蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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一宮市富塚神明神社の蕃塀

 一宮市大字富塚字浦山に所在する神明神社は、創建年代などは不詳である。『寛文村々覚書』には富塚村に天神と神明があり、「前々除」と記載されていた。本社はこのうちの神明に該当すると思われ、その由緒は慶長年間までは遡る。拝殿内に掲示された写真には、「神明神社本殿造営記念 昭和60年6月2日」と記されている。社殿は最近に改修されたものと思われる。社名からみて、祭神は天照大神と推測される。

 富塚神明神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高約2.3m、屋根長約3.3m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に直接円柱を2本立てて埋込み、円柱の上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。中央の羽目板裏面には「大正十二年十二月 奉納 (氏名1氏分)」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「神明神社」と記された扁額状の台形束柱を置き、その両側が透かしとなっている。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を11本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に大きく突き出ている。

 富塚神明神社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。参拝した際には、ちょうど基壇上の本殿施設群を普請している最中であった。

 富塚神明神社の蕃塀は、大正12年(1923)に製作されたものであるが、作者は不明である。本蕃塀が、これまで紹介してきた蕃塀の中で変わっている点は、屋根石の下面が船底状に凹んでいることである。このため扁額状の台形束柱の上位は、屋根石下面の凹みに位置することとなる。このようなタイプは、確認漏れの可能性は否定できないが、本例が初例であると思われる。(4月16日加筆)
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by banbeimania | 2008-03-31 22:56 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市島村若栗神社八幡宮の蕃塀

 一宮市浅井町島村字南裏山に所在する若栗神社八幡宮は、白鳳年間(650〜654)に葉栗臣人麿が先祖の天押帯日子命を祀るために創建したと伝えられる。『延喜式神名帳』に葉栗郡若栗神社と記された式内社である。天文年間(1532〜1554)に八幡神が合祀され、慶長10年(1605)に兼松正吉が八幡宮に改称した。明治2年(1869)に若栗神社に改名し郷社となるが、明治13年(1880)に若栗神社八幡宮に改称し現在に至る。祭神は天押帯日子命と応神天皇である。

 若栗神社八幡宮の蕃塀は、2間巾のコンクリート造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.0m、屋根長約3.3m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持たない。

 本蕃塀は、基本的に石造連子窓型蕃塀の構造を模倣した形状で、全ての部分が一体化した状態として造られている。その元となる石造連子窓型蕃塀の推測される詳細の構造は次の通りである。やや低い基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部と欄間部はともに幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分け、その表裏両面には全く紋様や装飾が施されていなかった。円柱柱頭に腕木板がなく、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。右側円柱の裏面には「寄附人 名古屋市 彦坂製綿所 大正十二年十月吉日 工人 壁半」と記された銅板が埋込まれていた。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端には鬼板が設置されている。表面は全体的に白色(クリーム色)に塗布されていた。なお、繰り返しになるが、これらの構造は基礎も含めてコンクリートとして一体的に製作されたものである。

 若栗神社八幡宮は、正面から灯籠、一の鳥居、二の鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、基壇上の妻入拝殿、渡殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 若栗神社八幡宮の蕃塀は、大正12年(1923)に壁半によって製作されたものである。本蕃塀は、コンクリート造連子窓型蕃塀という珍しい構造を呈している。しかも、その製作年代が大正時代にまで遡る事例は他になく注目に値する。全体のプロポーションは石造連子窓型蕃塀を忠実に模倣しているが、羽目板部や欄間部には紋様が一切施されていない点は技術的な問題なのであろうか。
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by banbeimania | 2008-03-30 16:28 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市島村宇夫須那神社の蕃塀

 一宮市浅井町島村字上深田に所在する宇夫須那神社は、創建年代などの由緒は不詳である。『延喜式神名帳』に葉栗郡宇夫須那神社と記された式内社である。本社が鎮座するこの地は廬入姫生誕の地と伝えられる。祭神は余曽多本比売命である。

 宇夫須那神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約1.8m、屋根長約2.7m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「昭和五年八月建之」、右側の羽目板裏面には「寄附人(地名+人名9名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に丸に「宇」と記された扁額状の角柱状の束柱を置き、その両側には丸に並び柏紋が描かれている。円柱柱頭に腕木板がなく、連子窓部は角柱を7本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。

 宇夫須那神社は、正面から石柱、鳥居、蕃塀、狛犬、灯籠から基壇上の本殿施設群(壁の無い妻入拝殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 宇夫須那神社の蕃塀は、昭和5年(1930)に製作されたものであるが、作者は不明である。本蕃塀は、石造連子窓型蕃塀としては規模が小振りであり、式内社という格に相応していない印象がある。欄間部に家紋を配置する本蕃塀のような事例は、案外少ないものである。
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by banbeimania | 2008-03-29 23:16 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町西海戸愛宕社の蕃塀

 一宮市浅井町西海戸字形人に所在する愛宕社は、創建年代などは不詳である。社名からみて、祭神は火之迦具土神と思われる。

 西海戸愛宕社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.4m、屋根長約3.9m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「大正十四年八月建之」、中央の羽目板裏面には「戌友會」、右側の羽目板裏面には「明治三十一年生(イロハ順) (人名7名分)」の文字が刻まれていた。右側の円柱裏面には「石工 古知野町 亀山銀造」と記されていた。欄間部は中央に「愛宕社」と記された扁額を置き、その両側が透かしとなっている。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、屋根面は段差を持っている。上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。

 西海戸愛宕社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠群、狛犬から非常に高い基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 西海戸愛宕社の蕃塀は、大正14年(1925)に江南市古知野の石工亀山銀造によって製作されたものである。本蕃塀は、屋根面に段差がある点が特徴の一つである。これまで紹介してきた蕃塀の中でこのようなタイプのものは、一宮市瀬部八剱社例(1925年:岩倉の山本甚五郎作)、一宮市時之島日吉社例(1927年)、一宮市春明春日社例(1918年:岡崎の今井新太郎作)、一宮市小塞神社例(1927年)、一宮市大日比野神社(1928年:一宮の稲川孝一作)、稲沢市三丸渕寺東神明社例(1927年)、北名古屋市西之保喰守社例は(1926年:名古屋市西区の角田六三郎作)、丹羽郡大口町秋田八王子社例(1930年頃:一宮の石工作)などがある。このように概観すると、屋根面に段差を持つ蕃塀は一宮市を中心に1925〜1930年に製作されたものが多いといえる。
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by banbeimania | 2008-03-28 23:11 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町江森津島社の蕃塀

 一宮市浅井町江森字清水に所在する津島社は、創建年代などは不詳である。社名からみて、祭神は建速須佐之男命および大穴牟遅命と思われる。

 江森津島社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約1.8m、全高約2.2m、屋根長約2.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分け、その表面には左側に獅子紋・右側に虎紋が彫刻されている。左側羽目板の裏面には「皇紀二千六百年記念」、右側羽目板の裏面には「昭和十五年八月建之 一宮市 (人名1名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「津島社」と記された扁額があり、その両側に頭部を中央に寄せた状態で2匹が向かい合う双龍紋が描かれていた。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は円柱を8本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側にわずかに突き出ている。

 江森津島社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、基壇に上がり灯籠、狛犬を経て本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 江森津島社の蕃塀は、小日比野神明社の蕃塀と同様に、皇紀2600年記念として昭和15年(1940)に製作されたと思われるが、作者は不明である。欄間部の紋様は、扁額の左右に方形の区画を設けその中に双龍紋が表現されているもので、こじんまりとした淡白な印象を与えるものである。
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by banbeimania | 2008-03-27 22:14 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町西浅井神明社の蕃塀

 一宮市浅井町西浅井字神明に所在する神明社は、創建年代などは不詳である。社名からみて、祭神は天照大神と思われる。

 西浅井神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。中央の羽目板裏面には「昭和九年一月」、左側の羽目板裏面には人名4名分の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「神明社」と記された扁額状の台形束柱を置き、その両側が透かしとなっている。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に大きく突き出ている。


 西浅井神明社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、参道は直角に折れて壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 西浅井神明社の蕃塀は、昭和9年(1934)に製作されたものであるが、作者は不明である。本蕃塀は、一宮市爾波神社と同様、蕃塀の配置が他の事例と異なっている点が特徴である。西浅井神明社の蕃塀は、拝殿の正面に位置せず、蕃塀の向きが拝殿正面と直交しており、結果として、正面からみて蕃塀が拝殿を覆い隠す形になっていないものである。現状の鳥居と蕃塀は北面していることからみて、鳥居と蕃塀が本来の配置から変更された可能性も考えられる。さて、実際はどうなのであろうか?
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by banbeimania | 2008-03-26 22:15 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町大日比野神社の蕃塀

 一宮市浅井町大日比野字北流に所在する大日比野神社は、明治45年(1912)に白山社に冨士神社と八劔社を合祀して改称された神社である。合祀された神社のうち白山社は、貞観13年(871)に創建されたと伝えられる。祭神は伊佐那岐命・大穴持命・菊理姫命・須佐之男命・木花咲屋姫命・日本武尊である。

 大日比野神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.4m、屋根長約3.9m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。非常に低いコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広い角柱による束柱を1本立て2区画に分け、右側の羽目板表面には竹に虎紋、左側の羽目板表面には牡丹に獅子紋が施されている。左側の羽目板裏面には「御大典紀念 昭和三年十一月」、右側の羽目板裏面には「寄附人 (人名1名分) 取持 氏子中 一宮市松降町 石工稲川孝一」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「大日比野神社」と記された扁額を置き、その両側に双龍紋が描かれている。双龍紋は1匹の頭部は左端に、もう1匹の頭部はほぼ中央に配置されるもので、双龍紋の分類でCタイプに近似している。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、屋根面は段差を持っている。上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。


 大日比野神社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠群、狛犬、壁のない吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 大日比野神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に一宮市の石工稲川孝一によって製作されたものである。現在のところ、この稲川孝一がどのような石工であったかは判明しなかった。羽目板部に「竹に虎紋」と「牡丹に獅子紋」の組合せは本事例が初例であるが、獅子や虎の表情についてはこれまで紹介してきた蕃塀の獅子紋とどこかしら共通する雰囲気を持っている。しかし、羽目板部と欄間部の彫刻は彫りが浅く立体感にやや欠けるきらいがあるといえよう。
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by banbeimania | 2008-03-25 22:02 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町小日比野神明社の蕃塀

 一宮市浅井町小日比野字宮浦に所在する神明社は、創建年代などは不詳である。社名からみて、祭神は天照大神と思われる。

 小日比野神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.5m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、その両側の表面に獅子紋。中央の表面に牡丹紋が施されている。左側の羽目板裏面には「皇紀二千六百年紀念」、中央の羽目板裏面には「寄進者 (人名3名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は双龍紋が描かれており、双龍紋は1匹の頭部は左端に、もう1匹の頭部はほぼ中央に配置されるCタイプであった。円柱柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。控え柱は全て石造で、頭部は宝珠に形作られている。

 小日比野神明社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、百度石、蕃塀、狛犬、コンクリート製平入拝殿、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 小日比野神明社の蕃塀は、皇紀2600年記念として、おそらく昭和15年(1940)に製作されたと推測されるが、作者は不明である。羽目板部の紋様構成が獅子紋と牡丹紋の組み合わせであったが、このような事例はこれまでにも犬山市楽田青塚前神明社、北名古屋市宇福寺天神社、北名古屋市法成寺八劔社、北名古屋市能田津島社、丹羽郡大口町河北神明社、海部郡蟹江町蟹江新町日吉社、海部郡甚目寺町石作神社、海部郡甚目寺町新屋神社、海部郡甚目寺町坂牧日吉社、愛西市川北神社、愛西市藤ヶ瀬神社、津島市青塚白山社、津島市蛭間八幡社、稲沢市日下部沓石神社、稲沢市日下部白山社、稲沢市大塚八幡社、春日井市大泉寺八幡社などの蕃塀に、いくつか認められる。
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by banbeimania | 2008-03-24 22:21 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市浅井町小塞神社の蕃塀

 一宮市浅井町尾関字同者に所在する小塞神社は、創建年代などは不詳である。境内に掲げられた『由緒記』によれば、本社は小塞宿根弓張の古墳と伝わる前方後円墳の上に祀られているという。『延喜式神名帳』に記された式内社である。祭神は天火明命・天香山命である。

 小塞神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高約2.4m、屋根長約3.8m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分け、その表面に波涛上に飛翔する鳥紋が施されている。左側の羽目板裏面には「昭和二年十月」、右側の羽目板裏面には「寄附者 (人名8名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「小塞神社」と記された扁額を置き、その両側に双龍紋が描かれている。双龍紋は頭部を透かし部の両端に配置して2匹の龍が向かい合うBタイプであった。円柱柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄せ棟状に切り出された直線屋根で、屋根面は段差を持っている。上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。

 小塞神社は、正面から灯籠、一の鳥居、灯籠群、二の鳥居、灯籠群、太鼓橋、蕃塀、灯籠、妻入拝殿、灯籠、狛犬群、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 小塞神社の蕃塀は、昭和2年(1927)に製作されたが、作者は不明である。欄間部の彫刻は細工が細かい反面、立体的な表現に欠け平板な印象を持つものである。彫刻の上位が透かし状になっているが、紋様本体に透かしとなる部分は見当たらない。なお、本例のように屋根面が有段となるものは一宮市所在の蕃塀に多い傾向があるようだ。
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by banbeimania | 2008-03-23 21:10 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

一宮市田所八劔神社の蕃塀

 一宮市大字田所字戊亥出に所在する八劔神社は、創建年代などは不詳である。社名からみて、祭神は日本武尊と推測される。

 田所八剱神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.9m、全高約2.5m、屋根長約4.0m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に並べたコンクリート製基壇に礎石を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が斜格子状に葺かれ、大棟の両端には鬼板が置かれていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は全て木製で造られている。蕃塀の前後に金網が設置され保護されていた。

 田所八剱神社は、灯籠、一の鳥居、灯籠、二の鳥居、蕃塀、狛犬、基壇上の妻入拝殿、灯籠、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。拝殿の四周にはアルミサッシの戸が設置されていた。

 田所八剱神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。この神社もまた、蕃塀の破損が度々発生するためか、厳重に連子窓部や羽目板部が防護されていた。蕃塀の形状としては、屋根が斜格子状の銅板葺きであり、一文字葺きでない銅板葺き屋根の事例は少ない。
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by banbeimania | 2008-03-22 23:03 | 蕃塀の事例 | Comments(0)