蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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蕃塀30選(No21)中之庄天神社の蕃塀

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 稲沢市中之庄町辻畑12番地に所在する中之庄天神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀である(詳細はこちら)。

 中之庄天神社は大里西小学校の南約1500mに位置する。県道128号線を甚目寺町「森」の交差点から西に約250m行くと信号の無いT字路の交差点があり、これを北上すると変則の交差点直前の左手に中之庄天神社が東に面している。
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 多くの石造連子窓型蕃塀を建造した名古屋市西区菊井町の石工角田乙吉の作品の中で、中之庄天神社の蕃塀は最古(1924年作成)の作例である。角田乙吉の蕃塀は、欄間部に双龍紋を彫刻する例が大半を占めているが、中之庄天神社の蕃塀も同様で、当初から定型化した作風が出来上がりつつあったといえる。そしてわずか2年後には、「頭部中央型双龍紋Aタイプ2類」の欄間部というタイプを量産しているのである。作風は、角田六三郎に比べると、彫刻はやや繊細な印象があるが、よく類似している。もしかしたら、角田乙吉は角田六三郎が作り上げた蕃塀のパターンを踏襲して独自の様式を作り上げたのかもしれない。

 角田乙吉の定型化した蕃塀は、当初からある程度完成していたことを明瞭に示す点を評価し、本事例を選抜しておきたい。
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by banbeimania | 2010-04-02 23:00 | 蕃塀30選 | Comments(0)

蕃塀30選(No29)上野天満宮の蕃塀

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 名古屋市千種区赤坂4丁目89番地に所在する上野天満宮の蕃塀は、3間巾のコンクリート造連子窓型蕃塀である(詳細はこちら)。

 上野天満宮は、ナゴヤドームの南東約1kmに位置する。出来町通と天満通が交わるの「谷口」交差点から、天満通を南下すると左手(東側)に所在する。大きな案内表示があるので比較的参拝がしやすい神社である。
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 個性的なものが多いコンクリート造連子窓型蕃塀の中では、上野天満宮の蕃塀は石造連子窓型蕃塀に似せて建造されたオーソドックスなものである。1975年に造られた比較的新しい事例であるが、大きさは本体長が約4.8mを測るなど最大規模となっているのが特徴で、参拝する者に対して雄大な印象を与えるものである。連子窓部の連子が緻密で端正に造形されており仕上がりが美しい。控え柱が単純に造られている点が筆者には残念に感じられ、ぜひ宝珠形にして欲しかったと思うものである。

 規模の大きさと、細部で手を抜かない緻密な仕上がり具合を評価し、本事例を選びたい。
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by banbeimania | 2010-03-25 21:10 | 蕃塀30選 | Comments(0)

小牧市下小針天神天神社の蕃塀

 小牧市下小針天神に所在する天神社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は菅原道真と推測される。

 下小針天神天神社の蕃塀は、3間巾のコンクリート造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.9m、全高約2.0m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.25mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷の参道にコンクリート製布基礎を据えて木造衝立型蕃塀をモチーフとしたコンクリート製蕃塀が造られている。模倣されたモチーフで構造を説明すると、円柱を4本立てて上端に覆板(笠木)を載せて骨格が作られるが、柱脚の盤(地貫)などを持たない形状である。柱間壁面部分は一枚板状に表現され表面は凸凹の状態に造られていた。右側の柱間壁面裏面には「寄附 昭和三年九月 名古屋市  (人名1名分)」の文字が刻まれた白色石板が埋め込まれていた。覆板(笠木)には赤色銅板が覆われていた。

 下小針天神天神社は、正面から神門、灯籠、鳥居、灯籠群、長い参道を経て蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 下小針天神天神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に製作されたものだが、作者は不明である。これまで紹介してきた蕃塀の中で、コンクリート造衝立型蕃塀には犬山市虫鹿神社の蕃塀、犬山市五郎丸神明社の蕃塀、春日井市松新八幡社の蕃塀がある。本例のように、覆板(笠木)の表面に銅板を覆うコンクリート造衝立型蕃塀は本例が初例である。
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by banbeimania | 2009-04-02 22:52 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

小牧市下末天神社の蕃塀

 小牧市大字下末字天神前に所在する天神社(天満天神社)は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は菅原道真と推測される。

 下末天神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は角を丸く加工した方形枠が設けられ、中央の区画に牡丹紋、両側の区画に獅子紋が彫刻されていた。裏面には中央の区画で「昭和三十四年十一月 名古屋市 寄附者 (人名1名分)」、右側の区画で「長谷川石材店」の文字が刻まれていた。欄間部は、「天神社」と記された扁額を持ち、その両側には頭部が両端に配置された双龍紋が施されていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、上部に載せた棟木石の両端はわずかに外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠に形作られていた。

 下末天神社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、百度石、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿、神牛から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 下末天神社の蕃塀は、昭和34年(1969)に長谷川石材店によって製作されたものである。この長谷川石材店については、ネット上で検索するといくつかの店舗が見出されるが、そのうちのどれかは特定できていない。岐阜市岩崎に所在する長谷川石材の可能性が考えられよう。本蕃塀は欄間部に施された双龍紋の表現が立体的で透かしとなっている。双龍そのものは阿吽の他はほぼ対称的であるが、下半の雲紋が左右対称ではない。
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by banbeimania | 2009-03-28 23:07 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

小牧市常普請天満宮の蕃塀

 小牧市常普請2丁目に所在する天満宮は、創建年代などの由緒は不詳である。室町時代に九州の遊行僧が樟の木に天満宮と記し祀ったのを嚆矢とし、延宝6年(1678)に尾張藩侯により御神像が寄進され本殿に奉祀されたと、境内の由緒書きに刻まれている。祭神は菅原道真である。

 常普請天満宮の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.1m、全高約2.9m、屋根長約4.1m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。非常に低いコンクリート製基壇に石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に雲形肘木と簡略化された雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支えまばらに垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端には鬼板が置かれていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は基礎に石材が用いられている他は全て木製で造られていた。垂木・腕木・控え貫の先端は白色に塗布されていた

 常普請天満宮は、正面から狛犬、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、神牛、狛犬、基壇上のコンクリート製平入拝殿から本殿施設群に至る構成を持つ。

 常普請天満宮の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は屋根が厚く大棟の高さも高いため、全体に重厚な印象を持つものである。材の状態から見て、比較的新しいもののように感じられる。
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by banbeimania | 2009-03-20 11:36 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

江南市北野天神社の蕃塀

 江南市北野町天神に所在する北野天神社は、創建年代などの由緒は不明である。『寛文村々覚書』には北野村に天神があると記され、これが本社に該当すると思われる。祭神は菅原道真である。

 北野天神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.0m、全高約2.8m、屋根長約4.0m、屋根巾約1.7mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。特に基壇を持たず直接地面に石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に方形肘木と方形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端には鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。

 北野天神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠群、太鼓橋、百度石、蕃塀、灯籠、平入拝殿、灯籠、神牛、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 北野天神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。木造銅板葺き連子窓型蕃塀としては標準的な規模と構造を呈していると思われるが、主柱と貫の交差部分などに本来存在する錺金具が滅失してしまっているようであり、腰貫や屋根板なども破損している点も残念である。天神社のためか、蕃塀前の両端に梅が植えられていた。
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by banbeimania | 2009-02-08 11:17 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

江南市前野天満社の蕃塀

 江南市前野町西に所在する天満社は、文永5年(1268)に創建されたと伝えられる。前野右馬三郎兵衛時綱が越後菅原天満宮社家の由縁で勧請したという棟札が現存するという。明治44年(1911)に大日霊社と八幡宮と合祀された。祭神は菅原道真・天照大神・神功皇后である。

 前野天満社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.0m、全高約2.5m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.7mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれたコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は左側の区画で獅子紋、中央の区画で梅紋、右側の区画で牡丹紋が表現されていた。中央の羽目板裏面には「(金額+地名+人名11名分) 昭和五十二年十月吉日建之」の文字が記されていた。欄間部は一枚板の羽目板が嵌め込まれ、角を丸く加工した方形枠が施されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は入母屋状に切り出された反り屋根で、棟木石はやや外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、その頭部は宝珠に造られていた。

 前野天満社は、正面から神門、灯籠群、鳥居、太鼓橋、灯籠、百度石、蕃塀、灯籠群、壁の無い吹き抜けの平入拝殿、神牛、狛犬群と灯籠群から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 前野天満社の蕃塀は、昭和52年(1977)に製作されたものだが、作者は不明である。本蕃塀の欄間部は角を丸く加工した方形枠が施された一枚板の羽目板が嵌め込まれている点が珍しく、初例である。欄間部に一枚板の石材を嵌め込み透かしや扁額を施さないものは一宮市北方大日霎社の蕃塀、一宮市尾西三条三條神社の蕃塀、一宮市西大海道八幡社の蕃塀、北名古屋市二子神明社の蕃塀、名古屋市北区中杉神明社八幡社の蕃塀、大口町大字大御堂縣神社の蕃塀、弥富市鳥ヶ地八王子社の蕃塀、西春日井郡豊山町豊場神明社の蕃塀があるが、いずれも何らかの紋様や文字が刻まれている。また、無紋の羽目板としては一宮市丹陽森本十二所社があるが、これはコンクリート造であった。
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by banbeimania | 2009-01-30 23:39 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

江南市草井天神社の蕃塀

 江南市草井町宮東に所在する天神社は、創建年代などの由緒は不明である。『寛文村々覚書』には草井村に天道・神明・天神・天王の4社があると記される。御囲い堤が構築される以前では草井村は数個の島で構成されており、そのうちの一つの大野島に天神社が祀られ川島天神または大野天神と称されていたと伝えられる。天神社は大永年間(1521〜1528)に洪水により流出し現在地に遷座したという。なお、神明と天王は明治末年に天神社に合祀された。祭神は草比売神・菅原道真・天照大神・須佐之男尊・豊受比売神である。

 草井天神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.2m、全高約2.4m、屋根長約4.1m、屋根巾約0.9mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれたコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は全ての区画で角を丸く加工した方形枠が設けられていた。左側の羽目板裏面には「區長(人名6名分)氏子総代(人名8名分)普請係(人名13名分)」、中央の羽目板裏面には「區會議員(人名20名分)組總代(人名10名分)」、右側の羽目板裏面には「組惣代(人名33名分)」、左側の円柱裏面には「天神社改築紀念」、右側の円柱裏面には「昭和三年八月建之 柏森 石工伊神賢寿」の文字が記されていた。欄間部は中央に「天神社」と刻まれた扁額を置き、その両側では角を丸く加工した方形透かしが設けられ、透かしの中には梅紋が描かれた円柱形の石材が配置されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後と外側にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。

 草井天神社は、正面から灯籠、鳥居、百度石、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 草井天神社の蕃塀は、昭和3年(1928)に丹羽郡扶桑町柏森の石工伊神賢寿によって製作されたものである。この伊神賢寿という石工については、現在のところ特定できていない。欄間部の透かし部分に配置された梅紋の石製飾りのあり方は、本蕃塀が初例である。また、円柱の柱頭にある腕木板の形状も独特のスタイルを持っている。
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by banbeimania | 2009-01-26 22:36 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市北区山田天満宮の蕃塀

 名古屋市北区山田町3丁目に所在する山田天満宮は、尾張藩主徳川光友によって藩の学問祈願所並びに名古屋城鬼門の守護神として寛文12年(1672)に創建されたという。昭和58年(1983)に金神社を合祀した。祭神は菅原道真である。

 山田天満宮の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.7m、全高約2.6m、屋根長約4.8m、屋根巾約1.7mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート敷き参道が広がる部分に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木や腕木等の先端および屋根板が白色に塗布されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端には鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。連子窓部の上位である欄間部には大型の銅製錺金具が飾られていた。控え柱は全て木製で造られている。

 山田天満宮は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、神牛、狛犬、木造平入拝殿から本殿施設群に至る構成を持つ。

 山田天満宮の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀の正面両端にはバケツが配置され、主柱に「たばこ吸い殻入れ 歩きながらの喫煙はおやめください。 必ず所定の場所にお捨てください。」、羽目板に「たばこ吸い殻以外は絶対に入れないでください」と記された注意書きがそれぞれ掲示されていた。欄間部に錺金具(銅板)が飾られる事例は極めて珍しいと言える。
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by banbeimania | 2008-10-03 20:55 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

名古屋市中村区烏森天神社の蕃塀

 名古屋市中村区烏森町字村内下に所在する天神社は、創建年代などの由緒は不詳である。境内の縁起には、一柳庄(野田・厨郷・荒子・高畠・萬町・治田・烏森)は延喜の頃に開発され、伊勢神宮の神戸御厨の地となったが、鎌倉時代以来村々に分かれ独立し、本社は烏森の氏神となった旨が記されていた。祭神は菅原道真である。

 烏森天神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面には全ての区画に梅紋が彫刻されている。右側の羽目板裏面には「昭和八年三月建之」、中央の羽目板裏面には「(人名6名分)」、左側の羽目板裏面には「(人名5名分) 下ノ一色 永正」の文字が刻まれている。欄間部は、中央に「天神社」と記された扁額を置き、その両側に単龍紋が描かれていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、棟木石の両端はわずかに外側に突き出ている。

 烏森天神社は、正面から灯籠、石柱、鳥居、狛犬、蕃塀、灯籠群、神牛、狛犬2対、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、灯籠、渡殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 烏森天神社の蕃塀は、昭和8年(1933)に名古屋市下之一色の石工永正によって製作されたものである。現状で石工永正の詳細について調べることができていない。本蕃塀は、拝殿にまで至る参道はそれなりに十分な距離があるにもかかわらず、鳥居と狛犬と蕃塀の距離が極めて短いことが特徴の一つである。狛犬が大きく立ちはだかっているために、蕃塀全体が正面から見えない状況となっている。広い境内でこのような狭い配置になる事例は珍しい。
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by banbeimania | 2008-09-02 00:18 | 蕃塀の事例 | Comments(0)