蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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稲沢市西島町神明社の蕃塀

 稲沢市西島町下山に所在する神明社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』に記された天神・八幡・神明の3社のうちの神明がこれに相当すると思われる。祭神は社名からみて天照大神と推察される。

 西島神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石による石畳の参道中にコンクリート製の地盤を設け、そこに礎石と布基礎を配置しその上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角を落とした角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した二重の方形を切り出していて装飾的な彫刻などは全く認められない。中央の羽目板部裏面には「昭和十二年十月 寄附人 (人名2名分)」と刻まれていた。透かし部は桃実状に切り出された柱が5本配置されており、中央3本には「神明社」と文字が刻まれていた。これ以外に彫刻等は認められない。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された照り屋根となっており、大棟は外側にわずかに突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に形作られている。

 西島神明社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、灯籠から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 西島神明社の蕃塀は、昭和12年(1937)10月に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、西島天神社の蕃塀と細部に至るまで非常によく似ていて、建立年月や寄附人の名前まで同じであった。寄附人は旧西島村にあった2カ所の神社の蕃塀を同時に設置したものと考えられる。もちろん、製作者も同一であろう。
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by banbeimania | 2007-10-31 21:42 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市西島本町天神社の蕃塀

 稲沢市西島本町に所在する天神社については、創建年代など詳細は不明である。寛文13年(1673)に記された『寛文村々覚書』には西島村に天神・八幡・神明の3社があり、いずれも「前々除」と記されている。祭神は社名からみて菅原道真と推察される。

 西島天神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。一部が崩落したコンクリート製基壇上に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角を落とした角柱を2本立てて3つの区画に分けており、表面は隅を丸く加工した二重の方形を切り出していて装飾的な彫刻などは全く認められない。中央の羽目板部裏面には「昭和十二年十月 寄附人 (人名2名分)」と刻まれていた。透かし部は桃実状に切り出された柱が5本配置されており、中央3本には「天神社」と文字が刻まれていた。これ以外に彫刻等は認められない。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された照り屋根となっており、大棟は外側にわずかに突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に形作られている。

 西島天神社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠群、狛犬から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 西島天神社の蕃塀は、昭和12年(1937)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀の透かし部の装飾性を持つ柱を立てる形で造られているが、このようなタイプの事例は、犬山市木津三明神社等わずかであるが存在する。
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by banbeimania | 2007-10-30 22:43 | 蕃塀の事例 | Comments(1)

稲沢市清水町清水神社の蕃塀

 稲沢市清水町鎮守に所在する清水神社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には清水村に天神と白山があるという。清水神社の境内にある石柱などから推察すると、この天神と白山が合祀されて清水神社と改称されたのではないかと思われる。この推察が正しければ、祭神は社名からみて菅原道真と菊理媛命と思われる。

 清水神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約2.3m、屋根長約3.0m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇上に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に材を積み重ねている。羽目板部は中央に幅広の柱を1本立てて2つの区画に分け、その両区画には倒立した獅子紋が削り出されている。左側の羽目板部裏面には「御大典紀念 昭和三年十一月」、右側の羽目板部裏面には「清水氏子中 ナゴヤ西区八坂町 石工 角田六三郎」と刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を両端に配置し扁額を持たないAタイプである。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を7本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された反りを持つ屋根で、大棟は両外側に突き出た状態である。大棟の中央には丸に梅紋が彫り出されている。また、倒壊を防ぐため円柱の外側の屋根に鉄筋が差し込まれていた。

 清水神社は、正面から灯籠、百度石、一の鳥居、灯籠、二の鳥居、蕃塀、灯籠、神牛、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 清水神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に名古屋市西区八坂町の石工角田六三郎により製作されたものである。様々な彫刻の紋様構成は多くの角田六三郎作の蕃塀に見られるものであるといえる。なお、本蕃塀は、大棟に丸に梅紋が認められることから、本来は天神社に対して建設されたものであった可能性が考えられる。
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by banbeimania | 2007-10-29 23:15 | 蕃塀の事例 | Comments(2)

稲沢市天池東町八幡社の蕃塀

 稲沢市天池東町に所在する八幡社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には天池村に八幡・権現・大明神・天神・権現・鎮守の六社があるといい、「前々除」と記されている。祭神は社名からみて応神天皇と推察される。境内には記念碑があり、表には「昭和卅八癸卯年三月竣功 八幡社拝殿渡殿手水舎再建記念碑 天池氏子中 国府宮々司田島仲康識」、裏には「昭和三十四年九月二十六日伊勢湾台風により拝殿手水舎倒壊のため昭和三十七年八月着工してこれを再建す (以下略)」と記されていた。

 天池東八幡社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約2.2m、屋根長約2.8m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切石で周囲を囲まれた基壇上に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に材を積み重ねている。羽目板部は中央に非常に柱を1本立てて2つの区画に分けた状態となっており、その両区画には獅子紋が削り出されている。左側の羽目板部裏面には「昭和三十八年三月建之 寄進 (人名3名分)」、右側の羽目板部裏面には「岡崎市石工 永田清一」と刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、頭部を中央に寄せた状態で向かい合い中央に「八幡社」と記された扁額が存在するものである。透かし部の分類ではDタイプに近いが、扁額を持つ点が異なる。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を7本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された緩い反りを持つ屋根で、大棟は両外側にわずかに突き出ている。控え柱も全て石製であるが、柱の高さは比較的短く、頭部は宝珠形に形作られている。

 天池東八幡社は、正面から灯籠、一の鳥居、長い参道、二の鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの鉄筋コンクリート製妻入拝殿、渡殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 天池東八幡社の蕃塀は、昭和38年(1963)に岡崎市の石工永田清一により製作されたものである。石碑の記述も合わせて考えると、拝殿・渡殿・手水舎の再建に合わせて蕃塀も同時に再建されたものと推測される。作者の永田清一を特定することはまだできていないが、現在の岡崎石工団地協同組合に属する株式会社永田石材問屋に相当するのであろうか。本蕃塀の龍と獅子の彫刻は細工が精細で美しい。透かし部の双龍紋は、他の多くの蕃塀と類似してはいるが、紋様パターンを類型化すると同類に属するものはなく、結果的に石工永田清一独特の作風となっているといえる。
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by banbeimania | 2007-10-28 20:37 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市桜木宮前町八坂社の蕃塀

 稲沢市桜木宮前町に所在する八坂社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には桜木村に天王があるといい、『尾張徇行記』には「草創ノ由来ハ不伝ト也」と記されている。祭神は社名からみて素盞嗚尊と推察される。

 桜木宮前八坂社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.3m、屋根長約2.8m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇上に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に材を積み重ねている。羽目板部は中央に非常に柱を1本立てて2つの区画に分けた状態となっており、その両区画には虎紋?が削り出されている。左側の羽目板部裏面には「昭和三年七月」、右側の羽目板部裏面には「寄附人 (地名+人名5名分) ナゴヤ西区八坂町 石工 角田六三郎」と刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を両端に配置し扁額を持たないAタイプである。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を8本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出された緩い反りを持つ屋根で、大棟は両外側に突き出た状態である。円柱の背面には斜めに支え棒の角材が設置され、ボルトで固定されていた。

 桜木宮前八坂社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 桜木宮前八坂社の蕃塀は、昭和3年(1928)に名古屋市西区八坂町の石工角田六三郎により製作されたものである。羽目板部には獅子紋が用いられることが多いが、本蕃塀の場合は体躯が縞状に表現されていることから虎紋が使用されたと考えられる。獅子紋が全くなく虎紋のみで構成される事例は非常に珍しいといえよう。
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by banbeimania | 2007-10-27 22:34 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

ちょっと驚いた(兼 本ブログの概要紹介)

 一昨日から急に訪問者数が激増した。桁が2桁くらい異なるアクセス数にいきなり跳ね上がり、一体どうしたのだろうと思った。少し調べた結果、10月24日にYahoo!カテゴリーの新着サイトに本ブログが紹介されたことがきっかけであることが判明した。生活と文化>宗教>宗教別>神道>神社のカテゴリーに登録されたようである。
 まさか、まさか、こんなマニアックなネタで、しかも決してやさしいとは言えない文章で淡々と事例紹介を続けている本ブログが登録されるとは、ちょっと驚いた。
 せっかくの機会なので、これまでに分かってきたことを簡単に整理して、本ブログの内容を紹介してみたいと思う。


蕃塀とは
 蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である。辞書などでは「蕃塀」は伊勢神宮のものを指すことが多い。

蕃塀の分布
 今のところ愛知県西部(尾張平野)を中心に分布し、岐阜県や三重県や愛知県東部(三河)にもわずかに存在するようだ。少なくとも旧丹羽郡・旧西春日井郡・旧中島郡あたりは蕃塀が濃密に分布する地域と思われる。よく「愛知県の大きな神社に多い」という解説を目にするが、大きな神社でも蕃塀が無い神社もある(例えば犬山市大県神社など)し、小規模な神社でも蕃塀を持つ事例は数多いので、神社の規模と蕃塀の有無については関連性が薄いといえる。また式内社であるか否かもあまり関係がない。

蕃塀の起源
 蕃塀の発生については全く知り得ていない。文献や記録などをもっと調べる必要がある。確認できた最古の蕃塀は、宝暦2年(1752)に編纂された地誌『張州府志』に描かれた稲沢市尾張大国霊神社と名古屋市熱田神宮と一宮市真清田神社の蕃塀である。

蕃塀の種類
 蕃塀は、形状から大きく連子窓型蕃塀と衝立型蕃塀に分類でき、愛知県下では圧倒的に連子窓型蕃塀が多い。材質に着目すると木造と石造などがある。状況からみて、当初は木造連子窓型蕃塀であったのが、後に石造連子窓型蕃塀に変化するケースが散見される。石造連子窓型蕃塀は製作年代や作者が判明する資料が多く、現在のところ大正9年(1920)が最古の事例である。大正9年から数年間は様々な石造連子窓型蕃塀ができたが、昭和初期になるといくつかの職人が定型化した蕃塀を製作するようになったと感じられる。

伊勢神宮との関連
 未だに実見していないが、伊勢神宮の蕃塀は衝立型蕃塀であり、案外愛知県に多数分布する連子窓型蕃塀とは関係が極めて薄いかもしれない。愛知県に多い連子窓型蕃塀は、本当は江戸時代の地誌類にみられる「透垣」と呼んだ方が良いかも知れないと感じ始めている。
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by banbeimania | 2007-10-26 23:17 | 蕃塀とは(はじめに) | Comments(4)

稲沢市船橋町熊野神社の蕃塀

 稲沢市船橋町市場に所在する熊野神社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』や『尾張徇行記』には熊野神社の記述は認められない。祭神は社名からみて応神天皇と推察される。

 船橋熊野神社の蕃塀は、1間巾?の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.3m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。(2007年10月25日時点では私の調査上の不手際で大きさは測定できていなかった。その後改めて参拝し測定し2009年6月13日加筆修正した。)

 詳細の構造は次の通り。基礎は土砂に埋もれて詳細の構造は不明であるが、コンクリート製基壇上に直接円柱を2本立てて屋根を載せているようにみえた。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫の順に材を積み重ねていて、透かし部を持たない。羽目板部は5枚の石製縦羽目板が挟み込まれ、表面は羽目板全体に飛翔する5羽の鳥に波涛紋が彫刻されていた。中央の羽目板裏面には「大正九年一月  寄附者 (人名2名分)」右端の羽目板裏面には「石工 ナゴヤ西区八坂町 角田六三郎」と刻まれていた。連子窓部は、4本の角柱と3枚の幅広い石板を交互に立てて造られていて、これまでには見られない珍しい形状である。石板には亀甲紋に「大」字紋が描かれている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、屋根は切妻状に切り出された反りを持つ屋根で、大棟の両端には鬼板が配置されていた。

 船橋熊野神社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 船橋熊野神社の蕃塀は、大正9年(1920)1月に名古屋市西区八坂町の石工角田六三郎によって製作されたものである。石工角田六三郎には多くの蕃塀の作品があるが、本蕃塀は形状が極めて特異であった。
 過去(本ブログ2007年8月1日条「愛西市の蕃塀(その2)」)に、愛西市には通常の石造連子窓型蕃塀と異なる蕃塀が数例あり、これを4つのタイプに整理したことがある。船橋熊野神社の蕃塀は、その中でも、透かし部が簡略化され連子窓の角支柱を平行に置き切妻屋根となる「A葛木八龍社タイプ」に比較的近い形態である。ただし、A葛木八龍社タイプと大きく異なる点は、幅広い石板を用いる連子窓の形であり、その意味では新たにカテゴリーを増やした方が良いかも知れない。
 透かし部の双龍紋が美しいのが特徴であった角田六三郎作の蕃塀に比べれば、この事例は奇異な感じがする。ただし、本蕃塀は大正9年1月に製作されており、今のところ角田六三郎の蕃塀の中で最も古い作品といえる。双龍紋の透かし部を持つ定型化した蕃塀が成立する以前の角田六三郎作品と評価すれば、船橋熊野神社の蕃塀は、石造連子窓型蕃塀が定型化する前の揺籃期の様相を示す事例として、その資料的価値は高いと思われる。
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by banbeimania | 2007-10-25 22:58 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市平野町八幡社の蕃塀

 稲沢市平野町加世に所在する八幡社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には平野村に八幡など計5社があると伝えられる。祭神は社名からみて応神天皇と推察される。

 平野八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.5m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.7mを測り、両側は控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇上に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。布基礎や基壇は一部が土砂に埋もれていて、詳細の構造は不明である。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分け、表面は両脇の区画に獅子紋が、中央の区画に虎紋?がそれぞれ彫刻されている。一方、裏面は両脇の区画に飛翔する1羽の鳥に波涛紋が彫刻されている。中央の羽目板裏面には「昭和十一年八月  寄附者 當所(人名1名分)」と刻まれていた。左側の円柱側面には「ナゴヤ西区八坂町 石匠 角田六三郎」と記されていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を透かし部の両端に配置して2匹の龍が向かい合い中央に「八幡社」と刻まれた扁額を持つBタイプである。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて造られている。屋根は寄棟状に切り出され大きく反りを持つ屋根で、大棟の両端は外側に突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に作られている。

 平野八幡社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 平野八幡社の蕃塀は、昭和11年(1936)に名古屋市西区八坂町の石工角田六三郎によって製作されたものである。透かし部の双龍紋がBタイプである角田六三郎作の蕃塀には、稲沢市福島神明社の蕃塀Aが存在する。獅子紋や虎紋の表情が、角田六三郎の作品に共通した特徴を持っているように感じられる。
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by banbeimania | 2007-10-24 00:09 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市池部町神明社の蕃塀

 稲沢市池部町2丁目に所在する神明社については、創建年代など詳細は不明である。『寛文村々覚書』には池部村に白山権現・神明・天神があり、いずれも「前々除」と記されている。祭神は社名からみて天照大神と推察される。

 池部神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.4m、全高約2.9m、屋根長約4.4m、屋根巾約0.9mを測り、両側は控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に巡らせた基壇に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分け、表面は全ての区画に獅子紋が彫刻されている。一方、裏面は両脇の区画に倒立した虎紋?が、中央の区画には「昭和五年十月 氏子中 ナゴヤ西区八坂町 石工 角田六三郎」の文字が刻まれていた。透かし部は双龍紋が描かれ、その形状は頭部を透かし部の両端に配置して2匹の龍が向かい合い中央に扁額を持たないAタイプである。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後と外側にあり、連子窓部は角柱を15本立てて造られている。屋根は寄棟状に切り出された反りを持つ屋根で、大棟の両端には鬼板が置かれている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に作られている。

 池部神明社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠群、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 池部神明社の蕃塀は、昭和5年(1930)に名古屋市西区八坂町の石工角田六三郎によって製作されたものである。角田六三郎の作品群の中には、愛西市日置八幡宮の蕃塀、大治町堀之内天神社の蕃塀、稲沢市福島神明社の蕃塀のように、羽目板部裏面にも彫刻が施されるものがあるが、本事例もそれに該当する。このタイプは概して大型で立派なものが多いように感じられる。
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by banbeimania | 2007-10-23 00:32 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

(参考)安城市明治川神社の不明施設

 今日は、稲沢市の蕃塀の事例を一時中断し、別件の調査成果を報告する。

 『あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜』の2007年9月4日条「明治川神社」で、謎の基礎構造が蕃塀かも知れないということで話題となっていた。これについて、昨日再度安城市東栄町所在の明治川神社に参拝し、確認調査した。

 明治川神社の由緒などは『あらいのじかん』に詳しいので詳細はそちらに譲るが、謎の基礎構造は旧東海道から南に向かって伸びる参道に存在する。謎の基礎構造の奥は、西に直角に折れて太鼓橋から平入の拝殿に至る構成である。

 謎の基礎構造は、切り石で囲まれた基壇に礎石が2間×1間の配置で合計6個据えられた構造となっている。基壇は斜格子状に敷石が敷き詰められた丁寧な構造を持っている。H字形に6個の礎石の間は布基礎状にコンクリートが充填され、その上に土台木や壁が載っていたことを想像させる。主となる柱間は約3.6mを測る。

 さて、この謎の基礎構造は蕃塀か否かという問題であるが、以下の4点の理由から蕃塀ではないと考えた。
1)蕃塀は「不浄除け」とも呼ばれ正面から見た時に視界を遮蔽する施設であるが、通路全体を遮蔽することはほとんどない。謎の基礎構造はその基壇が参道の端から端まで広がっていて、参拝者を横に通す余裕が全くないので、蕃塀とは考えにくい。
2)蕃塀の場合、塀の礎石と控え柱の礎石の間に布基礎を設けない。塀の礎石と控え柱の礎石の間に壁が存在しないからだ。謎の基礎構造には布基礎があるため、蕃塀とは考えにくい。
3)蕃塀は、通常拝殿の前に存在する。特に蕃塀と拝殿の間に鳥居や太鼓橋を挿む例はこれまでには存在しない。謎の基礎構造の背後には、直角に折れて太鼓橋などがあるため、蕃塀とは考えにくい。
4)謎の基礎構造は基壇が大きい。特に巾(奥行き)が広く、このような事例は蕃塀には存在しない。

 さて、謎の基礎構造が蕃塀ではないとなると、一体何であろうか。私は基壇に斜格子状の敷石が敷き詰められていたことと謎の基礎構造の位置からみて、この謎の基礎構造は門跡の可能性が高いと推察しておきたい。
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by banbeimania | 2007-10-22 00:26 | 蕃塀を深める | Comments(2)