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蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
by banbeimania
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一宮市今伊勢町石刀神社の蕃塀

 蕃塀の概要解説を一通り終えたので、今日から再び蕃塀の事例紹介を行いたい。まずは延喜式内社である石刀神社の紹介から始めよう。

 一宮市今伊勢町馬寄字石刀に所在する石刀神社は、創建年代などは不詳である。社伝によれば、第10代崇神天皇の時代に鎮座したと伝えられ、『延喜式神名帳』に中島郡石刀神社と記された式内社である。当地の馬寄は平将門追討の後に伊勢神宮に神戸として貢献された所で郷内に伊勢両宮を斎祀していたが、両宮は永禄年間に戦火に遭い石刀神社に遷座したという。祭神は手力雄命・国常立尊・豊斟渟尊・国狹槌尊であり、天照大神・豊宇気毘賣神・軻遇突智神・大鷦鷯尊・中筒男命・事代主命・伊弉冉尊・菊理媛命・大己貴命を合祀する。

 石刀神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約3.5m、全高約2.6m、屋根長約4.4m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に布基礎?を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、その表面に隅を丸く加工した方形枠が施されている。一方、裏面には隅を丸く加工した方形枠に浮き彫りが施され、左右の区画には獅子紋が、中央の区画には牡丹紋が描かれている。欄間部も、羽目板部と同様に、円柱による束柱を2本立て3区画に分け、隅を丸く加工した方形の透かしが設けられている。右側円柱の裏面には「寄附(人名1名分)」、右側円柱の側面には「石工 名倉大吉」、左側円柱の裏面には「大正七年四月建」の文字が刻まれていた。円柱柱頭に腕木板が前後にある。本蕃塀で特徴的な点は連子窓部である。連子窓部は、羽目板部と同様に、円柱による束柱を2本立て3区画に分け、各区画に木枠を据えその内側に鉄製連子窓が嵌め込まれていた。この結果、一見すると主柱が4本存在するかのような形状となっている。屋根は寄せ棟状に切り出された緩い反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。控え柱そのものは存在しないが、そのかわり板状の石材を主柱に密着させて補強されていた。

 石刀神社は、正面から一の鳥居(木造)、灯籠、太鼓橋、二の鳥居(石造)、蕃塀、狛犬群、基壇上の妻入拝殿から本殿など多くの社殿に至る構成を持つ。

 石刀神社の蕃塀は、大正7年(1918)に石工名倉大吉によって製作されたものである。この名倉大吉については所在地など詳細なことは分からなかった。本蕃塀は一見すると主柱が4本存在するかのような形状となっている点が最大の特徴となっている。ただし、中央の2本の柱は所詮は束柱であり、連子窓部の束柱は他の部材と比べ石質が新鮮で後に補充されたものと思われる。本来は多くの石造連子窓型蕃塀と同様に、多くの石柱を並べて連子窓に造っていたものが、何らかの理由で後に現在のような形に補修されたものと推測される。それは控え柱相当部分にも当てはまり、板状の石材が他の部材と比べ石質が異なっているのである。
一宮市今伊勢町石刀神社の蕃塀_e0113570_23512653.jpg

by banbeimania | 2008-03-18 23:51 | 蕃塀の事例 | Comments(0)
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