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一宮市丹陽町阿豆良神社の蕃塀
一宮市あずら1丁目に所在する阿豆良神社は、垂仁天皇57年(688)創建と伝えられる。『延喜式神名帳』に丹羽郡阿豆良神社と記された式内社があり、永禄7年(1564)に宮社神田が悉く亡んだが、天正15年(1587)豊臣秀吉が再建し、江戸時代には「吾蔓大明神」と称されていた。祭神は天甕津媛命で倭姫命が配祀される。
阿豆良神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.3m、全高約2.6m、屋根長約4.8m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。切り石を周囲に巡らせたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に方形肘木と方形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、青銅色の銅板が一文字葺きされ、大棟の両端は外側に突き出ている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられ、その上部には横羽目板が、下部には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られていた。木造部は白木であるが、垂木や肘木などの先端は白色に塗布されていた。 阿豆良神社は、正面から中央に灯籠、鳥居、灯籠、神門、蕃塀、狛犬から基壇上の木造妻入拝殿およびそれに連続して本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。 境内には昭和58年9月吉日に伊藤石材店により施工された「藩塀玉垣参道敷石新築寄附者御芳名」の石碑が存在する。このことから、阿豆良神社の蕃塀は昭和58年(1983)に製作されたものと考えられる。本蕃塀は金属製の錺金具はなく、清楚な印象を持つものであった。なお、石碑に記された寄附金の合計は1641万円であり、その中で蕃塀も建設されたものと推察される。
by banbeimania
| 2008-05-20 21:38
| 蕃塀の事例
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