蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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名古屋市中村区東宿明神社の蕃塀

 名古屋市中村区東宿町1丁目に所在する明神社は、建暦〜貞応年間(1211〜1224)に熱田神宮摂社日本武尊を奉斎し創建されたものと、境内にある由緒書きに記されている。仁治3年(1242)成立と考えられる『東関紀行』には「萱津の東宿社」と記述されている。現在の社殿は昭和2年に造営された。祭神は日本武尊である。

 東宿明神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.3m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、各区画の表面には角を丸く加工した方形枠が施されている。中央の羽目板裏面には「特別寄附 (人名1名分) 奉納 昭和二年度 寄附者 年行司 (人名6名分) 昭和二年十月取持氏子中」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に円柱による束柱を置き、その両側には斜格子紋の透かしが配置されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を15本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石はわずかに外側に突き出ている。

 東宿明神社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、基壇上の木造平入拝殿、狛犬から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 東宿明神社の蕃塀は、昭和2年(1927)製作されたが、作者は不明である。本蕃塀は、欄間部に斜格子紋の透かしを置くものであり、このようなタイプのものには稲沢市大塚日吉社例と稲沢市梅須賀神明社例がある。また、本蕃塀は連子窓部に円柱が使用されているが、名古屋市内では初例となるものである。
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by banbeimania | 2008-08-31 10:06 | 蕃塀の事例 | Comments(2)

名古屋市中村区城屋敷神明社の蕃塀

 名古屋市中村区城屋敷町4丁目に所在する神明社は、創建年代などの由緒は不明である。当地は、織田信長の伯父である津田豊後守の居城「稲葉地城跡」であったという。祭神は天照大神である。

 城屋敷神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高約2.4m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、各区画の表面には左右の区画に獅子紋、中央の区画に神馬紋が彫刻されている。中央の羽目板裏面には「昭和十年一月建之 名古屋市 (人名2名分)」、右側円柱の側面には「□□□□ 角田乙吉」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に扁額を持たない双龍紋が描かれ、その頭部は両端に配置されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。控え柱は全て石造でその頭部は宝珠形となっている。

 城屋敷神明社は、正面から鳥居、灯籠群、狛犬、コンクリート製平入拝殿から本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。拝殿前の右手にも参道があり、その方向では正面から鳥居、狛犬、蕃塀、灯籠が並び中央の参道に合流している。

 城屋敷神明社の蕃塀は、昭和10年(1935)に石工角田乙吉によって製作されたものである。この角田乙吉の手による蕃塀には稲沢市中之庄天神社例(1924)、稲沢市塩江神社例(1926)、稲沢市三丸渕宮裏神明社例(1927)、名古屋市大乃伎神社例(1928)、稲沢市裳咋神社例(1928)、津島市宇治手力雄命社例(1928)、海部郡大治町西条八劔社例(1928)、稲沢市平和町六輪八幡社例(1929)、稲沢市込野富士社例(1931)、稲沢市祖父江高熊八幡社(1937)などがあり、本例で11例目となる。本蕃塀は、現状では主要な参道と思われる南から入る参道の途中に設置されるのではなく、東から入る脇の参道の途中に設置されているもので、その配置は珍しいと言えよう。南から入る参道が後に新設されたか、あるいは本来の位置から現地に蕃塀が移設された可能性を考えた方がよいかも知れない。
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by banbeimania | 2008-08-30 17:21 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中村区大秋八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区大秋町2丁目に所在する八幡社は、創建年代などは不詳である。境内にある由緒書には、往古愛知郡大脇郷に鎮座していたが、天文元年(1532)に大秋十郎左衛門により祭祀され、元禄13年(1700)にこの地に遷座されたと伝えられるという。祭神は応神天皇である。

 大秋八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.6m、屋根長約4.0m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は全て木製で造られているが、基部の腐食が激しいためか鉄製補強具で固定されていた。

 大秋八幡社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 大秋八幡社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、垂木の先端や内法長押と主柱が交差する部分などに金色に発色する錺金具が設けられている。3間巾の木造連子窓型蕃塀の中ではやや規模は小さめであるが、造りは他の中村区の蕃塀と比べても遜色は無いように感じられる。
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by banbeimania | 2008-08-29 00:45 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中村区栄生八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区栄生町に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と思われる。

 栄生八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.1m、全高約2.9m、屋根長約4.2m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。蕃塀の本体が鉄製柵で覆われ防御されていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。

 栄生八幡社は、正面から灯籠、一の鳥居(石造)、二の鳥居(木造)、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 栄生八幡社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、中島八幡社の蕃塀や松原八幡社の蕃塀と構造が良く似ていると感じられる。
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by banbeimania | 2008-08-28 00:51 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中村区松原八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区松原町4丁目に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。『尾張誌』に中野高畑村に八幡社と水野社があると見え、この八幡社に相当すると思われる。明和八年(1771)銘石灯籠の存在から江戸時代中期まで遡るものと考えられる。祭神は応神天皇である。

 松原八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.2m、全高約3.0m、屋根長約4.5m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。全体に白木造りであり、控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。左側背面の控え柱裏面には「昭和九甲戌年二月建之 (人名1名分)」の文字が刻まれていた。

 松原八幡社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 松原八幡社の蕃塀は、昭和9年(1934)に製作されたが、作者は不明である。本蕃塀は、数少ない木造連子窓型蕃塀の中で製作年代を石製控え柱に刻むものである。蕃塀本体は端正な造りで残存状況は良好と見受けられたが、控え柱と控え貫は金属製補強具で固定されていた。
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by banbeimania | 2008-08-27 00:34 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中村区中島八幡社の蕃塀

 本日からは名古屋市中村区に所在する蕃塀を紹介していきたい。名古屋市中村区則武本通2丁目に所在する中島八幡社は、那古野原北部に鎮座したものを、慶長15年(1610)に築城された名古屋城の敷地に罹ったために当地に遷座したものであるという。祭神は応神天皇と思われる。

 中島八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.2m、全高約2.9m、屋根長約4.4m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。全体に白木造りであり、控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。左から二番目の主柱裏面には「昭和八年十月 寄附者 西菊井町 (人名2名分)」の文字が刻まれていた。

 中島八幡社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿、狛犬、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 中島八幡社の蕃塀は、昭和8年(1933)に製作されたが、作者は不明である。木造連子窓型蕃塀で製作年代が判明する事例は少ないが、そのほとんどは金属プレートに記されるものか、石製控え柱に刻まれたものである。本蕃塀は主柱に直接的に年代や寄附者が刻まれたものであり、極めて珍しい事例といえよう。
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by banbeimania | 2008-08-26 00:43 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

海部郡美和町の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、海部郡美和町には28社の神社が記載されており、私はこの28柱の神社を今月までに踏破した。このうち蕃塀を持つ神社は、これまでに紹介してきた古道八幡社、花長八所神社、二ツ寺神明社、篠田神明社、篠田白山社、小橋方県明社、乙之子貴船社、北苅白山社、金岩白山社、木田八劔社、蜂須賀八劔社、蜂須賀八幡社、蜂須賀菅安社、中橋神明社の14社である。

 この他の富塚白山社、木折白山社、木折神明社、花長神明社、花正神明社、東溝口神明社、東溝口日吉社、二ツ寺月之宮社、篠田天神社、小橋方秋葉社、森山十二社、丹波神明社、蜂須賀天神社、蜂須賀秋葉社の14柱には蕃塀は認められなかった。

 以上の結果、海部郡美和町では愛知県神社庁のリスト中のちょうど半数(50%)の神社で蕃塀が存在することが判明した。この数値を他の市町村と比較すると、丹羽郡扶桑町(約88.9%)・丹羽郡大口町(60.0%)・西春日井郡豊山町(約57.1%)・一宮市(約53.3%)に次いで多く、北名古屋市(約46.3%)などを上回っている。旧海部郡で見た場合、海部郡甚目寺町(約39.3%)・海部郡大治町(約18.2%)・愛西市(約16.1%)・津島市(約13.6%)・海部郡蟹江町(約5.3%)・弥富市(約2.2%)・海部郡飛島村(0.0%)となっていて、海部郡では北部で蕃塀が多くなっていることが分かる。
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by banbeimania | 2008-08-25 00:38 | 探索の記録 | Comments(0)

海部郡美和町古道八幡社の蕃塀

 海部郡美和町大字古道字宮ノ腰に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と推測される。

 古道八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.5m、全高約2.1m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に複雑に加工された円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、中央の区画の表面には角を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「御大禮記念 大正十四年十一月」、中央の羽目板裏面には「大正五年十一月納之 當所醫師 (人名1名分) 寄附」、右側の羽目板裏面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」の文字が刻まれている。欄間部は中央に円柱による束柱を立て、その両側は角を丸く加工した方形透かしが施されている。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は腰貫の直上と内法貫の直下に連子窓枠に相当する石材が配置され、その内側に角柱を14本立てて竪連子に造られている。主柱(円柱)の腰貫と内法貫に接する部分では、貫に連続するかのように方形に形作られて、結果的には一見すると腰長押と内法長押であるかのように見える状態となっている。屋根は切妻状に切り出された直線屋根で、棟木石は両側に突き出ている。控え柱は全て石造であるが、柱の頭部は方形に切り出されたままで装飾は認められない。

 古道八幡社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、基壇上の壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 古道八幡社の蕃塀は、大正5年(1916)に名古屋市西区の石工角田六三郎によって製作されたものである。これで紹介してきた石工角田六三郎製作の蕃塀は42例目を数える。本蕃塀は、これまで最古の角田六三郎製蕃塀であった稲沢市船橋熊野神社(1920)よりも約4年古く、新たに最古の角田六三郎製蕃塀と位置付けられる。

 本蕃塀は、腰貫と内法貫を腰長押と内法長押に見えるように主柱を加工していることが最大の特徴と言える。この他に、1)屋根が切妻屋根であること、2)貫の内側に連子窓枠の材が存在すること、3)控え柱頭部に宝珠などの装飾が無いことなどの特徴があり、これらを総合的に考慮すると、本蕃塀は木造連子窓型蕃塀の形状を忠実に模倣しようとしてできた蕃塀と考えられる。大正年間前期における石造連子窓型蕃塀の形成過程を考える上で貴重な事例と評価できる。
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by banbeimania | 2008-08-24 10:06 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

祝 投稿記事500回

 本ブログは本日をもって500回目の投稿を迎えることとなった。2007年1月16日に投稿を開始し、586日目にしてようやくここまで達することができた。これまでに稲沢市や一宮市という蕃塀の事例が多いエリアの事例紹介を終えて大きな山を超えたような感じがするが、一方で相変わらず事例紹介に終始する日々が続いているのも確かだ。そこで、今回はこれまでの記事の内容や構成について確認してみたい。

 本ブログではカテゴリーを4つに分けて内容を整理しているが、その記事数の内訳は、
『蕃塀とは』9件の記事(4コメント:4トラバ)
『探索の記録』60件の記事(2コメント:4トラバ)
『蕃塀の事例』397件の記事(23コメント:21トラバ)
『蕃塀を深める』33件の記事(2コメント:0トラバ)
であった。事例紹介を優先して記事をアップしていたのだから、この内訳は当然の結果といえる。しかし、それにしても『蕃塀を深める』の記事数が少ないのは若干物足りないような気がする。内容は、初期の頃の蕃塀の分類と『堀池論文』の読み込みがほとんどといった状態であり、タイトルが示すほど深めていないのが現状といえよう。

 蕃塀の事例紹介も、私の予測ではあと200事例くらいはありそうなので、しばらくは引き続いていくのだが、そろそろ新たな展開を考えていかなければならないと感じている今日この頃である。
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by banbeimania | 2008-08-23 09:53 | 探索の記録 | Comments(0)

海部郡美和町篠田神明社の蕃塀

 海部郡美和町大字篠田字三田畑に所在する神明社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は天照大神と推測される。

 篠田神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.0m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を2本立て3区画に分け、中央の区画の表面には五三桐紋が彫刻されている。中央の羽目板裏面には「大正十四年 寄附人 名古屋市 (人名2名分)」と刻まれている。欄間部は中央に幅広の角柱による束柱を立て、その両側は角を丸く加工した方形透かしが施されている。円柱の柱頭に腕木板はなく、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された段差を持つ直線屋根で、棟木石は両側にほとんど突き出ていない。

 篠田神明社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 篠田神明社の蕃塀は、大正14年(1925)に製作されたが、作者は不明である。本蕃塀は、現状では地面に直接円柱を立てているように見える。しかし、羽目板部が寸足らずのような印象があるため、本来存在する基壇や礎石・布基礎などが埋もれてしまったものではないかと推察される。
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by banbeimania | 2008-08-22 22:00 | 蕃塀の事例 | Comments(0)