蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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稲沢市祖父江町祖父江沼神明社の蕃塀

 稲沢市祖父江町祖父江字八反畑に所在する沼神明社は、境内に掲示された由緒書きによれば、寛永2年(1625)に祖父江中屋敷神明社を再建した横井作左衛門時久の子の猪右衛門時有が、31年後の明暦2年(1656)に沼三郷の守護として豊受大神の御分霊を勧請して創建したものと伝えられる。

 祖父江沼神明社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.1m、全高約2.6m、屋根長約4.3m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。不整形な土盛り状の基壇上に石製と木製の布基礎を置き、その上に角柱を4本立てて下から順に腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に方形肘木と簡略化した雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根を載せている。屋根は切妻造りで反りを持たない直線屋根である。銅板が一文字葺きされ、銅板で造られた大棟の両端には鬼板を置いている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造り分けられている。左側手前控え柱外面に「大正十二年十月三十日」、左右両側奥控え柱表面にそれぞれ「(人名1名分)」、右側奥控え柱外面に「景春樓(人名1名分)」、右側手前控え柱外面に「名古屋市中村遊郭□(草カ)町」と記されている。

 祖父江沼神明社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの平入拝殿、渡殿、灯籠から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 祖父江沼神明社の蕃塀は、大正12年(1923)に構築されたものと考えられるもので、3間巾で規模は小さくはない。主柱に角材を使用する点が珍しいといえよう。一般に木造蕃塀は製作年代が不明な事例が多いが、本例は稲沢市鈴置神社例(大正14年)と津島市白浜神明社八幡社合殿例(昭和53年)に次いで3事例目となる製作年代が特定できる資料である。
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 最後に
 今年もとうとう大晦日を迎えてしまいました。皆様、これまでお付き合い下さり、ありがとうございました。よい年をお迎え下さい。
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by banbeimania | 2007-12-31 14:20 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市祖父江町祖父江中屋敷神明社の蕃塀

 稲沢市祖父江町祖父江字中屋敷に所在する神明社は、蕃塀に掲示された由緒書きによれば、文正元年(1466)に祖父江五郎左衛門久豊が勧請し創建したと伝えられる。後に荒廃したが、寛永2年(1625)に横井作左衛門時久により再建されたことが棟札で分かるという。なお、文正元年には祖父江久豊は当地に祖父江城を築城したともいわれる。『寛文村々覚書』には下祖父江村には神明二社と八幡二社があると記載されており、この神明二社のうちの一社と考えられる。祭神は豊受大神と厳島比賣命である。なお、寛永2年の再建以来今日まで、20年毎の式年遷宮が行われているという。

 祖父江中屋敷神明社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.6m、全高約2.7m、屋根長約4.6m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。玉石敷の区画に石製と木製の布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に雲形肘木と簡略化した雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根を載せている。屋根は切妻造りで極めて緩い反りを持つ屋根である。銅板が一文字葺きされ、銅板で造られた大棟の両端には鬼板を置いている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は全て木製であるが、基礎となる礎石も控え柱状に石製の角材が用いられている。木材の表面は白木のままである。

 祖父江中屋敷神明社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、切妻造り平入拝殿、渡殿、灯籠群、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 祖父江中屋敷神明社の蕃塀は、前後の控え柱の間に布基礎状の低いコンクリート壁があり、こうした事例は初めてである。また、蕃塀の連子窓部などには多くの掲示物が掲げられ、神社専用の掲示板のような役割を果たしている。このような蕃塀の二次的な活用の実態は、特に木造連子窓型蕃塀には時々見られるものである。
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by banbeimania | 2007-12-30 01:20 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市祖父江町祖父江高熊八幡社の蕃塀

 稲沢市祖父江町祖父江字高熊に所在する八幡社は、創立年代は不詳である。『寛文村々覚書』には下祖父江村には神明二社と八幡二社があると記載されており、この八幡二社のうちの残りの一社を指していると考えられる。祭神は誉田別命と思われる。

 祖父江高熊八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.3m、屋根長約3.9m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。周囲に切り石を置き表面に玉石が並ぶコンクリート製基壇に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部(旧透かし部)の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、両側の区画には獅子紋が、中央の区画には波涛を泳ぐ龍紋が描かれている。欄間部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、両側の区画には橘紋が、中央の区画には「八幡社」の文字が彫刻されている。羽目板部の中央の区画裏面には「昭和十二年十月 東京 (人名2名分)」、右側の区画裏面には「尾張新川 石工 角田乙吉刻」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された反り屋根で、その上に棟木石を載せ、その両端は外側に突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に造られていた。

 祖父江高熊八幡社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 祖父江高熊八幡社の蕃塀は、昭和12年(1937)に清須市新川の石工角田乙吉によって製作されたものである。これまで紹介してきた事例の中で石工角田乙吉による蕃塀は、稲沢市中之庄天神社例(大正13年)、稲沢市塩江神社例(大正15年)、稲沢市裳咋神社例(昭和3年)、津島市宇治手力雄命社例(昭和3年)、海部郡大治町西条八劔社例(昭和3年)、稲沢市平和町六輪八幡社例(昭和4年)、稲沢市込野富士社例(昭和6年)がある。これらは全て名古屋市西区菊井町の石工角田乙吉となっている。本例の存在からみて、少なくとも昭和12年には石工角田乙吉は清須市新川に移ったものと推測される。
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by banbeimania | 2007-12-29 11:44 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

稲沢市祖父江町祖父江広口八幡社の蕃塀

 これまで約10回にわたり伊勢神宮に伴う蕃塀の紹介を行ってきた。ここで一段落したので、再び稲沢市に所在する蕃塀の事例紹介をしていくことにしたい。

 平成の大合併以前の旧稲沢市と旧平和町の蕃塀については、既に68例を紹介してきた。今日からは平成の大合併以降に稲沢市に入った旧中島郡祖父江町に所在する蕃塀を紹介する。この旧祖父江町を網羅すれば、新稲沢市の全ての事例を紹介し終えることとなる。

 稲沢市祖父江町祖父江字広口に所在する八幡社は、創立年代は不詳である。『寛文村々覚書』には下祖父江村には神明二社と八幡二社があると記載されており、この八幡二社のうちの一社である。祭神は誉田別命と思われる。

 祖父江広口八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、現存する全高約2.3m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷の地面に礎石と布基礎を配置し、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部(旧透かし部)の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、欄間部は角柱による束柱を1本立て2区画に分けている。羽目板部と欄間部はともに、表面は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであって装飾的な彫刻などは全く認められない。一方、裏面もほとんどの区画は隅を丸く加工した方形の単純な形を切り出したままであるが、羽目板部の中央区画裏面のみには「昭和六十二年十一月吉日」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された照り屋根で、その上に横断面形が三つ葉状の棟木石を載せる。棟木石の両端は外側に突き出ない形で収まっている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠形に造られていた。

 祖父江広口八幡社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 祖父江広口八幡社の蕃塀は、昭和62年(1987)に製作されたものであるが、作者は不明である。この蕃塀は、羽目板部や欄間部に彫刻を施さないものでシンプルな造作となっている。ただし、大棟の形状は単純な角材を用いるのではない点が特徴的で、こういう工夫が施された事例は珍しい。
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by banbeimania | 2007-12-26 00:23 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

伊勢神宮の蕃塀(まとめ)

 これまでに伊勢神宮の内宮と外宮の蕃塀を紹介してきた。そして、内宮(皇大神宮)の御正宮と外宮(豊受大神宮)の御正宮に伴う蕃塀と、内宮の諸施設に伴う蕃塀の2種があることが判明した。このうち、前者の御正宮に伴う蕃塀は『神道大辭典』に記述される「蕃塀」そのものである。一方、御酒殿・由貴御倉・忌火屋殿に伴う蕃塀は『神道大辭典』に記述される「蕃塀」ではない。

 『神道大辭典第三巻』臨川書店、昭和12年7月19日発行、編集:下中彌三郎 によれば、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。現制は横板嵌、弘二丈、高一丈。『皇大神宮儀式帳』には見えないが、『止由氣宮儀式帳』に「蕃垣參重長各二丈」と見え、また『顯廣王記』治承二年十月の條に「大神宮御前屏柱」、建久の『皇大神宮年中行事記』に屏垣と見えるから、古くから存じたことが知れる。中世御垣と共に廃絶したものを明治二年に玉垣とともに再興せられた。」とある。

 御正宮に伴う正しい「蕃塀」は「板垣御門外にあって障蔽をなす塀」である。私の印象では、御正宮を囲う板垣が御門の部分のみ切り抜かれ、その部分が外側に移動した結果できた塀という感じがしたのであった。しかも、特に南面の蕃塀は、参道の御正宮の反対側の縁に所在していて、決して参拝者を遮断して参拝者の視線から内部を覆い隠す形になっていないのである。これは、皇大神宮も豊受大神宮もさらに熱田神宮の蕃塀にも当てはまる特徴といえる。

 これに対して、御酒殿・由貴御倉・忌火屋殿に伴う蕃塀?は、御酒殿・由貴御倉・忌火屋殿の入口(内部)を覆い隠す形になっている、と私には感じられる。明らかに、御正宮を囲う蕃塀とは異なる配置と思われるのだ。実は、尾張地域の神社を中心に展開する連子窓型蕃塀は、御酒殿・由貴御倉・忌火屋殿に伴う蕃塀と同様の配置で、拝殿や本殿の正面入口に面して建設されていて、神宮御正宮に伴う蕃塀とは配置が異なるのである。

 ここで思い出されるのは、尾張地域の神社を中心に展開する連子窓型蕃塀が、江戸時代においては多く「透垣」、「籬」などと称されていて、「蕃塀」と呼ばれた事例を寡聞にして知らないことである。つまり、連子窓型蕃塀は本来「蕃塀」と呼ばれておらず、後に(近代以降に)「蕃塀」と呼ばれるようになったのであろう。そして、近代以降に「蕃塀」と呼ばれたのは、伊勢神宮の蕃塀に類似していることから、その名称が使用された可能性を考えてみたい。「藩塀」と呼ばれる事例があるのも、その用字に混用や誤用が生じた結果なのかも知れない、と考えられないであろうか。

 こういった推測を確かめるためには、もっときちんと文献を調査する必要があるが、この点はいつか明らかにしていきたいと思っている。
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by banbeimania | 2007-12-25 00:46 | 蕃塀を深める | Comments(0)

伊勢市皇大神宮の蕃塀(6)

 伊勢神宮の内宮には皇大神宮の他に、多くの別宮・摂社や末社が存在する。私はこの12月に一般に参拝可能な内宮神域およびその周辺の別宮・摂社・末社のほぼ全てを参拝したが、このうち蕃塀は、既に紹介した豊受大神宮御正宮の東西南北の四面に面する蕃塀と御酒殿、由貴御倉、忌火屋殿に伴う蕃塀の7例が存在することを確認した(実際に確認できたのは6例)。

 この他の風日祈宮、荒祭宮(以上別宮)、津長神社、大水神社(以上摂社)、(以上末社)、饗土橋姫神社、子安神社、大山祇神社、滝祭神、四至神、御稲御倉(以上所管社)の10柱には蕃塀は認められなかった。また、神楽殿、五丈殿、御贄調舎、外幤殿、内御厩、外御厩などの内宮の諸施設に伴う蕃塀も存在しなかった。

 以上の結果、豊受大神宮とは相違して、皇大神宮では御正宮以外にも蕃塀は存在することが判明した。御正宮に伴う蕃塀と御正宮以外に伴う蕃塀との間には、規模の点で大きく異なっている。前者は3間巾であるのに対し後者は1間巾であり、1間の大きさも後者の方がやや小さい。しかし、塀自体の構造はよく似ており、これは御正宮の外周を巡る板垣に極めて類似したものといえる。

 私の印象としては、皇大神宮と豊受大神宮ともに御正宮に伴う蕃塀は、御門が設置された部分について外周を巡る板垣がそのまま外側に飛び出たような施設に感じられた。一方、皇大神宮の御正宮以外に伴う蕃塀は、蕃塀と同様な構造を持つ板垣がその本体施設に附属する形では全くないことが特徴である。そもそも御正宮以外に伴う「蕃塀」のようなものを「蕃塀」と記した文献を私は知らないので、御正宮に伴う蕃塀とは性質の異なるものかも知れない。

 もし、御正宮に伴う蕃塀が御門部分において突き出た板垣の一部であるという私の印象(つまり「蕃垣」が切り抜かれ外側に移動した部分としての「蕃塀」という理解)が正しいとすれば、視線を遮断するという意味よりも神域を画する境界の意味の方が強いのではないかと思うのである。
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by banbeimania | 2007-12-24 00:43 | 蕃塀を深める | Comments(0)

伊勢市皇大神宮の蕃塀(5)

 皇大神宮では、御正宮以外にも蕃塀がいくつか存在するが、今回は忌火屋殿(いみびやでん)に伴う蕃塀を紹介する。

 この忌火屋殿は、皇大神宮の神域内にあり、第二鳥居から参道を東に向かうと御正宮の手前に所在する。五丈殿の東、参道の北側にあり、木造二重板葺切妻造り平入の建物で、諸祭典の神饌を調理するところである。そこでは御火鑽具によって忌火(清浄な火)をきり出して用いるという。

 忌火屋殿に伴う蕃塀は1間巾の木造衝立型蕃塀である。この蕃塀に接近して観察することはできなかったので、大きさは不明であるが、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に円柱を2本立てて上端に幅広の覆板(笠木)を載せている。忌火屋殿前に敷き詰められた黒玉石の砂利により基礎構造は隠れて不明な点が多いが、2本の柱は掘立柱のようである。柱間には自然石を一列に並べ、柱脚に盤(地貫)、柱頭には樋(頭貫)を渡している。柱間壁面は横羽目板が嵌め込まれているが、枚数は特定できない。覆板(笠木)は断面形が五角形の角材が用いられていた。表面は白木のままである。

 忌火屋殿の蕃塀は、平入の忌火屋殿のうち東寄りの扉の前(南側)に、建物に平行して存在する。ちょうど蕃塀は忌火屋殿の東扉を隠すような形となっている。忌火屋殿の西側半分には板垣が巡っており、板垣と少し間をおいて蕃塀が所在することになる。蕃塀の前には縄で結界が結ばれた空間が存在する

 忌火屋殿の蕃塀は、御酒殿や由貴御倉と同様に、皇大神宮御正宮の蕃塀に比べれば、規模は1間で格段に小さいが、塀自体の構造は御正宮の蕃塀とほとんど同一である。大きさは御酒殿と同等のように感じられるが断言はできない。
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by banbeimania | 2007-12-23 00:44 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

伊勢市皇大神宮の蕃塀(4)

 皇大神宮では、御正宮以外にも蕃塀がいくつか存在している。今回は由貴御倉(ゆきのみくら)に伴う蕃塀を紹介する。

 この由貴御倉は、皇大神宮の神域内にあり、内宮神楽殿と忌火屋殿の間にある五丈殿の後方に所在する。前回紹介した御酒殿の東側に並んで五丈殿の北側にあり、木造板葺切妻造り平入の神明造の社殿で、由貴御倉神をおまつりする内宮所管社の一つである。御酒殿神とともに大御饌祭のお供えや果物を納めておく御倉であった。

 由貴御倉に伴う蕃塀は1間巾の木造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.0m、全高約1.9m、屋根長約2.4m、屋根巾約0.2mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に円柱を2本立てて上端に幅広の覆板(笠木)を載せている。由貴御倉前に敷き詰められた黒玉石の砂利により基礎構造は隠れ不明な点が多いが、2本の柱は掘立柱のように見えた。柱間には自然石を一列に並べ、柱脚に盤(地貫)、柱頭には樋(頭貫)を渡している。柱間壁面は横羽目板を各間に8枚嵌め込まれている。覆板(笠木)は断面形が五角形の角材が用いられていた。表面は鉋で美しく仕上げられ白木のままである。

 由貴御倉の蕃塀は、平入の由貴御倉の前(南側)に、建物に平行して存在する。由貴御倉は御酒殿と相違して一重の板垣に囲まれ、正面に御門が存在しており、蕃塀はその御門の外側に位置する。五丈殿から由貴御倉をみると、蕃塀が由貴御倉をスッポリと隠すような形となっている。

 由貴御倉の蕃塀は御酒殿と同様に、皇大神宮御正宮の蕃塀に比べれば、規模は1間で格段に小さく、大きさは御酒殿よりも更に小振りである。ただ、塀自体の構造は、御正宮の蕃塀とほとんど同一である。
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by banbeimania | 2007-12-22 12:14 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

伊勢市皇大神宮の蕃塀(3)

 皇大神宮では、御正宮以外にも蕃塀がいくつか存在することを確認している。今回はこのうちの御酒殿(みさかどの)に伴う蕃塀を紹介する。これは堀池論文でも紹介されていたものである。

 この御酒殿は、皇大神宮の神域内にあり、第二鳥居から御正宮に向かう途中の内宮神楽殿と忌火屋殿の間にある五丈殿の後方に所在する。御酒殿は由貴御倉と並んで五丈殿の北側にあり、木造板葺切妻造り平入の殿舎で、御酒殿神をおまつりする内宮所管社の一つである。古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所であった。現在は年に三度の御酒殿祭がこの御前で行われている。

 御酒殿に伴う蕃塀は1間巾の木造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.3m、全高約2.3m、屋根長約2.7m、屋根巾約0.2mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に円柱を2本立てて上端に幅広の覆板(笠木)を載せている。御酒殿前に敷き詰められた黒玉石の砂利により基礎構造は隠れ不明な点が多いが、2本の柱は掘立柱のように見えた。柱間には自然石を一列に並べ、柱脚に盤(地貫)、柱頭には樋(頭貫)を渡している。柱間壁面は横羽目板を各間に9枚嵌め込まれている。覆板(笠木)は断面形が五角形の角材が用いられていた。表面は鉋で美しく仕上げられ白木のままである。

 御酒殿の蕃塀は、平入の御酒殿の前(南側)に、建物に平行して存在する。五丈殿から御酒殿をみると、明らかに蕃塀が視線を遮断する形となっている。ただ、御酒殿は一般的に参拝者を受け入れる施設とは思われないので、参拝者の視線を遮る形で造られていると断定することは難しいように思われる。なお、御酒殿の周囲には板垣などの境界を示す施設は見当たらない。

 御酒殿の蕃塀は、皇大神宮御正宮の蕃塀に比べれば、規模は1間で格段に小さく大きさもやや小振りである。しかし、塀自体の構造は、御正宮の蕃塀とほとんど同一であるといえる。
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by banbeimania | 2007-12-21 00:47 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

伊勢市皇大神宮の蕃塀(2)

 皇大神宮では、蕃塀は御正宮の東西南北の四面に各1基ずつ存在する。前回は、このうちの皇大神宮御正宮南面の蕃塀を紹介した。今回は、南面以外の皇大神宮御正宮の蕃塀をみていきたい。

 皇大神宮御正宮の蕃塀は、御正宮の板垣(外郭)の東西南北に開く御門の外側にそれぞれ1基ずつ存在することが、様々な文献に記されている。南面の蕃塀は私たちが普通に接近できる場所に所在するため、詳細に観察することができた。しかし、その他の3基については接近できる状況ではなく、その存在を遠目に確認することができたのは、西面と北面のみである。東面の有無については自分の目では確かめられなかった。

 皇大神宮御正宮西面の蕃塀は、現状では式年遷宮を行うための古殿地に存在し、その古殿地の南側からみることができた。3間巾の木造衝立型蕃塀で両側には控え柱を持たないものである。下部構造は全く分からなかったが、円柱を4本立てて上端に断面形が五角形の覆板(笠木)を載せており、柱頭には樋(頭貫)を渡している。各間に嵌め込まれた横羽目板は6枚までは確認できたが、全部で何枚かは不明である。表面は白木のままのようである。
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 皇大神宮御正宮東面の蕃塀は、現状では御正宮の東側に行く手段が普通にはないので、有無の確認ができない。

 皇大神宮御正宮北面の蕃塀は、現状では荒祭宮に至る参道の途中で、木々の隙間から遠目にその存在をみることができた。本当に遠方過ぎて概略な構造すらよくわからない。3間巾の木造衝立型蕃塀のように見え、表面は白木のままであると思われた。

 さて、このような断片的な情報で安易に推測してはいけないのであるが、豊受大神宮御正宮の東西南北の四面に各1基ずつ存在する蕃塀が全て同じ構造であることから類推するに、おそらく皇大神宮御正宮の東西南北の四面に各1基ずつ存在する蕃塀も全て同じ構造を呈していると思われる。とりあえず観察できた断片的な情報に、上記の仮説と矛盾する点がないのである。
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by banbeimania | 2007-12-20 00:14 | 蕃塀の事例 | Comments(0)