蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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蕃塀30選(No4)津島神社の蕃塀

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 津島市神明町1番地に所在する津島神社の蕃塀は、3間巾の木造連子窓型蕃塀である(詳細はこちら)。

 津島神社は、名鉄尾西線の津島駅から真西約1kmに位置する。駅西口から県道138号線と県道129号線をまっすぐ西に向いて歩けばたどり着く。また、国道155号線からは「江西」の交差点を東方向に折れると約300mで津島神社の正面の鳥居が見えてくる。
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 津島神社の蕃塀は、桧皮葺き屋根の木造連子窓型蕃塀の中では、規模が最大のものである。文政8年(1825)頃に建立されたと推察される。赤く彩色された柱などに白壁が映えて、桧皮葺き屋根の曲線は優美である。連子窓の目が細かく、全体に丁寧なつくりであるといえる。

 昭和56年に他の社殿と一括して、愛知県文化財に指定された唯一の蕃塀であり、尾張五社に格付けされる津島神社の風格がそのまま表現されている。木造連子窓型蕃塀の最も代表的な事例として、選出しておきたい。
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by banbeimania | 2010-04-21 22:04 | 蕃塀30選 | Comments(0)

蕃塀30選(No13)河内屋新田津島神社の蕃塀

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 小牧市大字河内屋新田字村前51番地に所在する河内屋新田津島神社の蕃塀は、2間巾の石造衝立型蕃塀である(詳細はこちら)。

 河内屋新田津島神社は、小牧市立村中小学校の北約900mに位置する。国道41号線の「横内西」交差点を曲がり、県道179号線を西に向かい最初の信号のある「河内屋」交差点を左折して道なりに南へ進む。約300m行くと変則四叉路に着くが、そこを斜め前右手(南西)に曲がり約200m進むと、工場群を越えたすぐ右手に河内屋新田津島神社の入り口が存在する。参道を西に進み、突き当たりを北に折れると正面に蕃塀が見えてくる。
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 河内屋新田津島神社の蕃塀は、1937年に補修されているものの、1915年に製作されており、石造衝立型蕃塀としては6事例の中で最古の作品である。最上部の覆板は反りを持ち「御即位紀念」などの文字が刻まれており、このような細かい造作が加えられた石造衝立型蕃塀は珍しく逸品である。ただし、規模はそれほど大きなものではない。

 石造衝立型蕃塀の一例として、本蕃塀を選出しておきたい。
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by banbeimania | 2010-04-11 08:54 | 蕃塀30選 | Comments(0)

蕃塀30選(No17)草平津島社の蕃塀

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 愛西市草平町道下5番地(旧海部郡佐織町大字草平新田字道下5)に所在する草平津島社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀である(詳細はこちら)。

 草平津島社は、名鉄尾西線六輪駅の南西約700mに位置する。県道129号線から愛西市立草平小学校の北西角を東に折れ、学校を右手に見ながら進むと約500m先に左手に草平津島社の鳥居が見えてくる。
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 草平津島社の蕃塀は、欄間部を持たず、連子窓の直ぐ上に屋根石が配置されるものである。このようなタイプはこれまでに23例が確認されているが、その中で最古の事例は1912年の小牧市三ツ渕原新田神明神社例と岩倉市曽野神明社例である。1922年に製作されたこの草平津島社の蕃塀はそれほど古いものとは言えないが、このように羽目板部に彫刻を持つ事例はそれほど多くはない。この他にも、棟木石の中央にも破風状の装飾が施されているなどの特徴を持っており、案外造りが細やかなものである。

 欄間部を持たない石造連子窓型蕃塀の中から、その造作の端正さなどを考慮して、草平津島社の蕃塀を選出しておきたい。
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by banbeimania | 2010-04-06 22:48 | 蕃塀30選 | Comments(0)

小牧市二重堀津島社の蕃塀

 小牧市大字二重堀字南屋敷に所在する津島社は、創建年代などの由緒は不詳である。二重堀は入鹿用水や新木津用水の開削により発展した地域で、古来白山社・天王社・蔵王社があったが、現在は津島社に集約されているという。本殿をはじめとする境内社殿は平成7年(1995)に整備された。社名からみて、主祭神は建速須佐之男命と推測される。

 二重堀津島社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.1m、全高約2.6m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.8mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立てて屋根石を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は全ての区画で角を丸く加工した二重の方形枠が設けられていた。裏面には特に装飾は見られないが、左側の区画で人名14名分、中央の区画で地名と人名6名分、右側の区画で人名14名分の文字が刻まれていた。また、左側の円柱裏面で「大正十二年十月建之」、右側の円柱裏面には、あまりはっきりとはしないが。「石工 八坂兵幡金次郎」と記されているように見えた。欄間部は、「津島神社」と記された扁額を持ち、その両側には頭部が両端に配置された双龍紋が施されていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せた棟木石の両端はわずかに外側に突き出ている。

 二重堀津島社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、木造妻入拝殿、渡殿、灯籠から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 二重堀津島社の蕃塀は、大正12年(1923)に八坂?の石工船橋?金次郎によって製作されたものである。この船橋?金次郎については特定できていないし、八坂?についても名古屋市西区の八坂町を指しているのか否かを確定できない。本蕃塀は欄間部に施された双龍紋の表現が非常に細かい点に特徴を見出すことができる。
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by banbeimania | 2009-03-22 20:37 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

小牧市小牧原新田津島神社の蕃塀

 小牧市大字小牧原新田字樋下に所在する津島神社は、創建年代などの由緒は不詳である。当地は木津用水の開削に伴う江戸時代の新田開発により村が成立したという。祭神は天照大神・建速須佐之男命・大山津見命である。

 小牧原新田津島神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.5m、屋根長約3.9m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に方形肘木と方形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟も銅板で造られ、その両端は外側に突き出ていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には一枚板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られていた。表面は何も塗布されず、全て白木であった。

 小牧原新田津島神社は、正面から灯籠、神門、鳥居、百度石、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 小牧原新田津島神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は反りは持つものの屋根本体が薄く、大棟も比較的単純な構造となっている。また、肘木と腕木も簡素な方形を呈しており、全体に簡素である。
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by banbeimania | 2009-03-21 08:47 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

小牧市岩崎原新田津島社の蕃塀

 小牧市岩崎原新田字中屋敷に所在する津島社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は建速須佐之男命と推測される。

 岩崎原新田津島社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約1.6m、現在の屋根長約3.0m、屋根巾約0.2mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に直接円柱を2本立てて上端に覆板(笠木)を載せている。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部の順に材を積み重ねており、欄間部は存在しない。羽目板部は円柱による束柱を1本立て2区画に分け、各区画には3枚の石製縦羽目板が挟み込まれている。羽目板の両面には紋様などは施されていない。左側の円柱裏面には「大正七年一月立之」、右側の円柱裏面には「寄附人 (地名+人名1名分)」の文字が刻まれていた。角柱柱頭に腕木板はなく、連子窓部は円柱による束柱を1本立て2区画に分け、両区画に鉄棒を9本ずつ立てて竪連子に造られている。覆板(笠木)は断面形が五角形の角材が用いられていた。

 岩崎原新田津島社は、正面から神門、灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、木造平入拝殿から本殿施設群に至る構成を持つ。

 岩崎原新田津島社の蕃塀は、大正7年(1918)に製作されたものであるが、作者は不明である。本蕃塀は、上端に覆板(笠木)を載せ、連子窓部に束柱を置く欄間部を持たない石造連子窓型蕃塀であった。これまでに欄間部を持たない石造連子窓型蕃塀は22例が存在するが、上端に覆板(笠木)を載せるものはなく、全て屋根石を載せていた。また、連子窓部に束柱を置くものとしては、稲沢市福島神明社の蕃塀B(1920)のみがあり、稲沢市平和町須ヶ谷八幡社の蕃塀(1924)は中央に主柱をもう一本置くものであった。いずれにしても、欄間部を持たない石造連子窓型蕃塀としてはかなり異質な蕃塀であるといえよう。
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by banbeimania | 2009-03-12 22:05 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

小牧市河内屋新田津島神社の蕃塀

 小牧市大字河内屋新田字村前に所在する津島神社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は建速須佐之男命と推測される。

 河内屋新田津島神社の蕃塀は、2間巾の石造衝立型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.1m、全高約1.8m、屋根長約2.6m、屋根巾約0.2mで、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に巡らせたコンクリート製基壇に直接円柱を3本立てて上端に覆板(笠木)を載せて骨格が作られる。柱脚の盤(地貫)を渡す形に造り、柱間壁面は横羽目板を各間に5枚嵌め込まれているものである。覆板(笠木)は断面形が五角形の角材が用いられ、両端は反っていた。覆板(笠木)の表面には「御即位紀念」、左側の主柱裏面には「大正四年十一月」、右側の主柱裏面には「在郷軍人 (人名12名分)」、右側の下から2枚目の横羽目板裏面には「昭和十二年十一月改修 (人名9名分)」の文字が刻まれていた。中央の主柱前の基壇上面には、玉石が菊花紋状に並べられていた。

 河内屋新田津島神社は、正面から神門、灯籠、鳥居、参道を直角に折れて百度石2個、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 河内屋新田津島神社の蕃塀は、大正4年(1915)に製作されたものだが、作者は不明である。昭和12年(1937)には改修がなされているらしいが、どこをどのように改修されたのかは分からなかった。本例のように、石造衝立型蕃塀で覆板の表面には「御即位紀念」などの文字が刻まれる事例は珍しいといえる。
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by banbeimania | 2009-03-08 19:52 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

江南市天王津島社の蕃塀

 江南市天王町五反林(旧大字小折字椿屋敷)に所在する津島社は、創建年代などの由緒は不明である。社名などからみて、祭神は建速須佐之男命と思われる。

 天王津島社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約1.8m、全高約2.0m、屋根長約2.4m、屋根巾約0.4mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。平面形が「H」字形のコンクリート製基壇の上に礎石と石製布基礎を置き。礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は全ての区画で角を丸く加工した方形枠が設けられていた。中央の羽目板裏面には「昭和廿一年二月 寄附者 (人名2名分)」の文字が記されていた。また、円柱の正面には「奉納」の文字が刻まれていた。欄間部は角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、その両区画には石材が全く配置されず、結果として方形透かしが2個存在する状態である。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を6本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、棟木石は非常に低く外側に突き出ていない。控え柱はないが、石製の斜めに宛てがわれた支え棒がボルトによって固定されていた。

 天王津島社は、正面から灯籠、鳥居、百度石、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。

 天王津島社の蕃塀は、昭和21年(1946)に製作されたものだが、作者は不明である。本例のように、終戦直後に構築された蕃塀は非常に珍しいといえる。また、本蕃塀は規模がやや小さく、特に長さ(横幅)が短くなっている。短い上に3間巾を持つため、1間の規模が非常に小さくなっている点も特徴の一つといえよう。
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by banbeimania | 2009-01-19 22:14 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

岩倉市石仏津島社の蕃塀

 岩倉市石仏町天王南に所在する津島社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は建速須佐之男命と推測される。

 石仏津島社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.5m、全高約2.3m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。切り石で周囲を囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は幅広の角柱による束柱を1本立て2区画に分けられ、表面は両区画に牡丹と獅子紋が彫刻されていた。裏面は、両区画で角を丸く加工した方形枠が設けられていた。束柱の裏面には「昭和十二年四月建之 寄附人 (人名2名分)」、右側羽目板裏面には「コメノ 石工井上刻」の文字が刻まれている。欄間部は、中央に扁額を持たず、頭部を中央に寄せて配置される双龍紋が施されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。

 石仏津島社は、正面から神門、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 石仏津島社の蕃塀は、昭和12年(1937)に北名古屋市米野の石工井上によって製作されたものである。石工井上による蕃塀には、本例の他に北名古屋市鹿田若宮神社の蕃塀(1935)、清須市西田中神明社の蕃塀(1937)および岩倉市北島白髭社の蕃塀(製作年不明)がある。これまでに紹介した石工井上による蕃塀は、羽目板には造形的な彫刻は見られなかったが、石仏津島社の蕃塀には牡丹と獅子紋が彫刻されていた。これは、他の作者の彫刻に比べ、獅子や牡丹以外の部分の表現も丁寧になされていて絵画的に造られている点が特徴であろう。
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by banbeimania | 2008-12-29 21:34 | 蕃塀の事例 | Comments(0)

清須市清洲津島社の蕃塀

 清須市清洲字永安寺に所在する津島社は、創建年代などの由緒は不明である。石燈籠や石燈明の刻銘や永安寺の町並の成立などから安政年間頃の鎮座と推定される。疫病流行から勧請したとの言い伝えもあり、昭和3年(1928)に南向きに社殿が整備されたという(『きよす「歴史・散策」〜神社編〜』より)。社名からみて、祭神は建速須佐之男命と推測される。

 清洲津島社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.3m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は全ての区画に倒立する獅子紋が彫刻されていた。裏面は中央の羽目板には「昭和三年四月」、右側の羽目板裏面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」の文字が刻まれていた。欄間部は、中央に扁額を持たず頭部を両端に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板は前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石は外側に突き出ている。

 清洲津島社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿に至る構成を持つ。

 清洲津島社の蕃塀は、昭和3年(1928)に名古屋市西区の石工角田六三郎によって製作されたものである。石工角田六三郎製作の蕃塀はこれで47例目を数える。本蕃塀は、彫刻の構成や刻文の内容が同市西市場軻具土社の蕃塀と類似している。清洲津島社と西市場軻具土社は社殿の構成もよく似ており、昭和3年(1928)頃に行われた整備の際に両社は大きく関連していたものと思われる。
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by banbeimania | 2008-11-27 20:18 | 蕃塀の事例 | Comments(0)