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海部郡甚目寺町甚目寺日吉社の蕃塀
海部郡甚目寺町大字甚目寺字東門前に所在する日吉社は、古刹甚目寺の境内に所在する神社である。現漆部神社に並列して存在している。鎌倉時代の絵巻物である『一遍上人絵伝巻六』「尾張の甚目寺に参詣 本尊の毘沙門天霊徳を現わす」に日吉社が描かれており(『甚目寺町の社寺縁起』)、弘安6年(1283)に日吉社は存在したことが分かる。前回紹介した八大明神社と並び、甚目寺観音の鎮守であったという。なお、愛知県神社庁の資料には掲載されていない神社である。
甚目寺日吉社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.2m、屋根長約2.9m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。周囲を自然石で巡らせたコンクリート製基壇に切り石による礎石と布基礎を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分け、各区には獅子紋が施されている。透かし部は双龍紋が描かれ、中央に扁額を持たないで頭部を透かし部の両端に配置して2匹の龍が向かい合うAタイプであった。連子窓部上位の貫正面には「御大典紀念」と記されている。羽目板部の裏面には「寄附人 (人名16名分) 昭和三年」と刻まれている。右側円柱の側面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」と記されている。円柱上位に雲形腕木を模した張り出しが前後に付属している。連子窓部は角柱を7本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され大棟は外側にやや突き出ている。 甚目寺日吉社は正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、木製朱塗鳥居、灯籠、移殿から本殿に至る構成を持つ。 甚目寺日吉社の蕃塀は、昭和3年(1928)に角田六三郎によって製作されたものである。透かし部の双龍が流れるように彫刻され、秀逸な作品といえよう。隣接する漆部神社の蕃塀よりも古いことは注目される。漆部神社に改称される以前の八大明神社にも、この日吉社と同様な蕃塀が存在したのかも知れない。
by banbeimania
| 2007-07-02 23:04
| 蕃塀の事例
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