蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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『尾張名所図会』に見る蕃塀(21)虫鹿神社

 『尾張名所図会後編』巻之六(1841年頃筆?:1880年撰)には虫鹿神社に関する絵が所収されており、そのうち三明神社に蕃塀のような施設が描かれている。この三明神社は、本文には虫鹿神社の項目中に記述が認められ、「虫鹿神社 前原新田にあり。[延喜神名式]に虫鹿神社、[本国帳]に従三位虫鹿天神とある官社なり。[同集説]に、初坐虫鹿荘入鹿村。寛永十年移村民於前原。造沼地之時。遷座前原村とある如く。後年ここにうつししなり。今三明神社と天道社と二所あり、共に入鹿村にありし古社なれば、いづれか虫鹿の荘名を称せし御神なるべし。天道社は白雲寺是を守り、三明神社は社人司る。」と記されている。

 『尾張名所図会後編』「虫鹿神社」図には右手上方に「三明神」の社殿が描かれていて、その前方に蕃塀らしき施設が見える。正面から鳥居、蕃塀、拝殿、祭文殿を経て本社に至る構成が示されている。描かれた蕃塀は、画像が小さいが、3間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で前後に控え柱を持たないようである。
e0113570_0375785.jpg

 さて、この三明神社は犬山市大字前原に所在する虫鹿神社を指していると考えられる。現在大字前原には虫鹿神社と天道宮神明社があり、この2社が『尾張名所図会後編』「虫鹿神社」の項にある三明神社と天道社に相当し、現存する虫鹿神社が三明神社と想定されるからである。この虫鹿神社の蕃塀は、1間巾のコンクリート(モルタル)造衝立型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.2m、全高約1.8m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.5mを測り、本来は両側に控え柱を持つ部分が塀状となっている。『尾張名所図会後編』と比べると、現存する虫鹿神社は社殿構成もやや異なり蕃塀の構造も全く異なるといってよい状態である。従って、1841年に描かれた虫鹿神社の蕃塀は一旦失われたものといえる。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として虫鹿神社が取り上げられていない。
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by banbeimania | 2008-10-31 00:40 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(20)葉栗郡

 『尾張名所図会後編』巻之五では、葉栗郡の事蹟が紹介されており、多くの神社が掲載されている。このうち絵画を伴って紹介されている神社は、大日社、賀茂神社、伊富利部神社、大毛神社、小塞神社、(黒岩)石刀神社、宮田天王社、魚入天神社、河俣上天神社、若栗神社、宇夫須那神社の11社が存在する。

 このうち蕃塀が描かれている神社は、前回までに紹介した大毛神社、黒岩石刀神社の2社のみである。その他の神社は曖昧な状態のものもあるが、基本的には蕃塀が存在していなかったと思われる。従って1841年頃の葉栗郡では『尾張名所図会後編』に図示された中で約18%の神社で蕃塀が存在することが判明した。なお、『尾張名所図会後編』に蕃塀が確認できない神社のうち、少なくとも大日社、賀茂神社、伊富利部神社、小塞神社、若栗神社、宇夫須那神社には現在蕃塀を持っている。これらは1841年頃以降に蕃塀が新設されたものと考えられよう。

 さて、現在の旧葉栗郡の愛知県神社庁の資料に掲載された神社については、江南市の一部の神社など未だ参拝できていないものがある。また、一宮市内の神社から旧葉栗郡に属するものを抽出する作業ができていない。従って、旧葉栗郡での蕃塀を有する割合について正確な数値を提示できないが、例えば旧木曽川町で現在の神社における蕃塀を持つ割合は約42.9%であることからみて、1841年頃よりも割合が高いと考えられよう。

 なお、絵画を伴わない本文のみで紹介された神社には、黒田神社、大野神社、(浅井)八龍社、がある。
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by banbeimania | 2008-10-30 00:28 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(19)石刀神社

 『尾張名所図会後編』巻之五(1841年頃筆?:1880年撰)には石刀神社に関する絵が所収されており、そこに蕃塀のような施設が描かれている。この石刀神社は黒岩村にあると本文に記述されている。

 『尾張名所図会後編』「石刀神社」図には背後から社殿が描かれていて、そのほぼ中央に蕃塀らしき施設が見える。正面から鳥居、蕃塀、祭文殿?を経てご神体の岩に至る構成が示されている。描かれた蕃塀は3間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で前後に控え柱を持っている。
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 さて、この石刀神社は一宮市浅井町黒岩字石刀塚に所在する石刀神社を指していると考えられる。現存する浅井石刀神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.8m、屋根長約4.1m、屋根巾約1.7mで、両側に控え柱を持つ。『尾張名所図会後編』と比べると、現存する浅井石刀神社は社殿構成と蕃塀の構造ともよく類似している。このことから、現存する蕃塀は『尾張名所図会後編』に描かれたものと同一である可能性があるといえる。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として石刀神社が取り上げられていない。
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by banbeimania | 2008-10-29 06:19 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(18)大毛神社

 『尾張名所図会後編』巻之五(1841年頃筆?:1880年撰)には大毛神社に関する絵が所収されており、そこに蕃塀のような施設が描かれている。この大毛神社は大毛村にあると本文に記述されている。

 『尾張名所図会後編』「栄泉寺 大毛神社 廬入塚 極楽寺」図には上部に大毛神社が描かれていて、そのほぼ中央に蕃塀らしき施設が見える。正面から鳥居、平入拝殿、蕃塀、祭文殿、渡殿を経て本社に至る構成が示されている。描かれた蕃塀らしき施設は、切妻屋根の連子窓型塀と見受けられ、間数や詳細な構造は不明である。拝殿と祭文殿との間に蕃塀が配置されるのは極めて異例なものであり、このことが本施設を蕃塀と断定するのを躊躇ししている最大の理由である。
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 さて、この大毛神社は一宮市大字大毛字五百入塚に所在する大毛神社を指していると考えられる。現存する大毛神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.4m、屋根長約3.3m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持つ。『尾張名所図会後編』と比べると、社殿構成は異なっており、現在の蕃塀は拝殿の前に存在する。また、蕃塀の構造も欄間部の有無などの特徴が異なっており、そもそも現存する蕃塀は平成4年(1992)に関東商事株式会社により施工されたものである。従って、1841年に描かれた大毛神社の蕃塀は一旦失われたものといえる。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として大毛神社が取り上げられていない。
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by banbeimania | 2008-10-28 00:31 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(17)春日井郡

 『尾張名所図会後編』巻之三と四では、春日井郡の事蹟が紹介されており、多くの神社が掲載されている。このうち絵画を伴って紹介されている神社は、山王社、上畠神明宮、(御園)中島宮、(中小田井)五社明神社、星大明神社、大乃伎神社、綿神社、味鋺神社、大井神社、(豊場)物部神社、尾張神社、兒権現社、伊多波刀神社、内々神社、尾張戸神社、(上水野)金神社の16社が存在する。

 このうち蕃塀が描かれている神社は、前回までに紹介した山王社、上畠神明宮、豊場物部神社の3社のみである。その他の神社は曖昧な状態のものもあるが、基本的には蕃塀が存在していなかったと思われる。従って1841年頃の春日井郡では『尾張名所図会後編』に図示された中で約19%の神社で蕃塀が存在することが判明した。なお、『尾張名所図会後編』に蕃塀が確認できない神社のうち、少なくとも星大明神社、大乃伎神社、味鋺神社、大井神社には現在蕃塀を持っている。これらは1841年頃以降に蕃塀が新設されたものと考えられよう。

 さて、現在の旧春日井郡の愛知県神社庁の資料に掲載された神社については、未だ全てを参拝できていない。従って、単純に比較することはできないが、現在の神社における蕃塀を持つ割合は、西春日井郡豊山町で約57.1%、名古屋市北区で50%、北名古屋市で約46.3%、春日井市で約45.5%、名古屋市西区で約16.1%などであり、1841年頃よりも高いと言えよう。

 なお、絵画を伴わない本文のみで紹介された神社には、(清須)牛頭天王社、阿原天神社、(下小田井)神明社、伊奴神社、多奈波太神社、小高園天神社、(九ノ坪)十所社、(沖)山王権現社、菅天神社、志賀田天神社、訓原神社、(熊庄)熊野権現社、牟都志神社、外山神社、片山神社、坂庭神社、多気神社、粟田三所地神社、宇津宮明神社、(小牧)神明社、(村中)八幡社、實々天神社、田県神社、(野口)白山社、非多天神社、高牟神社、羊神社、渋川神社、川島神社、高蔵社、中務卿宗良親王社、勝手明神社、大目神社、深川神社がある。確実なことは言えないが、おそらくこれらの神社にも1841年頃に蕃塀は無かったものと想像される。
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by banbeimania | 2008-10-27 00:38 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(16)物部神社

 『尾張名所図会後編』巻之三(1841年頃筆?:1880年撰)には物部神社に関する絵が所収されており、そこに蕃塀が描かれている。この物部神社は豊場村にあるといい、社殿構成については「拝殿・瑞籬・祭文殿・神門・鳥居等巍然と立てつらね」と本文に記述されている。この瑞籬が蕃塀のことを指しているかも知れない。

 『尾張名所図会後編』「常安寺 物部神社」図には右手下半に注記が存在しない蕃塀が描かれている。正面から鳥居、神門、蕃塀、拝殿、祭文殿を経て本社に至る構成が示されている。描かれた蕃塀は小さく描かれているが、3間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で前後に控え柱を持っているように見える。
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 さて、この物部神社は西春日井郡豊山町豊場に所在する八所神社を指していると考えられる。現在の豊場八所神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.2m、全高約2.6m、屋根長約4.2m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持っている。『尾張名所図会後編』と比べると、社殿構成は神門など一部の施設が残存していないが、蕃塀の位置はあまり変更していないように感じられる。蕃塀の構造は、絵画の方が単純に描かれているものの、欄間部の有無などの特徴が明瞭に異なっていることが分かる。現存する豊場八所神社の蕃塀は、昭和13年(1938)に荒木弥助によって製作されたものであり、1841年に描かれた蕃塀はその時に廃された可能性が考えられる。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として「常安寺物部神社」として取り上げているが、常安寺と物部神社は別のものであり、正しくは「物部神社」とすべきである。
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by banbeimania | 2008-10-26 01:08 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(15)上畠神明宮

 『尾張名所図会後編』巻之三(1841年頃筆?:1880年撰)には上畠神明宮に関する絵が所収されており、そこに蕃塀が描かれている。この上畠神明宮は清須神明町の西裏にあるといい、社殿構成については「幣殿・祭文殿・拝殿・透垣・鳥居等厳重に建てつらね」と本文に記述されている。

 『尾張名所図会後編』「上畠神明」図には左手に「透垣」と注記された蕃塀が描かれている。正面から透垣、拝殿、祭文殿、渡殿を経て本社に至る構成が示され、背後に鳥居が配されている。描かれた蕃塀は、3間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で前後に控え柱を持っているように見える。
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 さて、この上畠神明宮は清須市清洲に所在する上畠神明社を指していると考えられる。この上畠神明社については、本ブログでは未だ紹介していないが、既に参拝自体は終えており、現在神社にある蕃塀は両側に控え柱を持つ3間巾の木造桟瓦葺き連子窓型蕃塀であることが判明している。『尾張名所図会後編』と比べると、社殿構成は概ね合致していると評価でき、蕃塀の構造も近似している。現存する日吉神社の蕃塀は、1841年に描かれた蕃塀がそのまま残存した可能性も残されよう。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として上畠神明宮が取り上げられているが、「名所図会にある「透垣」と同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている」神社としては評価されていない。
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by banbeimania | 2008-10-25 08:15 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(14)山王社

 『尾張名所図会後編』巻之三(1841年頃筆?:1880年撰)には山王社に関する絵が所収されており、そこに蕃塀が描かれている。この山王権現社は清須本町の東にあると本文に記述されている。

 『尾張名所図会後編』「山王社」図にはほぼ中央に「透垣」と注記された蕃塀が描かれている。正面から鳥居、神門、透垣、拝殿、祭文殿、渡殿を経て本社に至る構成が示されている。描かれた蕃塀は、3間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で前後に控え柱を持っているように見える。
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 さて、この山王社は清須市清洲に所在する日吉神社を指していると考えられる。この日吉神社については、本ブログでは未だ紹介していないが、既に参拝自体は終えており、現在神社にある蕃塀は両側に控え柱を持つ3間巾の木造桧皮葺き連子窓型蕃塀であることが判明している。『尾張名所図会後編』と比べると、社殿構成は概ね合致していると評価でき、蕃塀の構造も近似している。現存する日吉神社の蕃塀は、1841年に描かれた蕃塀がそのまま残存したものであろうか。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、天保十二年(1841)の『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として山王社が取り上げられていない。
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by banbeimania | 2008-10-24 22:04 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(13)中島郡

 『尾張名所図会後編』巻之一と二では、中島郡の事蹟が紹介されており、多くの神社が掲載されている。このうち絵画を伴って紹介されている神社は、真清田神社、天道社、濱神明、酒見神社、川曲神社、大神社、修理若御子社、尾張大国霊神社、伊奈波神社、金神社、鞆江神社、(小信中島)吉田権現社、堤治神社、生桑神社、(三宅)牛頭天王社、鈴置地神社、(片原一色)川曲八剱社、布智神社、(下祖父江)神明社、(中牧)皇大明神社、(神明津)神明社の21社が存在する。

 このうち蕃塀が描かれている神社は、前回までに紹介した真清田神社、濱神明、尾張大国霊神社、中牧皇大明神社の4社のみである。その他の神社は曖昧な状態のものもあるが、基本的には蕃塀が存在していなかったと思われる。従って1841年頃の中島郡では『尾張名所図会後編』に図示された中で約19%の神社で蕃塀が存在することが判明した。なお、『尾張名所図会後編』に蕃塀が確認できない神社のうち、少なくとも酒見神社、川曲神社、大神社、鞆江神社、小信中島吉田権現社(那迦島神社)、鈴置地神社(鈴置神社)には現在蕃塀を持っている。これらは1841年頃以降に蕃塀が新設されたものと考えられよう。

 さて、現在の旧中島郡の愛知県神社庁の資料に掲載された神社については、これまでに全て参拝できている。ただし、一宮市内の神社から旧中島郡に属するものを抽出する作業ができておらず、旧中島郡での蕃塀を有する割合について正確な数値を未だ提示できていない。一宮市では221社中で118社に蕃塀が存在しその割合は約53.3%、稲沢市では179社中で80社に蕃塀が存在しその割合は約44.7%であることが分かっている。この結果、蕃塀を持つ割合は1841年頃よりも現在の方が多く、その数は増加していると言えよう。

 なお、絵画を伴わない本文のみで紹介された神社には、野宮神明社、三明神社、奥村神明社、御裳天神社、大神神社、世継天神社、宗形神社、大御霊神社、久多神社、茜部天神社、長杜天神社、千代神社、土宮大明神社、(中荘)縣社、裳咋神社、坂手神社、鹽門天神社、賣夫神社、(法華寺)白山権現社、河俣下天神社、(玉野)八劔宮社、鹽江神社がある。確実なことは言えないが、おそらくこれらの神社にも1841年頃に蕃塀は無かったものと想像される。
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by banbeimania | 2008-10-23 22:02 | 蕃塀を深める | Comments(0)

『尾張名所図会』に見る蕃塀(12)皇大明神社

 『尾張名所図会後編』巻之二(1841年頃筆?:1880年撰)には皇大明神社に関する絵が所収されており、そこに蕃塀が描かれている。この皇大明神社は中牧村にあるといい、「牧ヶ輪七箇村の産土神として、天文三年此所に遷座す」と本文に記述されている。

 『尾張名所図会後編』「皇大明神社」図にはほぼ中央に「透垣」と注記された蕃塀が描かれている。正面から鳥居、透垣、拝殿、祭文殿、渡殿を経て本社に至る構成が示されている。描かれた蕃塀は、2間巾の連子窓型蕃塀と思われ、切妻屋根で背後のみに控え柱を持っているように見える。
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 さて、この皇大明神社は稲沢市祖父江町中牧字宮原に所在する皇大明神社を指していると推測される。現在の中牧皇大明神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.5m、全高約2.6m、屋根長約4.7m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。『尾張名所図会後編』と比べると社殿構成は細かい施設に異同が多く認められるが、概ね合致していると評価できるだろう。蕃塀の構造は、柱間数が異なる点や控え柱の内容が異なっているので、両者が全く同一のようには感じられない。おそらく1841年以降に、絵図に示された形状の蕃塀が廃され、現存する蕃塀に建て替えられたものと推察されよう。

 なお、堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」には、天保十二年(1841)の『尾張名所図会』に蕃塀が建っている神社として皇大明神社が取り上げられていない。
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by banbeimania | 2008-10-22 20:04 | 蕃塀を深める | Comments(0)