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欄間部の頭部を左端と中央に置く双龍紋(その14)
石造連子窓型蕃塀の欄間部は大きく17類に区分できたが、そのうちの頭部を左端と中央付近に据える双龍紋が表現される事例について13回に分けて検討してきた。最後にこれらの検討結果をまとめておきたい。
頭部左端&中央型双龍紋の欄間部は、扁額の有無と透かしや雲海などの特徴から6タイプ9類に細分できた。これを時期順に並べて記述すると下記のようにまとめられよう。 まず初めに1924年にDタイプ4類が登場し、次いで1925年にDタイプ3類、1928年にBタイプ、1931年にEタイプ3類が現れたが、これらは継続的に建設されることはなく、多くても3基程度しか建設されないような状況であった。その後、安定して建設されるようになるのは1932年にDタイプ2類が登場してからであった、1941年までにDタイプ1類と2類が16基築造され、頭部左端&中央型双龍紋の欄間部を持つ蕃塀の最盛期を迎えたと言ってもよいだろう。特に、1935年〜1938年には荒木弥助の活躍が目立つ点や、同じ頃に岡崎市の石工の作品が点在することが特筆されよう。 上記のような、荒木弥助を中心にA・B・D・Eタイプが主体となって蕃塀が建設される状況は1941年まで続くが、その後長期間にわたって建設は中断された。次に頭部左端&中央型双龍紋の欄間部を持つ蕃塀が認められるのは1960年であり、Dタイプ2類と4類が確認される。Dタイプ2類は全て岡崎市の石工の作品であり、この状況は1965年まで継続していた。 再び長期間にわたって建設は中断され、次いで頭部左端&中央型双龍紋の欄間部を持つ蕃塀が認められるのは1998年である。新タイプとしてCタイプとFタイプが登場し、他のタイプは認められない。この状況は2000年まで確認されているので、わずか3年間続いた傾向であったといえる。 この結果、頭部両端型双龍紋の欄間部を持つ蕃塀の建設状況は、大きく戦前・戦後1期・戦後2期の3期に区分されることが分かる。戦前の段階では、透かしを持つ多様なタイプが確認され、多くの作品が集中的に建造された。戦後1期(1960年代前半)では、扁額を持たず透かしがあるDタイプのみがわずかに築造された。最後の戦後2期(1990年代後半)は、透かしを全く持たないCタイプとFタイプがわずかに築造された段階といえる。
by banbeimania
| 2009-09-21 09:20
| 蕃塀を深める
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