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北名古屋市西之保喰守社の蕃塀
北名古屋市大字西之保字犬井に所在する喰守社は、所蔵棟札によれば、天保5年(1835)に大巳貴神と内金国神を祭神として勧請したことが分かる。『西春町史』には、天保5年以前から「民俗信仰のオシャゴジは存在していた」と推測し、古くから信仰が篤かったと考えられている。
西之保喰守社の蕃塀は2間巾の石造で、大きさは概略で本体長約1.8m、全高約2.0m、屋根長約2.4m、屋根巾約0.4mを測り、両側には控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。切り石を巡らしたコンクリート基壇上に切り石による礎石を配置し、円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には、下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は円柱を1本立てて2つの区画に分け、それぞれに竹林に在する獅子が彫刻されている。透かし部には波涛を泳ぐ双龍が浮き彫りされている。左側羽目板の裏面には「大正十五年一月建之」、右側羽目板の裏面には「寄付人 当村(人名2名分)」と刻まれており、製作年代が判明する。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を7本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置され両端が少し突き出ている。 西之保喰守社は、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬から拝殿などの本殿施設群に至る構成となっている。境内は比較的狭いためか、蕃塀も小振りである。 西之保喰守社の蕃塀は、左側円柱の側面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」と記されており、作者が判明する。石工角田六三郎の作品は北名古屋市内の石橋八幡社・山之腰天神社・徳重十二所社に次いで4例目である。
by banbeimania
| 2007-04-30 10:45
| 蕃塀の事例
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