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新「六季」1月・2月 冬(ふゆ) 3月・4月 春(はる) 5月・6月 前夏(まえなつ) 7月・8月 激夏(げきなつ) 9月・10月 後夏(あとなつ) 11月・12月 秋(あき) 今年の猛暑を経て、今の日本の気候は夏を3つに分けた方が理解しやすいと思います。 特に、7月・8月はもはや「夏」とは言い難いでしょう。 蕃塀記事はそのうちに再開したいと思っています。
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by banbeimania
| 2025-09-21 21:59
| 探索の記録
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小牧市小牧神明社境内の山の神社の蕃塀
現在は、尾張地域の蕃塀の追加調査の事例紹介を行っている。
小牧市小牧5丁目に所在する小牧神明社は、永禄6(1563)年に織田信長が清須から小牧へ居城を移した際に、清須に所在する御園神明社を分祀して創建されたという。小牧神明社の蕃塀はすでに紹介済みであるが、その境内には山の神社が存在する。この山の神社(山神社)は大正2(1913)年に字山東に所在した山神社が合祀されたもので、祭神は大山祇命と思われる。 小牧神明社境内の山の神社の蕃塀は、2間巾の木造衝立型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.0m、屋根長約2.7m、屋根巾約0.3mを測り、外側に控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。周囲に自然石を並べたコンクリート製の基壇に、円柱を2本立てて上部に屋根(笠木)を載せている。なお、この基壇は蕃塀だけでなくその背後の参道から本殿まで含めた形で作られている。円柱の間には石製地貫を置き、その上の中央に円柱を立てて2間巾としている。3本の円柱の間には笠木直下に貫を渡し、その間の塀本体は横羽目板が嵌め込まれている。笠木(屋根)は断面がホームベース形の五角形となっていて、全面が銅板に覆われている。両端の円柱下半は金属製鈑金で覆われて補強されている。 山の神社は、小牧神明社境内の右手(東側)奥に所在し、正面に蕃塀があって基壇上の本殿に至る社殿構成を持つ。 小牧神明社境内の山の神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。私は平成21(2009)年3月に小牧神明社に参拝したが、その時には境内社をきちんと調べておらず、山の神社の蕃塀には気づいていなかった。全く不覚である。数少ない木造衝立型蕃塀であることと、基壇が参道と本殿を巻き込んで一体化していることなどが特筆される事例である。 ![]() #
by banbeimania
| 2024-05-03 22:51
| 蕃塀の事例
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江南市河野天王社の蕃塀
現在は、尾張地域の蕃塀の追加調査の事例紹介を行っている。,
江南市河野町河野にある天王社は、創立年代などの由緒は不明である。愛知県神社庁のホームページには掲載されていない神社で、祭神は須佐之男命と思われる。 河野天王社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.9m、全高約2.5m、屋根長約4.1m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。自然石を一列に並べた布基礎に木製角材を土台木を乗せ、その上に円柱を4本立ててその内側は下から順に地貫と腰長押と内法長押を通し、上端は棟木を渡している。内法長押の上位に簡略した方形腕木と方形肘木を架し、表裏両面の出桁を支えそこに直接屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、表面は一枚板の朱色に塗布された銅板(トタン板か)で覆われていた。大棟は断面五角形状の棟木を置き、銅板で包まれ両端は外側に突き出ていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。材は全て白木である。控え柱は直方体の礎石上に木製角柱が据えられており、控え貫も木製であった。両端の円柱の外側で棟木を支えるための鉄骨が斜めに渡されている。 河野天王社は、正面から鳥居、直角に折れて蕃塀、狛犬、灯籠、基壇上の覆屋をもつ本殿に至る構成を持つ。 河野天王社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。木工の装飾は省略された簡素な作りであるが、屋根は鮮やかに塗布されている。上位の控え貫を活かして板材を置いてテーブル状にしている点が特筆され、実際に裏面はその棚が物置として利用されていた。
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by banbeimania
| 2024-04-30 23:07
| 蕃塀の事例
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一宮市木曽川多賀神社の蕃塀
現在は、尾張地域の蕃塀の追加調査の事例紹介を行っている。
一宮市木曽川町黒田宝光寺東にある多賀神社は、創立年代などの由緒は不明である。愛知県神社庁のホームページには掲載されていない神社で、祭神は伊弉諾命と伊奘冉命と思われる。 木曽川多賀神社の蕃塀は、1間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.0m、全高約2.4m、屋根長約3.0m、屋根巾約0.6mで、両側に控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。玉石を散りばめた低いコンクリート製基壇に短い石製角柱を立て、その内側に円柱を接着させて2本立てる形を作っているが、円柱そのものは地面と接していない。円柱の内側は下から順に地貫と腰長押と内法長押を通し、上端は棟木を渡している。内法長押の上位に簡略した雲形腕木を架し、表裏両面の段葺きされた屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、表面は一枚板の銅板で覆われていた。大棟は断面五角形状の棟木を置き、銅板で包まれ両端は外側に突き出ていた。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。材は全て白木である。右側石製角柱の裏面に「宝町氏子中 昭和四十八年十一月吉日」と刻まれ、石柱の外側には鉄骨が固定され円柱とボルト締めされていると思われる。 木曽川多賀神社は、正面から蕃塀、狛犬、灯籠、基壇上の本殿に至る構成を持つ。 木曽川多賀神社の蕃塀は、その状態からみて、本来は多くの木造連子窓型蕃塀と同様に木製円柱を地面に立てて作られたものと思われるが、何らかの事情で蕃塀本体を少し浮かせ、横に据えた石柱によって支える形状に改修されたものと考えられる。石柱の刻文からみて昭和48(1973)年にこの改修が行われたものと思われ、本来の蕃塀の製作年代や作者は不明であるといえる。鳥居など他の大型施設を持たない小規模な神社であるが、規模は小さいものの蕃塀を有する点は、稲沢市矢合三島社例などと共通する。 ![]() #
by banbeimania
| 2024-04-27 22:20
| 蕃塀の事例
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一宮市三八稲荷神社の蕃塀
現在は、尾張地域の蕃塀の追加調査の事例紹介を行っている。
一宮市真清田1丁目にある真清田神社の境内に所在する三八稲荷神社は、掲示によれば、かつては境内末社の一つとして神苑の北西にあったが昭和26年に現在地に社殿の造営が行われ遷座したという。当初の創立年代などは不明である。愛知県神社庁のホームページには掲載されていない神社で、祭神は倉稲魂命である。 三八稲荷神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.1m、全高約2.8m、屋根長約4.6m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。切石を周囲に巡らせた低いコンクリート製基壇に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫と腰長押と内法長押を通し上端は棟木を渡している。内法長押の上位に簡略した雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの反り屋根で、檜皮葺と思われるが、表面は銅板が一文字葺きされていた。大棟はあおり板と棟木を置き、これらも銅板で包まれており、棟木の両端は鬼板が置かれていた。屋根には装飾された懸魚が設置されている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には羽目板が嵌め込まれていた。柱、貫長押、肘木、腕木、垂木などは朱塗され、竪連子は緑色、上下の羽目板は白色に塗布されていた。控え柱は基壇に石製角柱を立てて造られ、2本の控え貫は木製で朱塗りされていた。 三八稲荷神社は、正面から神門、蕃塀、鳥居、神狐、基壇上の平入拝殿、渡殿から本殿施設群に至る構成を持つ。 三八稲荷神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。鮮やかに塗布された状態から見て、本例は最近に修復されたものと推測される。朱塗りされた蕃塀は、津島市津島神社を筆頭に御器所八幡社など数例が知られている。 ![]() #
by banbeimania
| 2024-04-24 22:45
| 蕃塀の事例
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