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名古屋市千種区上野天満宮の蕃塀
ここ数回は犬山市内に所在する蕃塀をいくつか紹介してきたが、実は犬山市内の神社についてはまだ半数程度しか調査が進んでいない。そこで、ここで一旦地域を変え、再びしばらくは名古屋市内の事例について紹介していきたい。
千種区赤坂町に所在する上野天満宮は、志半ばにして無実の罪を背負い都から追いやられた天才学者の菅原道真が祀られている。道真没後約100年の正歴元年(990)頃、同様に都を追われた陰陽学者の安倍晴明一族の一部が、現在の名古屋市千種区晴明山に移り住み、自らの境遇と照らして菅原道真を祀り上野天満宮を建立した。江戸時代に矢田川の氾濫を避けるため現在地に移動したという。 上野天満宮の蕃塀はコンクリート造と思われる。大きさは概略で、本体長約4.8m、全高約2.7m、屋根長約5.9m、屋根巾約0.5mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。円柱を4本立てて巾を3間とし貫を3本渡した形状に、コンクリート造りされている。下部と上部には羽目板を、中央には円柱を跨ぐ形で連子窓を持ち、屋根は断面五角形状の大棟を渡すものである。表面下段中央の羽目板に「奉納」、裏面下段の羽目板に「 (人名109名分で詳細は省略) 金二十五萬円 敬神婦人会有志 昭和五十年七月建之」と記された刻書がある。表面上段中央の羽目板に梅紋が施されている。 蕃塀は拝殿のほぼ正面に配置されるが、鳥居の軸線からは大きく右側にずれている。蕃塀としては規模が大きくどっしりとしたものである。
by banbeimania
| 2007-02-16 00:54
| 蕃塀の事例
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