蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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名古屋市北区金城六所社の蕃塀

 名古屋市北区金城町4丁目に所在する六所社は、創建年代などの由緒は不詳である。境内に掲示された由緒書きに、古文書によれば天文16年(1547)に再建されたという記録があり、天文年間以前から存在したと推測されていた。祭神は伊弉諾神・伊弉冉神・大国霊尊・素盞嗚尊・月夜見尊・蛭子尊である。

 金城六所社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.7m、屋根長約3.9m、屋根巾約0.8mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれた基壇に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は左右の区画に獅子紋が、中央の区画に羊紋が彫刻されていた。中央の羽目板裏面には「初老記念 昭和十年二月 寄附者 (人名7名分)」、右側の羽目板裏面には「ナゴヤ西区キクヰ町三 石工 角田乙吉作」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に扁額を持たず頭部を左端と中央に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出されたわずかに反る反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。控え柱も全て石製で、頭部は宝珠に造られていた。

 金城六所社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、狛犬、蕃塀、灯籠、狛犬、木造平入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 金城六所社の蕃塀は、昭和10年(1935)に名古屋市西区の石工角田乙吉によって製作されたものである。本蕃塀は、同区内羊神社と同様に、羽目板部に羊紋が描かれていることが特徴である。なお、角田乙吉の手による蕃塀は本例で16例目となる。
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by banbeimania | 2008-09-30 23:24 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区志賀八幡社の蕃塀

 名古屋市北区志賀町1丁目に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。祭神は応神天皇である。

 志賀八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.8m、屋根長約4.1m、屋根巾約2.3mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に方形肘木と簡略化された雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木や腕木等の先端は白色に塗布されていた。屋根は切妻造りの直線屋根で千木を持ち、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端には外側に突き出て、上位には鰹木が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。連子窓部には注連縄が渡されていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。

 志賀八幡社は、正面から灯籠、一の鳥居、灯籠、二の鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から期壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 志賀八幡社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、大棟に千木や鰹木が設置されたものであるが、このような屋根構造を持つものには、丹羽郡大口町外坪宮前神明社の蕃塀、北名古屋市訓原神社の蕃塀、名古屋市昭和区御器所八幡宮の蕃塀の3事例がある。
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by banbeimania | 2008-09-29 23:02 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区羊神社の蕃塀

 名古屋市北区辻町5丁目に所在する羊神社は、創建年代などの由緒は不詳である。この地の領主である羊太夫が火の神を祀ったといわれ、羊神社と呼び称えるようになったと伝えられる。『延喜式神名帳』に記される山田郡羊神社に相当する式内社で、本殿は慶長18年(1612)に再建され、天保9年(1838)に改築され今日に至る。祭神は天照大神・火之迦具土神である。

 羊神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.6m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれた玉砂利敷のコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は左右の区画に獅子紋が、中央の区画に羊紋が彫刻されていた。中央の羽目板裏面には横書きで「奉納 昭和35年10月建之 (人名18名分) 岡崎市KK加納石材店」の文字が刻まれていた。欄間部には、中央に扁額を持たず頭部を中央と左寄りに置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠に形作られている。

 羊神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 羊神社の蕃塀は、昭和35年(1960)に岡崎市の加納石材店によって製作されたものである。株式会社加納石材店は、明治20年(1887)に岡崎市花崗町で創業され、昭和25年(1950年)に株式会社へ組織変更された石材店である。本蕃塀は中央の羽目板裏面に記された文言が横書きである点が極めて珍しい。横書きに伴い年月日も算用数字で表現されており、加納石材店の現代に合わせた斬新な作風を見て取ることができる。しかし、本蕃塀の最大の特徴は、社名に合わせて羽目板部に羊紋が描かれていることであろう。
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by banbeimania | 2008-09-27 18:50 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区大井神社の蕃塀

 名古屋市北区如意2丁目に所在する大井神社は、社伝によれば和銅・養老年間に産土神として勧請せられたという。『延喜式神名帳』に記される山田郡大井神社に相当する式内社である。本殿は嘉吉2年(1442)に再建され、元禄11年(1698)に再造立されたが、現在の社殿は昭和62年(1987)に造営されたものである。祭神は罔象女命・速秋津彦命・速秋津彦姫命であり、塩竈六所大明神を相殿神とする。

 大井神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.5m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷参道に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は左右の区画に獅子紋が、中央の区画に鯉の滝登り紋が表現されていた。羽目板裏面は、左側の区画に「昭和三年御大典記念」、中央の区画に「寄附人 (人名4名分)」、右側の区画に「東ビワジマ町 石工荒木弥助」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「大井神社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を中央寄りに置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、棟木石は外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠に形作られている。

 大井神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、狛犬、蕃塀、灯籠、木造妻入拝殿、渡殿、灯籠から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 大井神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に名古屋市西区東枇杷島の石工荒木弥助によって製作されたものである。これまでに確認された石工荒木弥助の手による石造蕃塀には、一宮市丹陽外崎八幡社の蕃塀(1918)、稲沢市治郎丸天神社の蕃塀(1922)、北名古屋市九ノ坪十所社の蕃塀(1931)、海部郡甚目寺町方領八幡社の蕃塀(1935)、稲沢市儀長貴船社の蕃塀(1936)、海部郡七宝町下之森八幡社の蕃塀(1936)、七ツ寺十五所社の蕃塀(1937)、西春日井郡豊山町豊場八所神社の蕃塀(1938)の8事例がある。また、東枇杷島町の荒木石材店の作品には海部郡大治町花常八幡社の蕃塀(1955)がある。石工荒木弥助の作品には羽目板部に彫刻がないものが多いが、本蕃塀は細かな彫刻が施された作品である。
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by banbeimania | 2008-09-26 22:32 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区楠味鋺神社の蕃塀

 名古屋市北区楠味鋺2丁目に所在する味鋺神社は、創建年代などの由緒は不詳である。『延喜式神名帳』に記される春日部郡味鋺神社に相当する式内社であるが、現在残る最古の棟札は延宝6年(1678)のものである。現社殿は平成3年に改築された。祭神は宇麻志麻治命と味饒田命である。

 味鋺神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.5m、全高約2.8m、屋根長約4.3m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれた玉砂利敷のコンクリート製基壇に礎石を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は左右の区画に獅子紋が、中央の区画に虎紋が表現されていた。羽目板の裏面は左右の区画に波涛上を飛翔する鳥紋が、中央の区画に鳥紋が表現されていた。中央の羽目板裏面の下半には「皇紀二千五百九十八年 昭和十三戊寅年七月 名古屋市中区菊里町 寄進者 (人名3名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「味鋺神社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を中央寄りに置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後と外側にあり、連子窓部は円柱を15本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は2段構造を持ち上位の石材は外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、右側背面の控え柱裏面には「岡崎市門前町 石匠 杉浦銓次」の文字が刻まれていた。

 味鋺神社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 味鋺神社の蕃塀は、昭和13年(1938)に岡崎市の石工杉浦銓次によって製作されたものである。石工杉浦銓次について特定することが現在のところできていない。本蕃塀は規模が大きく雄大であり、羽目板部の裏面まで彫刻が施されていた。式内社の格に相応しい風格のある石造連子窓型蕃塀であると評価できよう。
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by banbeimania | 2008-09-25 22:25 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区楠大我麻神社の蕃塀

 名古屋市北区楠町大字大浦新田字会所東に所在する大我麻神社は、大蒲新田開拓の祖である佐々木磯吉が、文政年間(1818〜1829)に勧請したといわれる。祭神は現在のところ不明である。

 大我麻神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.2m、屋根長約2.7m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれたコンクリート製基壇に礎石を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分けられているが、表面は両区画とも角を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「昭和五十六年七月吉日建之 施主 旧大浦新田氏子」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「大我麻神社」と記された扁額を置き、その両側には角を丸く加工した方形透かしが施されている。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を8本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石は逆台形状になり外側には突き出ていない。控え柱も全て石製で、控え柱と控え貫はともに円柱が使用されていた。

 大我麻神社は、正面から鳥居、蕃塀、狛犬、木造妻入拝殿、灯籠、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 大我麻神社の蕃塀は、昭和56年(1981)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、控え貫に円柱が使用されていた点が特徴といえよう。全体として、本体の幅が高さよりも狭いのも比較的珍しい事例である。
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by banbeimania | 2008-09-24 23:26 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区楠神明社の蕃塀

 今日からは名古屋市北区に所在する蕃塀を紹介していきたい。

 名古屋市北区楠町大字喜惣治新田に所在する神明社は、当地の新田開発を行った開拓者の一人である国枝喜惣治が、享保2年(1717)に伊勢神宮から天照大神を奉受して創建されたと伝えられる。一方で、新田の開拓の始祖林平八の夢枕に神のお告げがあって、流れてきた祠を安置したのが神明社の始まりだという言い伝えもある。祭神は天照大神である。

 楠神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれた玉砂利敷基壇に礎石を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられているが、表面は全ての区画で無紋のままである。羽目板裏面には全ての区画を用いて「寄附者 (人名38名分)」、右側の羽目板裏面には「昭和六十三年 九月吉日」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「神明社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を両端に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後と外側にあり、連子窓部は円柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ていない。控え柱も全て石製で、左側背面の控え柱の2本の控え貫の間には「施工 岡崎石工団地 (屋号)武田石材店 TEL(以下略)」の文字が刻まれた石板が嵌め込まれていた。

 楠神明社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 楠神明社の蕃塀は、昭和63年(1988)に岡崎の武田石材店によって製作されたものである。本蕃塀は、羽目板部の表面が無紋であることや、施工者が控え柱に設置された石板に記されている点が特徴である。また、連子窓部の高さがやや低く、羽目板部の高さがやや高い点は、新しい蕃塀の特徴なのかもしれない。
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by banbeimania | 2008-09-23 10:12 | 蕃塀の事例 | Comments(2)

海部郡七宝町の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、海部郡七宝町には12社の神社が記載されている。私はこの8月までにこの12の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した11例である。具体的には、沖之島神明社、遠島八幡神社、秋竹藤島神社、桂八劔社、伊福伊福部社、下之森八幡社、安松八劔社、下田春日社、川部河葉社、鷹居春日社、鯰橋熊野社である。

 この他の大字徳実字郷に所在する徳実諏訪社には、蕃塀は認められなかった。また、愛知県神社庁の資料に掲載されていない大字川部字江東本町に所在する川部神明社と大字川部字山王に所在する七宝神社上長山町字西水神平秋葉神社にも蕃塀は認められなかった。

 以上の結果、海部郡七宝町では愛知県神社庁のリスト中の約91.7%の神社で蕃塀が存在することが判明した。この数値を他の市町村と比較すると、丹羽郡扶桑町(約88.9%)・丹羽郡大口町(60.0%)などを上回り最も割合が高い地域となっていることが判明した。
 また、旧海部郡全体で見た場合、愛知県神社庁の資料に掲載された神社309社の中で、蕃塀を持つ神社は64例存在しており、その割合は約20.7%であることが判明した。その内訳は、海部郡七宝町(約91.7%)・海部郡美和町(50%)・海部郡甚目寺町(約39.3%)・海部郡大治町(約18.2%)・愛西市(約16.1%)・津島市(約13.6%)・海部郡蟹江町(約5.3%)・弥富市(約2.2%)・海部郡飛島村(0.0%)となっていて、海部郡では北部で蕃塀が多くなっていることが分かる。
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by banbeimania | 2008-09-20 00:19 | 探索の記録 | Comments(0)

海部郡七宝町鯰橋熊野社の蕃塀

 海部郡七宝町大字鯰橋1丁目に所在する熊野社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は伊弉册尊であろうか。

 鯰橋熊野社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.5m、全高約2.2m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面には全ての区画で角を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「長寿記念 (人名1名分)」、右側の羽目板裏面には「昭和十三年 四月吉日 建之」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「熊野社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を中位に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ていない。

 鯰橋熊野社は、正面から狛犬、鳥居、蕃塀、灯籠群、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 鯰橋熊野社の蕃塀は、昭和13年(1938)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、双龍紋の表現が穏やかで、龍の頭部を左右両区画の中央付近に配置するもので、あまり類例がないタイプであった。
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by banbeimania | 2008-09-19 00:58 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

海部郡七宝町鷹居春日社の蕃塀

 海部郡七宝町大字鷹居3丁目に所在する春日社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は天児屋根命と推察される。

 鷹居春日社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.0m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷き参道に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面には左右の区画に鹿紋、中央の区画に鶏紋が彫刻されている。中央の羽目板裏面には「寄附人同年者 (人名4名分) 昭和三年一月」の文字が、右側の羽目板裏面には判読不明な文字が刻まれていた。欄間部は、中央に「春日神社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を中央に寄せた双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は円柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石は外側に突き出ていない。

 鷹居春日社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 鷹居春日社の蕃塀は、昭和3年(1928)に製作されたものであるが、作者は判読できず不明である。本蕃塀は、羽目板部に鹿紋と鶏紋が描かれている点が特徴的である。鹿紋が表現されるのは、「春日社」であるからなのであろうか?
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by banbeimania | 2008-09-18 00:39 | 蕃塀の事例 | Comments(0)