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北名古屋市宇福寺天神社の蕃塀
北名古屋市宇福寺字天神に所在する天神社は菅天神社と呼ばれてきたもので、大正9年(1920)に字三反田に所在した神明社と合祀された。創建年代は不明で、一説には『延喜式神名帳』に記載された「愛知郡伊副神社」に相当すると言われるが定かではない。『張州府志』などに「応永二十癸巳(1413)修造」とあり、由緒ある古社と『西春町史』に記されている。最古の棟札は貞享3年(1686)のものである。菅原道真と天照大神を祭神としている。
宇福寺天神社の蕃塀は3間巾の石造で、大きさは概略で本体長約2.2m、全高約1.7m、屋根長約2.6m、屋根巾約0.4mを測り、両側には控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。周囲を切り石で縁取られたコンクリート製基壇に切り石による礎石を配置し、その上に石造の円柱を2本立てさらに屋根を載せている。円柱の内側には、下から下位羽目板部、貫、連子窓部、貫、上位羽目板部の順に石材を積み重ねている。下位羽目板部は2本の円柱を立て区画を造り3つの区画に分け、左右には岩上に倒立する獅子が、中央には牡丹紋が極めて立体的に彫刻されている。上位羽目板部には波涛を泳ぐ双龍が描かれ、中央に「天神社」と記された扁額が彫り出されている。背面には彫刻による装飾はなく、左側円柱裏面に「昭和六十三年十月吉日」、右側円柱裏面に「奉賛会員一同」と記されており、製作年代が判明する。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を9本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置される。控え柱も石造で、柱の頭部は宝珠に形作られている。 宇福寺天神社は、正面から鳥居、灯籠、神牛、蕃塀、壁の無い吹き抜けの拝殿から移殿を介して本殿施設群に至る構成となっている。移殿の両脇に狛犬が配置され、拝殿から奥が玉垣によって囲まれている。 宇福寺天神社の蕃塀は比較的小さなものであるが、正面に描かれた装飾は立体感にあふれている。花崗岩の風化もほとんどなく、形はシャープで初々しい印象を持つものである。
by banbeimania
| 2007-04-22 00:06
| 蕃塀の事例
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