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丹羽郡扶桑町楉埜神社の蕃塀(その1)
丹羽郡扶桑町大字高雄字宮島に所在する楉埜(しもとの)神社は、境内の由緒書きによれば、「尾張州従三位下埜天神住吉大明神詞記」に慶雲・大宝年代(701〜707)以前の創建であるという。『尾張徇行記』には白雉4年(653)に鎮座したとある。楉埜大神を祀り、後に住吉大社の御分霊を祀ったことから「住吉大明神」と呼ばれた時期があった。明治から大正時代にかけて須賀社・神明社・白山社・馬宮社・諏訪社・天道宮・福ノ宮・愛宕社・若宮社が合祀されている。
楉埜神社では、非常に珍しく、蕃塀が2基存在する。今回は本来の蕃塀の配置されていた場所に所在する蕃塀を紹介する(蕃塀Aと仮称する)。楉埜神社の蕃塀Aは3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.7m、全高約3.0m、屋根長約5.1m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。 蕃塀Aの詳細の構造は次の通り。自然石を周囲に並べた低い基壇に切り石による礎石と布基礎を設置し、さらに円柱4本を立てている。円柱には下から順に腰板の貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。円柱に簡略化した雲形肘木と腕木を配置し表裏両面の桁を支え、垂木を渡して屋根を載せる。垂木の先端は銅板飾りで装飾されている。屋根は切妻造りで銅板が一文字葺きされ、反りが僅かにある照り屋根となっている。大棟の両端には鬼板が配置されている。蕃塀の中央には連子窓、連子窓の上には横羽目板、下には縦羽目板が嵌め込まれている。控え柱は石製であるが、控え貫は木材で造られている。 楉埜神社は正面から灯籠、鳥居、太鼓橋、灯籠、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿、移殿から本殿施設群に至る構成を持つ。狛犬よりも奥と移殿よりも奥の部分はそれぞれ一段高く造成されている。 楉埜神社の蕃塀は3間巾の中規模なものである。肘木が曲面を、腕木が二段曲面を成しており、前に検討したCタイプに属するものである。蕃塀の内法長押の右端にコンセントが設置されている。
by banbeimania
| 2007-06-15 08:16
| 蕃塀の事例
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