蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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堀池論文を読む(19)

 今回は堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第5章を読んでみる。

5)尾張型蕃塀の特長 — 以上の実地及び資料による調査結果から尾張の国の蕃塀は次のように特長づけられる。即ちその配置は「尾張造り」のそれであり、一及び二ノ鳥居又は楼門の次に建ち、更に奥の舞殿・拝殿とつづく配置である。次にその構造型式は、木造又は石造で、角、丸柱建て、桁受腕木により屋根を受け、壁面は竪連子、入れ腰羽目板張とし、塀両端の控柱によりその独立を支える。伊勢神宮蕃塀とは視線の遮断の程度によりその機能が大きく異なる。尾張型は一応、形の上での目隠し、又は視線の障壁と考えられる。その分布状態は、尾張国一円に限られて、他国にその所在を見ない点は、最も重要な特長の一つである。尾張型蕃塀は伊勢神宮蕃塀に起源を持つと推定されるが、古代、中世を経て尾張の国に独特の構造型式と配置を形成・確立した発展・変遷の歴史的過程は、今後更に追求される可きものとする。—以上—(完)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 上記の文章から、堀池はまず尾張の蕃塀を「尾張造り」の一構成部位と位置付けてその構造を概述している。「尾張造り」の定義の問題が残されるが、それを除くとこの部分は概ね問題は無いと思われる。次に、尾張の蕃塀は伊勢神宮蕃塀とは視線の遮断の程度によりその機能が大きく異なり、尾張国一円に限られていると指摘している。「伊勢神宮蕃塀」とか「内宮型蕃塀」とか用語がきちんとした定義もなく無造作に登場することにやや違和感を思えるが、この部分も十分に肯首できる。ただ、最後に尾張型蕃塀は伊勢神宮蕃塀に起源に持ち、長い年月を経て独特の構造型式と配置を形成・確立したと推測しているようであるが、これはどうであろうか。想像するのは自由と考えるが、約140年前(堀池論文は1983年作)の1841年に記された文献で蕃塀の存在が認められるから、蕃塀はそこから遥か先の中世や古代にまで遡ることができると考えるのは、あまりに都合が良すぎる論法と言えよう。

 そもそも、1841年に「透垣」が描かれた20社の神社について、2008年現在においても同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている神社は8社(力長若宮八幡社が未確認なので9社になる可能性がある)にしか過ぎない。つまり、残り半数以上は状況が変化しているのである。尾張の蕃塀と伊勢神宮蕃塀の関係はそう簡単にいえる問題ではなく、まさに「今後更に追求される可きもの」だろう。
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by banbeimania | 2008-11-10 21:45 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(18)

 もうおおよそ1ヵ月前のことになるが、ここで再度、堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第3章を読んでみる。

4)尾張名所図会に見る蕃塀 — 天保十二年(1841)の尾張名所図会によれば、尾張国内の神社の内で次の十三社に蕃塀が建っている。即ち、熱田神宮、真清田神社(尾張一宮)、国府之宮(尾張五社の内)、津島神社(津島牛頭天王)、八剱宮(熱田摂社の一)、鳴海杻神社(犬山市)、上畠神明宮(清須町)、針綱神社(犬山市)、朝日神明宮(名古屋市)、爾波神社、諸钁神社、天道社浜神明、常安寺物部神社の十三社と共に神社の全景図があり、その中のすべて「透垣」(スイガイ、スイガキ)の名称で示され、「尾張造り」配置に倣って、尾張型蕃塀が建って居る。即ち、当時はすべて透垣と呼ばれ、蕃塀の名は一般にはなかった事が解かる。尚熱田神宮のものは現在はなく、内宮型蕃塀が現在は拝殿前広場の南端の木立の中に拝殿に正面して建っている。真清田神社、国府之宮には現在はなく、津島神社、杻神社、針綱神社、朝日神明宮、諸钁神社には名所図会にある「透垣」と同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている。(以下つづく)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 これまで『尾張名所図会』に記載された蕃塀を詳細に検討した結果、上記の文章には多くの誤謬が存在していることが明らかになった。私が検証した結果を加味して、上記の文章を修正すると下記のようにまとめることができよう。

4)尾張名所図会に見る蕃塀 — 天保十二年(1841)の尾張名所図会によれば、尾張国内の神社の内で次の二十一社に蕃塀が建っていた。即ち、朝日神明宮、熱田神宮、八剱神社、高牟神社、津島牛頭天王社、真清田神社、濱神明、尾張大国霊神社、中牧皇大明神社、山王社、上畠神明宮、豊場物部神社、大毛神社、黒岩石刀神社、虫鹿神社、鳴海杻神社、諸钁神社、阿豆良神社、力長若宮八幡社、針綱神社の二十社の神社全景図に、「尾張造り」配置に倣って、尾張型蕃塀が建って居る。その中の熱田神宮、真清田神社、尾張大国霊神社、中牧皇大明神社、山王社、上畠神明宮、針綱神社では「透垣」(スイガイ、スイガキ)の名称で示され、即ち、当時はすべて透垣と呼ばれ、蕃塀の名は一般にはなかった事が解かる。また、楉野天神社は本文に「透垣」と記述されていた。尚熱田神宮では現在は内宮型(衝立型)蕃塀が拝殿前広場の南端の木立の中に拝殿に正面して建っている。真清田神社などには現在はなく、朝日神明宮、津島牛頭天王社、尾張大国霊神社、山王社、上畠神明宮、黒岩石刀神社、鳴海杻神社、諸钁神社の8社には名所図会にある「透垣」と同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている。
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by banbeimania | 2008-11-09 21:33 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(17)

 今回は堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第3章を読んでみる。

4)尾張名所図会に見る蕃塀 — 天保十二年(1841)の尾張名所図会によれば、尾張国内の神社の内で次の十三社に蕃塀が建っている。即ち、熱田神宮、真清田神社(尾張一宮)、国府之宮(尾張五社の内)、津島神社(津島牛頭天王)、八剱宮(熱田摂社の一)、鳴海杻神社(犬山市)、上畠神明宮(清須町)、針綱神社(犬山市)、朝日神明宮(名古屋市)、爾波神社、諸钁神社、天道社浜神明、常安寺物部神社の十三社と共に神社の全景図があり、その中のすべて「透垣」(スイガイ、スイガキ)の名称で示され、「尾張造り」配置に倣って、尾張型蕃塀が建って居る。即ち、当時はすべて透垣と呼ばれ、蕃塀の名は一般にはなかった事が解かる。尚熱田神宮のものは現在はなく、内宮型蕃塀が現在は拝殿前広場の南端の木立の中に拝殿に正面して建っている。真清田神社、国府之宮には現在はなく、津島神社、杻神社、針綱神社、朝日神明宮、諸钁神社には名所図会にある「透垣」と同じ型式の蕃塀が現在も同一の位置に建っている。(以下つづく)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 『尾張名所図会』は原田幹の解題によれば、尾張全国九郡の名勝古蹟を網羅図説し、精密詳細なる考証を加えた著作で、前編7巻は天保12年(1841)頃の撰・岡田啓と野口道直共著・小田切春江画、後編6巻は明治13年(1880)の撰・岡田啓と野口道直共著の遺稿・小田切春江編纂によるという。これからしばらくは、堀池論文に示された内容を確認するため、大正8年1月7日発行、原田幹校訂、大日本名所図会刊行会『尾張名所図会』(実際には昭和45年5月1日に愛知県郷土資料刊行会により復刻刊行した書物)をみて、江戸時代後期の蕃塀の実態について検討していきたい。
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by banbeimania | 2008-10-10 00:20 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(16)

 今回は堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第3章を読んでみる。

3)尾張型蕃塀の分布 — 蕃塀のもつ神社の稍々不十分な所在調査の結果、それら神社の分布を見ると、尾張の国に多く分布し、特に木曽川流域に沿って尾張の西北地区に集中分布する。美濃は木曽川を越えてその流域に散在する。伊勢の国及び東方三河の国遠江の国には特別の神社の場合以外には全く存在しない。その他、東海四県の地域には未だ見出されない。即ち尾張の国内の特定の神社に、尾張型蕃塀を建てるもので、尾張以外にはその存在は見られない。【図5尾張国内の尾張型蕃塀の分布を示す】(以下つづく)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 尾張型蕃塀の分布については、『蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1』で「尾張の国の木曽川流域の地方の神社の前庭に」多いと表現していたが、ここではより詳細に分布について検討している。その結果導き出された「特に木曽川流域に沿って尾張の西北地区に集中分布する」という指摘は、それほど間違ってはいない。ただ、これまでの私の調査で判明した愛知県神社庁のリスト中の神社における蕃塀が存在する割合が40%を超えるのは、海部郡七宝町(約91.7%)・丹羽郡扶桑町(約88.9%)・丹羽郡大口町(60.0%)・西春日井郡豊山町(約57.1%)・一宮市(約53.3%)・海部郡美和町(50%)・名古屋市北区(50%)・北名古屋市(約46.3%)・春日井市(約45.5%)・稲沢市(約44.7%)・犬山市約(44.4%)・名古屋市名東区(約42.9%)である。西春日井郡豊山町や北名古屋市および名古屋市や春日井市が「木曽川流域に沿って尾張の西北地区」に該当するか否かは微妙と言える。

 「美濃は木曽川を越えてその流域に散在する」という点は、まだ本ブログで紹介していないが、少なくとも各務原市(旧川島町)で一定量の蕃塀が存在していることを確認しているので、その通りと考えられる。「伊勢の国及び東方三河の国遠江の国には特別の神社の場合以外には全く存在しない」という点は、伊勢は皇大神宮と豊受大神宮、三河は豊橋市石巻神社のことを指していると思われるが、遠江の蕃塀の事例は未だに調査できていない。

 まずは、愛知県下の神社をシラミつぶしに参拝し続けているが、ゆくゆくは岐阜県・三重県・静岡県にも範囲を広げなければならないのだろう。
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by banbeimania | 2008-10-09 00:19 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(15)

 今回は堀池康夫・堀池哲生論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」の第2章の続きを読んでみる。

2)尾張型蕃塀の型式と配置 — (承前)その配置は、外より一の鳥居、二の鳥居又は楼門をくぐり時には池にかかる反り橋をこえた地点、舞殿、拝殿、勅使殿の前方の位置に、一の鳥居と本殿とを結ぶ直線上、これに直交して建つ。この配置は「尾張造り」とよばれるもので、この地方の神社の社殿配置の特長の一つである。【図1234は内宮、尾張型の各蕃塀を示す】(以下つづく)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 既に紹介したように、花村清隆2003『尾張地方の神社と密教寺院の建物』によれば、1)蕃塀を持つ、2)拝殿は切妻造、妻入の縦長平面で低い床を張る、3)祭文殿は四脚門形式で回廊が左右に伸びる、4)祭文殿と本殿を繋ぐ渡殿が付く(一部要約)を挙げている。花村は、これらの特徴を備えた蕃塀、拝殿、祭文殿、その両脇に回廊、渡殿(釣殿)、本殿の順に南北中軸線上に縦一列に並ぶ形式を尾張造と呼んでいる。論文中で示された定義は、花村の定義と概要は一致するが、詳細な部分については特に触れていない。

 ところで、蕃塀は「一の鳥居と本殿とを結ぶ直線上に直交して建つ」と記述されるが、そうでない事例がいくつか存在する。具体的な事例をみてみよう。

 1)海部郡七宝町沖之島神明社の蕃塀は一の鳥居、狛犬で右に参道を折れて灯籠、二の鳥居、灯籠、蕃塀に至っている。2)名古屋市中村区城屋敷神明社の蕃塀は拝殿前の右手にも参道があり、その方向に蕃塀が存在する。3)一宮市玉ノ井賀茂神社の蕃塀は鳥居、灯籠、太鼓橋で右側に蕃塀、蕃塀の正面方向に拝殿が存在する。4)一宮市門間伊富利部神社の蕃塀は参道の途中に左手に神門、その向かいに蕃塀、神門の奥に拝殿を持つ。5)一宮市小信中島那迦島神社の蕃塀は二の鳥居の真横(西側)に蕃塀がある。6)一宮市桜3丁目浜神明社の蕃塀は灯籠、鳥居で参道を右に折れて蕃塀があり本殿に至る。7)一宮市花池大神神社の蕃塀は鳥居、神馬で参道を左に折れて左側に蕃塀、参道を右に折れて拝殿に至る構成である。8)一宮市萩原町高木神社の蕃塀は東側の道路に面して鳥居と灯籠があるが、その先は拝殿の横に突き当たり、その拝殿の南に蕃塀がある。9)一宮市萩原町中嶋宮の蕃塀は鳥居から長い参道を経て境内地に入り左折すると左手に蕃塀が存在し、蕃塀の部分で右折すると本殿施設群に至る。10)一宮市大字丹羽爾波神社の蕃塀は一の鳥居、蕃塀、灯籠で参道が折れて二の鳥居、拝殿などに至る。11)稲沢市下津寺前町八幡社の蕃塀は一の鳥居、灯籠で直角に折れて蕃塀、拝殿に至る。

 このように見ると、蕃塀は必ず一の鳥居と本殿とを結ぶ直線上に建つわけではなく、例外も結構存在することが分かる。そもそも、伊勢神宮の蕃塀が一の鳥居と本殿とを結ぶ直線上に建っていないのである。
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by banbeimania | 2008-10-08 00:11 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(14)

 蕃塀に関する先行研究として、堀池康夫氏と堀池哲生氏の論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)」がある。この論文は昭和57年〜昭和61年の5年間にわたって、その1〜その5に分けて発表されたもので、本ブログでもすでに「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」について紹介してきた。ここで久しぶりに、暫くの間、この堀池康夫氏と堀池哲生氏の論文「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」を紹介していきたい。

 なお、本論文は、社団法人日本建築学会の学術講演梗概集.計画系のVol.58,No建築歴史・建築意匠(19830901)に収録されたもの(pp. 2637-2638:昭和58年9月)であり、無料一般公開されており、国立情報学研究所「CiNii論文情報ナビゲータ」でPDF(Full Text)をダウンロードできる。また、堀池康夫氏は岐阜女子大学教授、堀池哲生氏は岐阜女子大学非常勤講師(いずれも当時)である。

 では「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」を読んでみよう。

1)はじめに — 昨年の学術講演会研究発表において述べた伊勢神宮の蕃塀にその起源をもつと考えられる尾張地方の多くの神社に建つ、この地方で一般に藩塀、不浄除け、見切りものと呼ばれる蕃塀(以下これを尾張型蕃塀とよぶ)について実地及び資料による調査結果を述べ、その型式、構造及び機能につき建築史的解明への道を考える。
2)尾張型蕃塀の型式と配置 — 内外宮の蕃塀の如く視線の完全遮蔽の木造独立板壁の型式ではなく、尾張型蕃塀は、木造又は石造の竪連子の腰付透塀状独立障壁で、一応視線遮断の機能目的をもつもので、尾張地方すべての神社に建つとは言へないが、多くの神社にそれを見ることが出来る。
(以下つづく)(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その2」より抜粋)

 この部分では、蕃塀が大きく「内外宮の蕃塀」と「尾張型蕃塀」の2種類が存在すると記されている。「内外宮の蕃塀」は視線の完全遮蔽の木造独立板壁の型式、「尾張型蕃塀」は木造又は石造の竪連子の腰付透塀状独立障壁と説明されていることから、私の分類では「内外宮の蕃塀」=衝立型蕃塀、「尾張型蕃塀」=連子窓型蕃塀に対応すると思われる。

 ところで、『蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1』では、上記の2種類の施設を「蕃塀」と「藩塀」という用語を用いて使い分けていた。今回『その2』で突然特に説明も無く「藩塀」という用語が消え、新しい名称が提示されている。おそらく、私のいう連子窓型蕃塀を「藩塀」と表現する上で何らかの不都合があり、「尾張型蕃塀」の方が相応しいという判断があったものと推察される。

 いずれにしても、(尾張型蕃塀)「について実地及び資料による調査結果を述べ、その型式、構造及び機能につき建築史的解明への道を考える」とあるので、その論旨の行方に注目したい。
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by banbeimania | 2008-10-06 21:45 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(13)

 今日は堀池康夫・堀池哲生論文の残りを読んでみる。これでようやく堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」を全部読み終えることとなる。

8)藩塀の分布と地域性 — 現在までの調査によれば、藩塀所在の神社は尾張国に集中して分布し、その他は美濃国の木曽川流域に点在する。特に留意する点は、愛知県内の三河国及び木曽川を隔てた三重県(伊勢国)に藩塀の所在を1、2の場合の外、認められない事である。尾張国のみの集中分布は民俗学的、歴史学的原因によると考えられる。
9)おわりに — 今後の調査研究事項として次を挙げておく。
イ)蕃塀と藩塀の関連の究明 ロ)神社祭神による藩塀の有無 ハ)尾張国と藩塀の結びつき ニ)沖縄民家の屏風との関連 ホ)大和—琉球—台湾—中国の蕃塀的構造物の追跡と解明。
(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」より抜粋)

 蕃塀(藩塀)の分布については、今なお調査中であるが、堀池の指摘は概ねあたっていると思われる。尾張国のみに集中して分布する理由は、解決することが難しい重要な問題と考えられる。

 今後の調査研究事項については、個別に所感を述べたい。
イ)「蕃塀と藩塀の関連の究明」は、衝立型蕃塀と連子窓型蕃塀の関連性を明らかにすることを意味するのだろう。この点に関しては、伊勢神宮との関わりが重要な鍵を握っていると感じられる。
ロ)「神社祭神による藩塀の有無」は、本ブログのタグをみれば分かるように、蕃塀を持つ神社は神明社・八幡社・白山社などに多いことが判明している。ただし、愛知県ではそもそも神明社・八幡社・白山社の数が多いので、祭神と藩塀の有無の関係を簡単に結論づけることは危険であろう。この問題の解決には、祭神別に蕃塀を持つ割合を算出する必要があると考える。
ハ)「尾張国と藩塀の結びつき」という問題は、尾張国に蕃塀が集中する理由を明らかにすることを意味するのだろうか。この点が当面の最大の課題と私は位置付けている。そして、その解決の糸口はまだ見えていないのが現状である。
ニ)「沖縄民家の屏風との関連」や、ホ)「大和—琉球—台湾—中国の蕃塀的構造物の追跡と解明」は、もはや私の能力を超えている問題意識であり、にわかに論評できるような立場に無い。このような知識と視野の広さが、簡単には真似することのできない大学教員の知の深さといえるだろう。
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by banbeimania | 2007-12-08 00:01 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(12)

 今日は堀池康夫・堀池哲生論文の第7章の残りを読んでみる。

7)藩塀の種類と構造 — (承前) 木造の場合は一般に径20糎大の丸柱4本建、地及腰、内法長押通し腰羽目板、竪連子枠を入れ柱頭に棟桁、腕木。出桁を架し化粧軒裏棰見せとし反屋根は銅板又は桧皮葺、鬼板、箱棟をのせる。両端柱の両側に埋込み石造控柱を建て貫によって柱を固定する。塗装は全面丹塗りであるが、腰は白又は緑色とする場合もある。石造の如く、柱2本建、壁面1間の構造もある。(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」より抜粋)

 ここでは木造蕃塀の構造に関する説明文について検討したい。堀池論文と私の文章で用語が異なる部分は、次の8点などがある。
1)丸柱【堀池】:円柱【私】
2)地及腰、内法長押通し【堀池】:下から順に貫、腰長押、内法長押を通し【私】
3)腰羽目板、【堀池】:連子窓の下には縦(横)羽目板【私】
4)竪連子枠を入れ【堀池】:中央には連子窓が設けられ【私】
5)柱頭に棟桁【堀池】:上端は棟木を渡す【私】
6)腕木、出桁を架し【堀池】:肘木や腕木を配置し表裏両面の桁を支え【私】
7)化粧軒裏棰見せ【堀池】:垂木を渡す【私】
8)箱棟【堀池】:大棟【私】

 この中で、「腰羽目板」、「竪連子枠」、「棟桁」、「出桁」、「化粧軒裏棰見せ」などの用語はとても参考になる。ただし、2)に「地(の)長押」とあるが、基底部の横木が長押の構造になっている例は稀である。

 この他に、「両端柱の両側に埋込み石造控柱を建て貫によって柱を固定する」とあるが、実際には木造の控え柱も少なからず存在するので、これで構造を代表的に説明することはできないと考える。また、「塗装は全面丹塗りであるが、腰は白又は緑色とする場合もある」ともいうが、実際には白木のものが多いので、この文章も適切とは言えないと思う。
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by banbeimania | 2007-12-07 00:18 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(11)

 今日は堀池康夫・堀池哲生論文の第6章と第7章を読んでみる。

6)藩塀の配置 — 一般に一及び二の鳥居の内側にあり、拝殿の前方、数米から大は数十米離れた位置に本殿と鳥居を結ぶ線上に中心をおいて本殿に面して建つ。即ち外部の不浄を本殿から隠すための配置である。鳥居からの参道が曲折している場合でも、その配置は本殿と拝殿を結ぶ線上に中心を置いて位置する。
7)藩塀の種類と構造 — 材料による種類は石造、木造、コンクリート造があるが、石造と木造が最も多い。規模は高さ2〜3米、幅2〜6米程度で、構造は、石造の場合は一般に丸柱2本建、内法及び腰貫を通しその間は竪連子とし腰は束立て羽目板(竜虎等彫刻)を嵌め、両側柱頭に腕木板を出して笠木型反付き屋根石を架け渡し棟木石をのせる。欄間は彫刻板等を入れる。両端外側柱は控柱と貫により連結固定される。丸柱4本、壁面3間の場合も同じ手法構造である。(以下つづく)
(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」より抜粋)

 藩塀(尾張地方の蕃塀)の配置は、まさに堀池論文の通りである。また、 その材料と規模についても、堀池論文通りであった。

 次に、石造蕃塀の構造についてみていきたい。前にも触れた通り、私は建築についての表現が適切でない部分があるのではないかと恐れている。堀池論文と私の文章で用語が異なる部分は、次の8点などがある。
1)丸柱【堀池】:円柱【私】
2)内法及び腰貫を通しその間は竪連子【堀池】:連子窓の上下の貫【私】
3)腰は束立て羽目板を嵌め【堀池】:羽目板部は角柱を立てて区画に分け【私】
4)両側柱頭に腕木板を出し【堀池】:円柱上位に雲形腕木を模した張り出しがあり【私】
5)笠木型反付き屋根石【堀池】:寄棟状の反りを持つ屋根【私】
6)棟木石をのせる【堀池】:大棟【私】
7)欄間は彫刻板等を入れ【堀池】:透かし部は双龍紋が描かれ【私】
8)両端外側柱は控柱と貫により連結固定され【堀池】:控え柱と控え貫【私】

 特に、透かし部【私】を欄間【堀池】と呼ぶのは、明らかに堀池の用語の方が適切である。私のいう透かし部は透かしになっていない事例が一定数あり、そもそも連子窓の方が確実に透かし状であるから、私の用語は適切ではないといえる。

 なお、今日の引用部分の最後に「丸柱4本、壁面3間の場合も同じ手法構造である」とあるが、私はこうした石造連子窓型蕃塀を知らない。今後の調査でこうした事例が発見されるのだろうか。
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by banbeimania | 2007-12-06 00:21 | 蕃塀を深める | Comments(0)

堀池論文を読む(10)

 今日も堀池康夫・堀池哲生論文の第5章の残りの部分を読んでみる。

5)藩塀の名称と機能 — (承前) 即ち蕃塀と同様の機能である外部からの本殿への見通し遮断、本殿への外部不浄の遮蔽 — 内外視線の遮断の用をするものである。「不浄よけ」の名称から見て、外方の不浄から本殿を守るのが主機能と考えられ、「皇室の藩塀」との古くから言われた意味も良く了解される。(堀池康夫・堀池哲生「蕃塀の研究(その民俗学的建築史の解明)その1」より抜粋)

 藩塀(ここでは尾張地方の蕃塀)の機能として、外部からの本殿への見通し遮断、本殿への外部不浄の遮蔽が挙げられている。確かに塀を構えることによって意図的に空間は区切られ、外部不浄の遮蔽を果たしていると言えるだろう。しかし、伊勢神宮のような衝立型蕃塀ならば見通し遮断の機能を十分に果たし得ると思われるが、尾張地方の蕃塀に多い連子窓型蕃塀では、ちょうど視線の高さに連子窓が存在していて、見通しを遮断しているとはとても言いがたい。「内外視線の遮断の用」をするものならば、連子窓やその上位にある透かしをわざわざ設けたりする必要はないと思われる。むしろ、連子窓を通して、その奥に神域が展開していることをわざと少し見せているようにも感じられる。

 蕃塀は、本殿や神域などを囲む玉垣などと比較すれば、長さが異なるものの、塀としての構造はよく似ているものがある。蕃塀は、玉垣などと同様に空間を分ける施設の一部—すなわち結界を結ぶための一施設であり—、外部不浄の遮蔽の機能も果たしているのであろう。

 なお、古くから言われる「皇室の藩塀」あるいは「国の藩塀」の藩塀は、『大漢和辞典』にみられる「まもりとなるべき諸侯の称」の意味と思われ、構築物の蕃塀とは少し意味合いが異なるように思う。
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by banbeimania | 2007-12-05 00:11 | 蕃塀を深める | Comments(0)