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江南市古知野神社の蕃塀
江南市古知野町宮裏に所在する古知野神社は、延徳元年(1489)に大明神社として創建された。大正2年(1913)に熱田社を合祀し古知野神社と改称した。祭神は天照大神と日本武尊である。
古知野神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.9m、全高約2.4m、屋根長約3.6m、屋根巾約0.7mを測り、両側には控え柱を持たない。 詳細の構造は次の通り。コンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、礎石上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分けられ、表面は全ての区画で角を丸く加工した方形枠が表現されていた。裏面には全体を使用して「明治十四年生(姓いろは順) (人名19名分) 大正六年四月建之 ビワジマ石工荒木弥助 設計者五十□□(間衆か)」の文字が記されていた。欄間部は中央に「古知野神社」と記された扁額を持ち、その両側に双龍紋が彫刻されていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を13本立てて竪連子に造られている。屋根は入母屋状に切り出された反り屋根で、上部に載せた棟木石の両端は外側に突き出ている。 古知野神社は、正面から灯籠、狛犬、鳥居、太鼓橋、百度石、蕃塀、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿など)に至る構成を持つ。蕃塀と本殿施設群の間に広い空間があることから、本来はここに拝殿が存在した可能性と考えられる。 古知野神社の蕃塀は、大正6年(1917)に名古屋市西区東枇杷島の石工荒木弥助によって製作されたものである。これまでに確認された石工荒木弥助の手による石造蕃塀には13例がある。蕃塀には欄間部周辺に注連縄が取り付けられており、連子窓部には「透垣」と墨書された木札がついていた。古知野神社としては、この施設は「透垣」と呼ぶらしい。なお、私が参拝した時点では、蕃塀の背後に多量の木材が置かれており、何らかの行事の準備などをしていたのであろう。このため写真はあまりよい状態とはいえない。
by banbeimania
| 2009-02-16 00:39
| 蕃塀の事例
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