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一宮市明地鞆江神社の蕃塀
一宮市明地字鞆に所在する鞆江神社は、創建年代などの由緒は不明である。『延喜式神名帳』に記された中島郡鞆江神社に該当する式内社で、『日本三代実録』貞観7年(865)10月28日条には従五位下に叙せられたと記述されている。弘安4年(1281)の蒙古襲来に際し、神江寺にて大般若経六百巻を奉読、生魚を放つとも伝えられる。祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武内宿根であり、素盞嗚命・大山咋命が合祀されている。
鞆江神社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.6m、全高約2.7m、屋根長約4.4m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に石製布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。屋根は切妻造りの直線屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端は外側に突き出ている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。本体には彩色は全く施されず、本蕃塀の装飾は錺金具が部分的に存在する程度である。控え柱は全て木製で造られている。 鞆江神社は、正面から灯籠、一の鳥居、長い参道、灯籠、二の鳥居、門、灯籠群、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。 鞆江神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明であるが、材の状態からみてそれほど古いとは思われないものである。蕃塀の基壇の周囲には切り石で周囲を囲まれた区画があり、その内側には玉石が敷き並べられていた。
by banbeimania
| 2008-07-09 21:52
| 蕃塀の事例
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