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稲沢市矢合町鈴置神社の蕃塀
稲沢市矢合町宮屋敷に所在する鈴置神社については、創建年代など詳細は不明である。『本国帳』に「中嶋郡正四位下鈴置地神」と記されている古社だが、『延喜式神名帳』には記載されない式外社である。『集説』では穂積朝臣の祖神を祀ったものではないかという。矢合村は昔鈴木郷といわれ、鎌倉幕府将軍宗尊親王の息女梅君が陸奥へ忍び下る時に鈴置の杜で凶賊にとられ行方知れずになったといわれる。
鈴置神社の蕃塀は2間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約1.9m、全高約2.3m、屋根長約2.9m、屋根巾約1.1mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に巡らせた地盤に切り石による布基礎と土台木を設置し、その上に円柱を3本立てて下から順に腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上に方形の肘木と腕木を配置し、表裏両面の桁を支え垂木を渡して屋根を載せている。長押、肘木と腕木の先端は銅製錺金具で装飾されている。屋根は切妻造りで反りを持たない直線屋根である。銅板が一文字葺きされ、銅板で造られた大棟の両端は外側に突き出ている。蕃塀の中央には連子窓が設けられ、その上には一枚板の横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製だが控え貫は木製である。左奥の控え柱の内側面には「施主前野□」、右奥の控え柱の内側面には「大正十四年」と刻書されていた。なお、円柱の下半などは腐食防止のため金属板で覆われていた部分がある。 鈴置神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬から本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。 鈴置神社の蕃塀は2間巾で規模もやや小さい。控え柱に記された大正14年(1925)の記述は、控え柱等を補修した年代を示す可能性が残るが、ここでは蕃塀本体の構築年代と考えておきたい。であるならば、木造連子窓型蕃塀で製作年代の確定できる資料は、昭和53年(1978)に建設された津島市白浜神明社八幡社合殿の蕃塀に次いで本事例が2例目となり、貴重な事例といえる。
by banbeimania
| 2007-11-04 19:58
| 蕃塀の事例
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