区画に牡丹紋が彫刻されている。一方、裏面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を両端に配置して中央に「白山社」と記された扁額を持つBタイプであった。両側円柱の表面には「奉納」、左側円柱の裏面には「氏子中」、右側円柱の裏面には「平成元年八月建之」と刻まれている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、屋根面は盛り上がって曲面をなしている。大棟は低く両側は外側に突き出ていない。控え柱は全て石製で、控え柱の頭部は宝珠形に造られている。

 日下部白山社は正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 日下部白山社の蕃塀は、平成元年(1989)に製作されたもので、作者は不明である。透かし部の双龍紋はBタイプであるが、これまでに紹介してきた蕃塀でこのBタイプに属するものは昭和後期以降のものが多く、透かし部は正しく透かし状になっていないという特徴を持っていた。本蕃塀もこの特徴を備えており、一定のパターンが存在することが分かる。
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by banbeimania | 2007-09-14 22:59 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市北市場町立部社の蕃塀

 稲沢市北市場町屋敷に所在する立部(たちべ)社については、由緒などを記した資料を入手することができず、詳細は不明である。立部社では毎年7月の第3土曜日に稲沢市指定文化財になっている「こがし祭り」が行われている。稲沢市のホームページでは、『この祭りの由来には諸説あるが,その一つに,江戸時代の寛文年間に飢饉が起きたとき,村の名主の夢枕に須佐之男命が現れ,「少しの麦でもいいから奉納してくれ」というお告げどおりにしたところ飢饉が収まったため,神様に感謝する祭りが始まったと言われている。』という。上記のことからみて祭神は須佐之男命と思われる。


 北市場立部社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は円柱?を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。中央の区画裏面には「寄附人 (人名15名分) 大正十三年十月」と刻まれている。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は龍の頭部が左端と中央に配置されて向かい合うCタイプであった。左側円柱の側面に「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎作」と記されていた。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、大棟は両側に少し突き出ている。控え柱は存在しないが、背面に斜めに石製角材で支え棒が渡され、ボルトで固定・補強されている。

 北市場立部社は正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 北市場立部社の蕃塀は、大正13年(1924)に名古屋市西区の石工角田六三郎が製作したものである。透かし部の双龍紋はCタイプであるが、角田六三郎の作品でCタイプに属するものには、北名古屋市石橋八幡社と稲沢市堀之内天神社の蕃塀がある。
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by banbeimania | 2007-09-12 23:56 | 蕃塀の事例 | Comments(1)

稲沢市井之口町日吉社の蕃塀

 稲沢市井之口町大宮前に所在する日吉社については、創建年代など詳細は不明である。寛文13年(1673)に記された『寛文村々覚書』には井之口村に山王・大明神の2社があると記されている。祭神は社名からみて大物主神または大山咋神と推察される。

 井之口日吉社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.5mを測り、両側は控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は円柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。3枚の羽目板裏面には「昭和八年五月建之 大阪市(人名2名分)」と刻まれ、その左下には「長束 石松作」と記されている。透かし部は中央に「井桁に口字」の紋様が記された扁額があり、その両側には概略方形の透かしが開いているものであった。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を11本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、屋根面がやや膨らむ照り屋根となっている。大棟は両端が外側にやや突き出ている。控え柱は全て石製であり、鉄製ボルトで固定されていた。控え柱の頭部は簡略化された宝珠に形作られていた。

 井之口日吉社は正面から一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、蕃塀、狛犬、コンクリート製妻入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群に至る構成を持つ。

 井之口日吉社の蕃塀は、昭和8年(1933)に長束(現稲沢市長束町?)の石工石松が製作したものである。石松が製作した蕃塀には、同じ稲沢市の赤池諏訪社の蕃塀がある。両者は、透かし部に扁額を持つが、その他には彫刻や施紋がなされない点が共通する。こういったことが、石松が製作する蕃塀の特徴なのかも知れない。
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by banbeimania | 2007-09-10 23:56 | 蕃塀の事例 | Comments(0)