蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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一宮市定水寺神明社の蕃塀

 一宮市大字定水寺字神明社裏に所在する神明社は、創建年代などは不詳である。境内には大正八年十月十七日の八幡社・神明社・日吉社の合祀記念の石碑がある。『寛文村々覚書』には定水寺村に神明と山王があると記載されていて、これらは合祀される前の神明社と日吉社に相当すると思われる。社名などからみて、祭神は天照大神・大山咋神・応神天皇と推察される。

 定水寺神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.3m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。中央の羽目板裏面には「大正十年十月建之 寄附人 (地名+人名4名分) 岡崎市 石工鈴木忠太郎」の文字が記されていた。欄間部は中央に「神明社」と記された扁額を配置し、その両側には隅を丸く加工した方形の透かしが存在する。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は円柱を15本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根で、棟木石の両端は外側にわずかに突き出ている。

 定水寺神明社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 定水寺神明社の蕃塀は、大正10年(1921)に岡崎市の石工鈴木忠太郎によって製作されたものである。石工鈴木忠太郎の手による蕃塀は本事例が初例であり、現在の石材店との対応関係を特定するには至らなかった。本蕃塀は、春明春日社と同様に、円柱を用いて連子窓部を造るものである。そもそも、羽目板部の構成を除くと、本蕃塀と春明春日社の蕃塀はよく類似している。本蕃塀のような形態が、大正時代に作製された当地方の蕃塀の1つのパターンであるかも知れない。
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by banbeimania | 2008-02-29 21:21 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市春明神明社の蕃塀

 一宮市大字春明字裏山に所在する神明社は、創建年代などは不詳であるが、『寛文村々覚書』には記載が認められない。社名からみて、祭神は天照大神と推察される。

 春明神明社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.2m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石などを置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部の順に材を積み重ねており、欄間部は存在しない。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分け、その表面には波涛上に飛翔する鳥の紋様が彫刻されていた。裏面は隅を丸くした方形の範囲で石材が荒々しく未加工部分があり、その中に文字が記されていた。左側の羽目板には「大正十三年八月建之」、右側の羽目板には人名5名分文字が刻まれていた。腰貫の正面には「奉納 神明社」の文字も記されていた。円柱柱頭に腕木板はなく、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された急な照り屋根で、棟木石の両端は外側に突き出ていない。

 春明神明社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 春明神明社の蕃塀は、大正13年(1924)に製作されたもので、作者は不明である。本蕃塀は、愛西市と稲沢市に多く見られる欄間部が省略されたものであり、愛西市所在蕃塀の分類の中では、欄間部が簡略化され連子窓の支柱が角柱となるC宇太志神社タイプに近似する。その中でも、最も形が類似しているのは稲沢市平和町横池神明社の蕃塀である。本蕃塀と平和横池神明社の蕃塀が相違する点は、1)「奉納」の文字が記される場所、2)羽目板部の紋様くらいである。平和横池神明社は岡崎の石工により製作されており、春明神明社の蕃塀も案外岡崎の石工によるものかも知れない。
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by banbeimania | 2008-02-28 21:26 | 蕃塀の事例 | Comments(2)

一宮市春明春日社の蕃塀

 一宮市大字春明字東裏に所在する春日社は、創建年代などは不詳である。春明(明治11年の春明村)は江戸時代の下奈良村と下奈良村酉新田に相当し、『寛文村々覚書』には下奈良村に春日大明神・天王・白山があると記載されている。春日社はこのうちの春日大明神に相当すると思われ、社名からみて祭神は天児屋根命と推察される。

 春明春日社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.3m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を敷き並べた基壇に礎石を埋込み、その礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を1本立て2区画に分け、その表面には樹木と鹿の紋様が彫刻されていた。欄間部も円柱の束柱を1本立て、その両側には隅を丸く加工した方形の透かしが存在する。羽目板の裏面には「東京在住有志 (人名9名分)」、右側円柱裏面には「大正七年十月 岡崎 石匠 今井新太郎」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は円柱を14本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根であるが、屋根面に段を設けている。屋根の上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。

 春明春日社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠群、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 春明春日社の蕃塀は、大正7年(1918)に岡崎市の石工今井新太郎によって製作されたものである。これまでに確認された蕃塀の中では稲沢市平和町横池神明社の蕃塀(1918年7月:岡崎石工名倉某製作)に次いで2番目に古いものである。また、今井新太郎によって製作された蕃塀には、春日井市如意申六所社の蕃塀(1925)がある。ただ、同じ今井新太郎による作品の中でも、両者は屋根や連子窓部の形状および羽目板部の紋様構成などの構造は大きく異なっており、地域の特徴や要望?に応じて製作活動を行っていた可能性も考えられよう。
 なお、円柱を用いて連子窓部を造るものには、これまで紹介してきた事例の中では愛西市所在の神社で5社、稲沢市所在の神社で6社存在し、その分布には地域的な偏りが認められていた。どうやらこのタイプの蕃塀は一宮市域にも分布しているようである。
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by banbeimania | 2008-02-27 23:04 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市時之島日吉社の蕃塀

 一宮市大字時之島字日吉浦に所在する日吉社は、創建年代などは不詳であるが、『寛文村々覚書』には時之島村に山王があり「此社内年貢地」と記載されている。社名からみて、祭神は大山咋神と思われる。

 時之島日吉社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.2m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に切り石の礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。欄間部は中央に円柱の束柱を1本立て、その両側には隅を丸く加工した方形の透かしが存在する。左側の羽目板裏面には「昭和二年三月」、右側の羽目板裏面には「寄附人(人名1名分)」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を11本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根であるが、屋根面に段を設けている。屋根の上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。

 時之島日吉社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 時之島日吉社の蕃塀は、昭和2年(1927)に製作されたものであるが、作者は不明である。本蕃塀は、欄間部の束柱に文字を刻んではいないが、その他の特徴が瀬部八劔社の蕃塀に極めて類似している。このことから、作者を特定することができない本蕃塀は、瀬部八剱社の蕃塀を作製した石工山本甚五郎の作品である可能性も考えられよう。
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by banbeimania | 2008-02-26 22:16 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市瀬部八剱社の蕃塀

 一宮市大字瀬部字大門に所在する八劔社は、創建年代などは不詳である。徳書記の名が見られる慶長10年(1605)の棟札がある。曹洞宗の永昌山観音寺の西隣にあり、この観音寺は、もとは真言宗の巨刹であり、応仁の兵火に遭ったと伝えられている(観音寺ホームページによる)。八劔社では毎年8月に瀬部山車・臼台祭が行われる。社名からみて、祭神は日本武尊と思われる。

 瀬部八剱社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.2m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を敷き並べたような紋様にみせたコンクリート製基壇に切り石の礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。欄間部は中央に「八劔社」と記された円柱の束柱を1本立て、その両側には隅を丸く加工した方形の透かしが存在する。右側の羽目板裏面には「大正十四年十月 寄附人(人名1名分)建之 岩倉町 石工山本甚五郎」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。控え柱そのものは存在しないが、前後に石製角材が斜めに差し渡されボルトで固定されており、倒壊しないように塀を支えている形状となっていた。

 瀬部八剱社は、正面から一の鳥居、二の鳥居、百度石、太鼓橋、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬4対、基壇上の妻入拝殿から本殿などに至る構成を持つ。

 瀬部八剱社の蕃塀は、大正14年(1925)に岩倉市の石工山本甚五郎によって製作されたものである。山本甚五郎の手による蕃塀は本事例が初例であり、現在の石材店との対応関係は分からなかった。羽目板部や欄間部に彫刻はなく、すっきりした仕上がりとなっている。欄間部の扁額に相当する部分が、単に円柱に文字を刻んだ形となっている事例はこれまでに無く、本蕃塀の最大の特徴となっている。
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by banbeimania | 2008-02-25 22:40 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市真清田神社の蕃塀(3)

 前回は『張州府志』に描かれた真清田神社の蕃塀を紹介したが、今回は『真清田神社古絵図』に描かれた真清田神社の蕃塀を紹介したい。

 「紙本著色真清田神社古絵図」は真清田神社に保管され、一宮市文化財に指定されている。本図は、法相宗僧英空により真清田神社に寄贈され、その後承応2年(1653)に補修されたもので、承応2年修補銘が残っている。真清田神社のホームページによれば、図中人物の頭部運搬や肩衣着用の風俗により室町、桃山期の成立と推測される。上部に日月を配し曼荼羅様式としている。本殿背後に三鳥居と飛雲に乗る三本松が見え「古縁起」の伝えを描写しているという。(なお、『真清田神社古絵図』は真清田神社のホームページで閲覧することができる)

 「真清田神社古絵図」の建物配置を『張州府志』の「一ノ宮図」と対比してみると、正面から「大鳥井」、「楼門」、「塀重門」、「勅使殿」、「舞殿」、「祭文殿」、「廻廊」、「祭文殿」、「渡殿」を経て本殿(「獅子間」と「内陣」か)に至る構成が描かれ、「一ノ宮図」とほぼ共通していることが分かる。『張州府志』「一ノ宮図」の塀重門が蕃塀を指していると推測されたことから、「真清田神社古絵図」の廻廊に接続する門の付近にあるやや規模が大きい2つの殿舎の間にある建物が蕃塀であると考えられる。

 この「真清田神社古絵図」に描かれた蕃塀と推測される建物は、屋根を持つ塀のように描かれている。入手した画像が不鮮明で詳述できないが、おそらく3間巾と思われ、その形状は伊勢神宮で見られる衝立型蕃塀というよりは連子窓型蕃塀に近いと考えられる。屋根は他の殿舎と同様に茶色に描かれているので、桧皮葺きまたは柿葺きと推測される。

 このことから考えてみると、真清田神社では少なくとも承応2年(1653)以前のおそらく桃山時代には連子窓型蕃塀が存在した可能性が考えられる。もしこの推察が正しければ、正徳3年(1714)以前の建立と推測した稲沢市尾張大国霊神社の蕃塀よりも古く、これまでに取り上げたある程度の建立年代を絞ることができる蕃塀の中では、最古の蕃塀ということができる。現存しないことが改めて残念であるといえよう。
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by banbeimania | 2008-02-24 20:41 | 蕃塀を深める | Comments(0)

一宮市真清田神社の蕃塀(2)

 前回紹介した通り、今日、真清田神社には蕃塀は現存しない。ただし、古記録の中には蕃塀の存在を示す資料がいくつか認められる。ここではまず『張州府志』に描かれた真清田神社の蕃塀を紹介したい。

 『張州府志』は、宝暦2年(1752)に儒学者の松平君山等によって尾張藩で初めて編纂された官撰の地誌であり、全部で30巻を数える。この中には「一ノ宮図」があり、尾張国一宮である真清田神社境内の建物配置等が描かれている。これによれば、正面から「大鳥井」、「楼門」、「塀重門」、「勅使殿」、「燈籠」、「舞殿」、「白洲」、「祭文殿」、廻廊を通じて東に「御籠」、「渡殿」を経て「獅子間」と「内陣」に至る構成が示されている。建物配置や図像からみて「塀重門」が蕃塀を指していると推測され、その位置については「勅使殿ヨリ塀重門ノ間四間三尺五寸、塀重門ヨリ楼門ノ間五間四尺」などと注記されていた。
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「一ノ宮図」(『張州府志』大正2年名古屋史談会発行より一部を転載)

 『張州府志』にはいくつかの神社の図が掲載されており、そのうち蕃塀に相当する建物が描かれている神社には、真清田神社「一ノ宮図」・尾張大国霊神社「国府宮惣社図」・熱田神宮「熱田宮境内図」・熱田神宮別宮八剱宮「八劔宮總社図」の4例がある。この蕃塀に相当する建物は門と勅使殿などの間に描かれているが、その名称はそれぞれ異なっている。真清田神社は「塀重門」・尾張大国霊神社は「玉垣」・熱田神宮と熱田神宮別宮八剱宮は「透垣」と記されていた。建物の図像は、屋根を持つ塀の形状を呈しており、屋根に縦線・塀本体に斜線を描いている。ただし、真清田神社の「一ノ宮図」では屋根の上位に大棟が加えられている点が異なっていて、蕃塀の構造が少し他とは異なっていたのかも知れない。いずれにしても、この4例の蕃塀は図像の雰囲気からみて連子窓型蕃塀であり、衝立型蕃塀であったとは考えにくいといえよう。
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「一ノ宮図」の塀重門(『張州府志』大正2年名古屋史談会発行より一部を転載)

 この結果、宝暦2年(1752)の段階で真清田神社・尾張大国霊神社・熱田神宮・熱田神宮別宮八剱宮には連子窓型蕃塀が存在し、津島神社や大県神社には蕃塀は存在しなかったといえる。しかも、その呼び方は塀重門・玉垣・透垣と様々であり、統一された名称は無かったのである。
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by banbeimania | 2008-02-23 22:04 | 蕃塀を深める | Comments(0)

一宮市真清田神社の蕃塀(1)

 今日からは一宮市に所在する蕃塀を順次紹介したいと思う。一宮市内の神社についてはまだ全てを参拝していないが、平成の大合併の影響もありおそらく稲沢市と同等かそれ以上の蕃塀の事例数を持つと予想している。まずは、尾張国の一宮である真清田神社の紹介をしてみたい。

 一宮市真清田1丁目に所在する真清田神社は、社伝によれば神武天皇33年に鎮座したと伝えられる。真清田神社のホームページによれば、平安時代に国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として国司を始め人々の崇敬を集めたという。江戸時代には、徳川幕府は神領とし尾張藩主徳川義直は寛永8年(1631)に大修理を行った。明治18年(1885)には国幣小社、大正3年(1914)に国幣中社に列格した。祭神は尾張氏の祖である天火明命である。

 真清田神社の社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失し、その際に蕃塀も焼失している。本殿以下諸社殿は昭和32年(1957)に、楼門は同36年(1961)に再興された。現在は正面参道の楼門を入って正面に拝殿(切妻造)、祭文殿(切妻造)、渡殿(切妻造)、本殿(流造)を連接した華麗雄大な社殿である。ただし、残念ながら蕃塀は未だに再建されていない。

 このような状況なので、現在真清田神社を参拝しても蕃塀を実見することはできない。ただし、古記録に蕃塀の状況を示す資料がいくつか存在するので、これを次回紹介していきたい。(つづく)
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by banbeimania | 2008-02-22 22:35 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

春日井市の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、春日井市には55社の神社が記載されている。私は今月中までにこの55柱の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した25例である。具体的には、廻間町岩船神社、坂下町坂下神社、上野町神明神社、大手町八幡神社、上田楽町伊多波刀神社、東山町松原神社、大泉寺町八幡社、東野町八幡社、上条町和爾良神社、上八田町神明社、朝宮町朝宮神社、牛山町天神社、宮町両社宮神社、稲口町津島社、如意申町六所社、下条町八幡社、松新町八幡社、松河戸町白山神社、二子町白山神社、玉野町五社神社、高蔵寺町五社大明神社、大留町5神明社、大留町子安神明社、松本町諸大明神社、白山町白山神社の25社である。

 この他の内津町内々神社、明知町日吉神社、神屋町八幡神社、西山町大池社、町屋町神明社、下原町冨士社、神領町三明神社、熊野町熊野神社、桜佐町八龍神社、貴船町貴船社、小木田町小木田神社、堀ノ内町神明社、八事町神明社、南下原町八幡社、鳥居松町神明社、篠木町神明社、下市場町神明社、柏原町山神社、下津町熱田神社、中切町八幡社、柏井町八幡社、神明町冨士社、勝川町天神社、勝川町愛宕社、細野町大国神社、外之原町白山神社、気噴町宮前八王子社、気噴町北八王子社、藤山台神明神社、不二ガ丘2丁目神明神社の30柱には蕃塀は認められなかった。また、愛知県神社庁の資料に掲載されていない春日井市高座町山王大権現、春日井市大泉寺町御嶽神社、春日井市細野町秋葉神社の3社にも蕃塀は認められなかった。


 以上の結果、春日井市では愛知県神社庁のリスト中の約45.5%の神社で蕃塀が存在することが判明した。この数値は、丹羽郡扶桑町(約89%)・丹羽郡大口町(約60%)・西春日井郡豊山町(約57%)よりも少なく、北名古屋市(約46.3%)・稲沢市(約44.7%)・犬山市(約44.4%)に近似した値となっている。春日井市は比較的蕃塀が多く存在する地域と評価できるだろう。
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by banbeimania | 2008-02-20 00:49 | 探索の記録 | Comments(0)

春日井市廻間町岩船神社の蕃塀

 春日井市廻間町に所在する岩船神社は、創建年代などは不詳である。境内にある記念碑によれば、本殿に正徳3年(1712)の棟札が残っているという。また、『本国帳』に記載された「春日部郡正三位鱸借天神」が本社であるという説があるが、定かではない。祭神は蛭子命である。

 廻間岩船神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.4m、屋根長約3.7m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に石製の布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、銅板が一文字葺きされ、大棟の両端は外側に突き出ている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上下に縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は全て木製で造られている。白木造りを基本とするが、出桁・垂木・腕木の先端が白色に塗布されていた。

 廻間岩船神社は、一の鳥居、二の鳥居、灯籠、蕃塀、壁を持たない吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 廻間岩船神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。材の状態や基礎構造から見てそれほど古いものとは感じられなかった。布基礎は単純な直方体であり、肘木を持たないことなどから、全体としてシンプルな造りとなっているといえよう。
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by banbeimania | 2008-02-19 22:17 | 蕃塀の事例 | Comments(0)