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大口町河北神明社の蕃塀
丹羽郡大口町大字河北字郷中に所在する神明社は、創建年代は不詳である。境内にある由緒書きの石碑には「古伝によると、元和元年(1615)頃大竹氏なる者が此の地に移住した頃の勧請になるものと推定される。旧記によると、寛文7年(1667)に3尺の社を建立し」たという。「文化3年(1806)社殿、拝殿、鳥居等改築との記録が残されている」とも記されていた。なお、境内の建造物は全て明治元年(1684)以降のものであると『大口町史』に書かれている。天照大神を祭神としている。
河北神明社の蕃塀は3間巾の石造で、大きさは概略で本体長約2.5m、全高約2.1m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。切り石で構成された基壇上に礎石を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から貫、羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、左右に倒立した獅子紋、中央に牡丹紋が施されている。透かし部は、波涛を泳ぐ双龍紋が彫刻され、中央に金彩で「神明社」と削り出された扁額がある。羽目板部の右側角柱の裏面には「平成四年十一月」と刻まれ墨が入れられている。円柱の上位に雲形腕木を模した張り出しが前後と外側に付属している。連子窓部は角柱を9本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され、その上に大棟が配置される。控え柱も石造で頭部が擬宝珠状に形作られている。 河北神明社は、灯籠、石柱、一の鳥居、二の鳥居、百度石、蕃塀、狛犬群、拝殿および本殿施設群に至る構成となっている。蕃塀から奥の参道がやや長く、そこに狛犬が複数組存在していた。 河北神明社の蕃塀は、平成に入ってからの作品で、ほとんど風化されていないため彫刻はシャープで鮮烈である。彫刻は立体感に溢れ細工も細かい。また、基壇も丁寧に石材が組み合わされている。なお、『大口町史』には、河北神明社の写真が掲載されているが、その写真にある鳥居の奥には小さいながらも木造らしき蕃塀の姿を見ることができる。平成4年に木造から石造に建て替えられたのかもしれない。
by banbeimania
| 2007-05-16 00:11
| 蕃塀の事例
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