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阿久比町阿久比神社の蕃塀類似施設
今回は蕃塀の事例ではないが、蕃塀に類似した施設の事例を紹介する。
知多郡阿久比町大字阿久比字北下川に所在する阿久比神社は、平安時代初期の『延喜式第九』神名帳に知多三座の一つとして記され、貞治3年(1364)の『尾張国神名帳』には「従二位上英比天神」と記された神社である。社伝によれば、顕宗天皇の代に「開囓神」を祭り創建され、大化4年(648)に「猿田彦大神・天津彦命・瓊瓊杵尊」を合祀したという。その後、天平神護元 年(765)に八幡大神・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命を合祀した。延喜20年(920)英比丸が社殿を造営し没後天徳3年(959)に「英比丸命」として合祀された。長暦4年(1040)に拝殿が建立されたが、拝殿は幾度かの改築を繰り返し平成9年度に現在の拝殿が完成した。 阿久比神社の蕃塀類似施設は、祓所として祀られている榊の背後にある衝立状の塀である。榊は一段高くなった基壇に植えられその周囲は石製の透垣で囲まれている。阿久比神社と榊との結びつきは古く、『社記』にも天徳3年(959)に神社の森に相応しい榊を植えて祀ったとある。現在は鳥居を潜って直ぐ右手の境内の一角に、祓所として榊の一株が祀られている。 この塀はコンクリート造と思われる。大きさは概略で、本体長約2.6m、全高約2.4m、屋根長約2.8m、屋根巾約0.3mで、両側に控え柱は持たない。 詳細の構造は次の通り。円柱を3本立てて巾を2間とし貫を2本渡した形状に、コンクリート造りされている。2本の模擬貫の間に連子窓を持ち、その他の部分には羽目板が嵌め込まれた状態となっている。正面から見て左側の柱に「紀元二千六百年記念 昭和十五年十二月建之 寄付者 東京 (人名2名分)」の文字が刻書されている。屋根は断面五角形状の大棟を渡す比較的単純な形状となっている。 阿久比神社の榊祓所背後の塀は、強いていえば、名古屋市千種区上野天満宮の蕃塀に類似するが、形状はそれよりも簡素である。この塀は、拝殿に至る途中の目隠しとしての蕃塀とは明らかに用途が異なるが、形状が類似している点が興味深く思われ、ここに事例を紹介した。蕃塀との関連や分布状況なども合わせて検討してみる価値があるかも知れない。
by banbeimania
| 2007-03-03 23:19
| 蕃塀の事例
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