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海部郡甚目寺町石作神社の蕃塀
海部郡甚目寺町大字石作字郷に所在する石作神社は、『延喜式神名帳』にある中島郡石作神社に相当すると推定されてきた。ただし当地が中島郡に属していたと考えにくく、古くから疑問が提示されてきた。棟札は寛永十二年(1635)丙子二月七日のものが最古のもので、当社の建立は江戸時代と考える意見もある。当社が延喜式従三位石作天神であるとするならば、祭神は建真利根命と考えられる。
石作神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.3m、全高約2.3m、屋根長約2.9m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。割石で装飾されたコンクリート製基壇上に切り石による礎石と布基礎を配置し円柱を2本立てて屋根を載せている。円柱の内側には下から羽目板部、貫、連子窓部、貫、透かし部の順に石材を積み重ねている。羽目板部は角柱を2本立てて3つの区画に分けており、両側の区画には獅子紋が、中央の区画には牡丹紋が施されている。透かし部は双龍紋が描かれ、2匹の龍が向かい合い1匹の頭部は左端にもう1匹の頭部はほぼ中央に配置されるCタイプであった。左側羽目板部の裏面には「昭和四十年十月 氏子中」と刻まれている。円柱上位に腕木などを模した張り出しはなく、連子窓部は角柱を10本立てて造られる。屋根は寄せ棟状に切り出され大棟は外側にやや突き出ている。 石作神社は正面から一の鳥居、二の鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの拝殿、灯籠から本殿施設群に至る構成を持つ。 石作神社の蕃塀は、昭和40年(1965)に製作されたものである。以前に記述した石造連子窓型蕃塀の透かし部の紋様変遷の考察では、双龍の頭部が左端と中央に来るCタイプは、昭和後半(戦後)のみが具体的事例が存在しなかったが、本事例はその空白を埋める好資料になったといえる。なお、基壇の周囲にある石材は、蕃塀の正面のみが赤いチャートで構成されており、この部分がひと際目立っている。
by banbeimania
| 2007-07-03 22:51
| 蕃塀の事例
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