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名古屋市中川区五女子八劔社の蕃塀
名古屋市中川区五女子町3丁目(八熊町字下脇)に所在する八劔社は、寛永2年(1625)に尾州和加部守が戦勝祈願のため創建されたと、境内にある由緒書きに記されていた。祭神は日本武尊である。
五女子八剱社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.8m、全高(現状)約1.8m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。基礎部分と羽目板部の一部が土砂に埋もれてしまっており、基礎構造を知ることはできない。円柱を2本立てて屋根石を載せており、その円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ石板が嵌め込まれ、その表面には角を丸く加工した方形枠が設けられていた。裏面には、左側の羽目板で「指定村社⊏ 昇格紀⊏ 昭和十一年十月⊏」、中央と右側の羽目板でそれぞれ所属+人名が8名分以上の文字が刻まれていた。欄間部は中央に「八劔社」と記された扁額を置き2区画に分けられるが、両側の区画にわたって単龍紋が表現されていた。円柱の柱頭には腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を9本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された直線屋根で、上部に載せているはずの棟木石は欠損していた。 五女子八剱社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠群、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、渡殿から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。 五女子八剱社の蕃塀は、昭和11年(1936)に製作されたが、作者は不明である。本蕃塀のように単龍紋の中央に扁額を配置させるものには、愛知神明社の蕃塀(1921)と尾崎白山社の蕃塀(1920)がある程度で、やや珍しいものといえよう。本蕃塀は既出の2事例よりも新しいが、一見して単龍紋と判断できない形に彫刻されているものであり、相互の影響関係は薄いと思われる。本蕃塀の最大の特徴は、基礎部分が相当の高さで埋もれている点であり、昭和11年(1936)以降に参道が相当にかさ上げされたものと考えられる。
by banbeimania
| 2009-04-18 23:31
| 蕃塀の事例
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