蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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『愛知縣神社名鑑』とは

 『愛知縣神社名鑑』は平成4年8月30日に愛知県神社庁の編集・発行により出版された書物である。同書中の「発刊のことば」や「あとがき」によれば、その編纂は愛知県神社庁前嘱託の福島淳氏を始めとする関係各位により進められたもので、明治12年の神社明細書を根幹とし、各種明細書と照合し、地誌や郷土史などの資料を加味して、さらに県下の神職等の調査を加えた上で、各神社の鎮座地・祭神名・由緒・例祭日・社殿・特殊神事・宝物・境内坪数・氏子数・宮司名などが記述されている。本文は807頁に及び、これに各種資料が付載されていた。値段は私がこれまで購入した書物の中で最も高額なものの一つとなるような高値ではあったが、その内容をみればこの値段は納得せざるを得ないものであった。

 『愛知縣神社名鑑』は、これまで私が蕃塀を持つ神社を紹介する際に最初に触れてきた神社の概要説明の部分の主要な情報が網羅されていて、非常に重宝する書物であることが、入手してみて改めて明らかになった。今後折りをみて、過去の記述を徐々に書き直していきたいと考えている。

 そこで、『愛知縣神社名鑑』を準備していただいている間に、愛知県神社庁の担当の方に雑談の形で、『愛知縣神社名鑑』の記述の一部を個人で運営しているブログに掲載することの可否について聞いてみた。私が聞いて現在記憶する理解では「記載をそのまま転載するのは不可で、自分で『張州府志』などの原典に当たるなどして独自に調べ記述してください」というような回答をいただいた。つまり、参考にするのはよいが、転載や複製は不可ということで、著作権法上の権利を明快に解説していただいたことになる。文書などによる転載の申請を行ってもまず許可は出ないだろうとも宣告されてしまい、本当は『愛知縣神社名鑑』にある由緒などをそのまま転載したいところなのだが、それは我慢せざるを得ない。

 ただし、そうはいっても、蕃塀の有無に大きく影響していると予測される各神社の祭神については、必要に応じて『愛知縣神社名鑑』から引用していきたいと考えている。それは、著作権法第32条第1項には「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」とあり、所定の手続きや要件を満たせば十分に認められるものだからだ(そもそも「各神社の祭神」は「情報そのもの」であって著作権の対象となるのかどうかも少し疑問があるが)。ということで、これまで祭神が不明であるとした記述がいくつか存在したが、この作業が終れば祭神はほぼ網羅できることになるはずである。
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by banbeimania | 2009-04-30 22:02 | 探索の記録 | Comments(0)

『愛知縣神社名鑑』入手

 これまで私が「愛知県神社庁の資料によれば」と記述した時の資料とは、愛知県神社庁のホームページ(http://aichi-jinjacho.or.jp/)の中にある「県内の神社紹介」に示されているリストである。このリストには神社名と郵便番号と鎮座地が記入されており、これをもとに参拝を行ってきた。

 ただ、このリストでは祭神や由緒が全く示されておらず、こういった神社の情報は、現地で掲示されている由緒書きやネット上の各種情報をはじめ、各市町村史や古記録を調べて集めてきた。ただし、こうした情報だけでは祭神や由緒が判明しない神社もいくつかあり、どうにかならないかと思案していた。そこで、ある機会に愛知県下の神社を総覧した書物が存在することを知り、先日愛知県神社庁に出向き『愛知縣神社名鑑』を入手したいと申し出て購入することができた。滅多に売れる本ではないらしく、愛知県神社庁の担当の方に随分とお手数をおかけしてしまったようで、ここで改めて感謝申し上げたい。
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by banbeimania | 2009-04-29 23:56 | 探索の記録 | Comments(0)

名古屋市中川区の蕃塀

 愛知県神社庁の資料によれば、名古屋市中川区には75社の神社が記載されている。私は今月中にこの75柱の神社を踏破したが、このうち蕃塀を持つ神社は既に紹介した13例である。

 具体的には元中野神明社、西日置鹽竃神社、柳川須佐之男社、五女子八劔社、愛知神明社、長良八劔社、昭和橋通春日神社、東中島八劔社、東起白山社、江松神明社、富田千音寺赤星神社、吉津日吉神社、伏屋七所神社の13柱である。

 この他の、山王神明社、尾頭橋西古渡神社、二女子白山社、二女子熊野社、牛立八幡社、八劔町八劔社、十一番町八劔社、月島金刀比羅社、四女子八幡社、小本神明社、八家神明社、中野新町神明社、大平通八幡社、小塚若宮八幡社、昭明神明社、小碓知立社、明徳神明社、荒子神明社、荒子富士天満社、万町神明社、高畑神明社、野田三狐神社、野田八王子社、土野神明社、川前白山社、中郷雨宮社、中郷津島神社、中須斉宮社、打中神明社、中島新町八劔社、法華神明社、西中島皇太神社、大当郎神明社、大当郎白山社、下之一色浅間社、助光神明社土之宮合殿、榎津三輪社、包里上神明社、包里下神明社、戸田八幡社、戸田天神社、戸田鈴宮社、戸田白山社、戸田神明社、富永神明社、富田千音寺七所社、富田千音寺天神社、富田新家天満宮、島井熱田社、服部八幡神社、吉津津島社、供米田神明社、春田熱田社、春田富田忠魂社、春田太神社、春田神明社、富田万場国玉神社八劔社合殿、富田万場秋葉社、富田万場八幡社、富田万場天神社、富田長須賀八幡社の61柱には蕃塀は認められなかった。なお、残りの野立町字新落山852に所在する秋葉社については、現在この地名が変更になったようで、私にはこの野立秋葉社がどこに所在するのか分からなかった。八神町に所在する八神神社がこれに該当するなら、蕃塀は認められなかったといえる。また、愛知県神社庁の資料には存在しない名古屋市中川区江松2丁目神明社, 名古屋市中川区供米田3丁目不明神社の2社についても、蕃塀は認められなかった。

 以上の結果、名古屋市中川区では愛知県神社庁のリスト中の約17.3%の神社で蕃塀が存在することが判明した。この数値をこれまで紹介してきた他の名古屋市内の区と比較すると、北区(22社中11社:50%)・名東区(7社中2社:約43%)・昭和区(10社中3社:30%)・千種区(10社中3社:30%)・中村区(49社中9社:約18%)よりも少なく、西区(31社中5社:約16%)・中区(24社中3社:約13%)・守山区(17社中2社:約12%)・天白区(9社中1社:約11%)・東区(16社中1社:6.25%)・名古屋市瑞穂区(17社中0社:0%)よりは多いといえる。名古屋市の中では、中川区は蕃塀を持つ神社の割合が中ぐらいの地域であるということになる。
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by banbeimania | 2009-04-27 21:57 | 探索の記録 | Comments(0)

名古屋市中川区江松神明社の蕃塀

 名古屋市中川区江松4丁目に所在する神明社は、境内にある由緒書によれば、永正元年(1504)に天照大神を奉斎し、宝永元年(1704)に現在地に建立されたという。昭和10年(1935)に大改築された後、平成9年(1997)に境内が整理され、本殿と祭文殿と拝殿が改築された。祭神は天照大神である。

 江松神明社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.3m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず、石敷の参道に直接礎石を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、その表面には獅子紋が表現されていたが、裏面は無紋である。欄間部は「神明社」と記された扁額を置き、その両区画には双龍紋が彫刻された羽目板が嵌め込まれていた。円柱の柱頭には腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は全く外側に突き出ていない。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 江松神明社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠2対、狛犬、コンクリート造拝殿から渡殿などが連続して本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 江松神明社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。連子窓部の高さが極めて低いことや石材が新鮮で彫刻もシャープであることなどから見て、製作年代は極めて新しいものと想定される。平成9年(1997)の本殿・祭文殿・拝殿の改築の際に建造されたものと思量する。
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by banbeimania | 2009-04-26 22:16 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区伏屋七所神社の蕃塀

 名古屋市中川区伏屋2丁目に所在する七所神社は、創建年代などの由緒は不詳である。『尾張徇行記』には永正6年(1509)に再建されたと記されている。祭神は日本武尊・迦具土神・足仲彦命・稲依別命・宮酢姫命・乎止与命・草薙御劔御霊である。

 伏屋七所神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.1m、屋根長約2.8m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず、直接地面に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。布基礎はやや陥没しており、一見布基礎が無いように見えるものである。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、両側の区画表面には獅子紋、中央の区画表面には鞠に鼠紋が表現されていた。羽目板部の裏面には、左側の区画で「昭和七年十一月」、中央の区画で「寄附人 (人名4名分)」、右側の区画で「取持氏子中 ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」と刻まれていた。欄間部は「七所社」と記された扁額を置き、その両区画には桐紋が描かれた羽目板が嵌め込まれていた。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を7本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端はわずかに外側に突き出ている。

 伏屋七所神社は、正面から狛犬、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 伏屋七所神社の蕃塀は、昭和7年(1932)に名古屋市西区の石工角田六三郎によって製作されたものである。石工角田六三郎製作の蕃塀はこれで49例目を数える。羽目板部に鞠に鼠紋が施されるのは、珍しいといえる。
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by banbeimania | 2009-04-24 23:23 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区吉津日吉神社の蕃塀

 名古屋市中川区吉津4丁目に所在する日吉神社は、鎌倉時代に日吉大社の御分霊を拝戴したと伝えられるが、創建年代などの由緒は不詳である。貞享5年(1688)などの棟札が所蔵されているという。現在の社殿は昭和58年(1983)に造営された。主祭神は大山咋神である。

 吉津日吉神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.3m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず、直接石敷の参道に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、両側の区画表面には獅子紋、中央の区画表面には牡丹紋が表現されていた。羽目板部の裏面には文字や紋様などは全く施されていない。欄間部は角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、両区画には隅丸長方形の透かしが設けられていた。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は全く外側に突き出ていない。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 吉津日吉神社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、コンクリート製拝殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 境内に存在する「神社造営経緯」を記した石碑によれば、昭和58年(1983)に造営された社殿の目録の中に「不浄除 壱基」と記述されており、設計施工は戸田建設株式会社、協力業者として末広工業株式会社・東海建設株式会社・清川産業株式会社・岩間造園株式会社・岡崎石工団地協同組合が挙げられていた。このことからみて、吉津日吉神社の蕃塀は、昭和58年(1983)に岡崎石工団地協同組合によって製作されたものと推察される。
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by banbeimania | 2009-04-23 23:20 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区富田赤星神社の蕃塀

 名古屋市中川区富田町千音寺字赤星裏に所在する赤星神社は、創建年代などの由緒は不詳だが、室町時代に創建されたとする説がある。近畿自動車道建設に伴い、昭和54年から55年に移築工事が行われ、現在に至っている。祭神は根裂尊社であり、当地方では数少ない星神の信仰の社である。

 富田赤星神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.2m、屋根長約3.1m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。上から見てH字形のコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。なお、基壇の周囲には切り石で方形枠が設けられていた。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、両側の区画表面には獅子紋、中央の区画表面には雲気に五つ星紋が表現されていた。羽目板部の裏面には波涛上に飛翔する鳥紋が描かれている。左側の束柱裏面には「昭和七年五月建之」、右側の束柱裏面には「寄附市場之割」の文字が刻まれていた。欄間部は扁額などを持たずに置き、頭部を両端に配置する双龍紋が彫刻されていた。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端には鬼板が置かれており、棟木石の正面には「星ノ宮」と浮き彫りされていた。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 富田赤星神社は、正面から狛犬、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠群、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 富田赤星神社の蕃塀は、昭和7年(1932)に製作されたものだが、作者は不明である。前々回の名古屋市中川区東中島八剱社の蕃塀の記事では、羽目板部の「表面」に波涛上に飛翔する鳥紋が描かれているものを検討した。一方、富田赤星神社の蕃塀は羽目板部の「裏面」に波涛上に飛翔する鳥紋が描かれているものであった。このような「裏面」に彫刻される事例は、これまで紹介してきた蕃塀の中では、海部郡大治町西条八劔社の蕃塀(1928)・名古屋市中村区岩塚七所社の蕃塀(1931)・稲沢市福島神明社の蕃塀A(1931)・海部郡大治町八ツ屋春日社の蕃塀(1932)・海部郡七宝町下田春日社の蕃塀(1934)・春日井市稲口津島社の蕃塀(1936)・稲沢市平野八幡社の蕃塀(1936)・名古屋市北区味鋺神社の蕃塀(1938)・一宮市萩原町林野八幡社の蕃塀(1963)・稲沢市竹腰八劔社の蕃塀(1964)の10例がある。この結果、波涛上に飛翔する鳥紋を「表面」に描くものはやや古い傾向があり、「裏面」に描くものはやや新しい傾向があるように感じられる。
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by banbeimania | 2009-04-22 22:33 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区東起白山社の蕃塀

 名古屋市中川区東起町4丁目に所在する白山社は、創建年代などの由緒は不詳である。境内は前田三郎四郎和春が荒子城に続いて築いた東起城跡の一部あるという。社名からみて、祭神は菊理姫命と推測される。

 東起白山社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.4m、屋根長約3.7m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず、幅が広くなったコンクリート敷参道に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、両側の区画表面には獅子紋、中央の区画表面には牡丹紋が表現されていた。中央の羽目板裏面には、「昭和四十八年五月 寄附人 (人名2名分) 岡崎 東海石材 株式会社 製作」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「白山社」と記された扁額を置き、その両側にはほぼ左右対称な双龍紋が彫刻されていた。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ていない。控え柱は全て石造で、頭部が宝珠に形作られている。

 東起白山社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、コンクリート造拝殿、狛犬、コンクリート造渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 東起白山社の蕃塀は、昭和48年(1973)に岡崎市の東海石材株式会社によって製作されたものである。東海石材は岡崎市花崗町に所在し、岡崎の高級石材で知られる「牛石青石」採掘150年の歴史を伝え、創業以来70余年を数えるという。本蕃塀は比較的新しい作品で彫刻が美しい。控え柱の控え貫が長くなっており、総体的に控え柱が立派な状態となっている。
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by banbeimania | 2009-04-21 22:04 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区東中島八劔社の蕃塀

 名古屋市中川区東中島町5丁目に所在する八劔社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は日本武尊と推測される。

 東中島八剱社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.4m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、両区画の表面には波涛上に飛翔する鳥紋が表現されていた。右側の羽目板裏面には、「昭和四十九年八月建之 奉賛会員一同 順不同 (人名34名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「八劔社」と記された扁額を置き2区画に分けられ、両区画の表面には双龍紋が表現されており、上端部が狭い透かしとなっていた。円柱の柱頭には腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せた棟木石の両端はわずかに外側に突き出ている。

 東中島八剱社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、コンクリート造拝殿、コンクリート造渡殿から基壇上のコンクリート造本殿施設群に至る構成を持つ。

 東中島八剱社の蕃塀は、昭和49年(1974)に製作されたが、作者は不明である。本蕃塀は、羽目板部の表面に波涛上に飛翔する鳥紋が描かれているものである。このような事例は、これまで紹介してきた蕃塀の中では一宮市北小渕大明神社の蕃塀(1916)・丹羽郡大口町河北二ツ屋神明社の蕃塀(1919)・稲沢市船橋熊野神社の蕃塀(1920)・海部郡七宝町藤島神社の蕃塀(1921)・一宮市更屋敷八劔神社の蕃塀(1921)・稲沢市横地白山社の蕃塀(1922)・江南市宮田川島神社の蕃塀(1923)・一宮市春明神明社の蕃塀(1924)・稲沢市平和須ヶ谷八幡社の蕃塀(1924)・北名古屋市鹿田十所社の蕃塀(1924)・海部郡美和町二ツ寺神明社の蕃塀(1925)・稲沢市平和法立神明社の蕃塀(1926)・稲沢市祖父江三丸渕寺東神明社の蕃塀(1927)・一宮市浅井小塞神社の蕃塀(1927)・海部郡美和町中橋神明社の蕃塀(1927)・稲沢市裳咋神社の蕃塀(1928)・江南市宮田大明神社の蕃塀(1929)・愛西市由乃伎神社の蕃塀(1930)・丹羽郡大口町大字秋田字郷裏八王子社の蕃塀(1930)・一宮市丹陽森本六所社の蕃塀(1930)・一宮市立野天神社の蕃塀(1932)・一宮市丹陽三ツ井休郷八幡社の蕃塀(1934)・稲沢市儀長貴船社(1936)・稲沢市祖父江高熊八幡社(1937)・朝宮神社の蕃塀(不明)の22例がある。この結果、本蕃塀は羽目板部の表面に波涛上に飛翔する鳥紋が描かれるもののうち、桁外れに新しいものであることが分かる。(4月22日に加筆修正した)
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by banbeimania | 2009-04-20 22:36 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中川区昭和橋通春日神社の蕃塀

 名古屋市中川区昭和橋通6丁目に所在する春日神社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は天児屋根命と推測される。

 昭和橋通春日神社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たずコンクリート敷参道に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、両区画の表面には獅子紋が表現されていた。羽目板部の裏面は、右側の区画では「昭和三十七年五月 造営記念」、左側の区画では「氏子名 (人名72名分)」の文字が刻まれていた。欄間部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、両区画の表面には双龍紋が表現されており、上端部が狭い透かしとなっていた。円柱の柱頭には腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ていない。

 昭和橋通春日神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、コンクリート造拝殿、灯籠、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 昭和橋通春日神社の蕃塀は、昭和37年(1962)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀は、礎石と石製布基礎の規模が小さく目立たないものであることが特徴の一つと言える。基壇も持たないことから、基礎部分が貧弱である印象は拭いきれないものである。
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by banbeimania | 2009-04-19 22:18 | 蕃塀の事例 | Comments(0)