蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。
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名古屋市中村区大秋八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区大秋町2丁目に所在する八幡社は、創建年代などは不詳である。境内にある由緒書には、往古愛知郡大脇郷に鎮座していたが、天文元年(1532)に大秋十郎左衛門により祭祀され、元禄13年(1700)にこの地に遷座されたと伝えられるという。祭神は応神天皇である。

 大秋八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約2.8m、全高約2.6m、屋根長約4.0m、屋根巾約1.6mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上下には縦羽目板が嵌め込まれていた。控え柱は全て木製で造られているが、基部の腐食が激しいためか鉄製補強具で固定されていた。

 大秋八幡社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 大秋八幡社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、垂木の先端や内法長押と主柱が交差する部分などに金色に発色する錺金具が設けられている。3間巾の木造連子窓型蕃塀の中ではやや規模は小さめであるが、造りは他の中村区の蕃塀と比べても遜色は無いように感じられる。
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by banbeimania | 2008-08-29 00:45 | 蕃塀の事例

名古屋市中村区栄生八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区栄生町に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と思われる。

 栄生八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.1m、全高約2.9m、屋根長約4.2m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。蕃塀の本体が鉄製柵で覆われ防御されていた。控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。

 栄生八幡社は、正面から灯籠、一の鳥居(石造)、二の鳥居(木造)、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、狛犬、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 栄生八幡社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀は、中島八幡社の蕃塀や松原八幡社の蕃塀と構造が良く似ていると感じられる。
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by banbeimania | 2008-08-28 00:51 | 蕃塀の事例

名古屋市中村区松原八幡社の蕃塀

 名古屋市中村区松原町4丁目に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。『尾張誌』に中野高畑村に八幡社と水野社があると見え、この八幡社に相当すると思われる。明和八年(1771)銘石灯籠の存在から江戸時代中期まで遡るものと考えられる。祭神は応神天皇である。

 松原八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.2m、全高約3.0m、屋根長約4.5m、屋根巾約2.0mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。全体に白木造りであり、控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。左側背面の控え柱裏面には「昭和九甲戌年二月建之 (人名1名分)」の文字が刻まれていた。

 松原八幡社は、正面から鳥居、蕃塀、灯籠、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 松原八幡社の蕃塀は、昭和9年(1934)に製作されたが、作者は不明である。本蕃塀は、数少ない木造連子窓型蕃塀の中で製作年代を石製控え柱に刻むものである。蕃塀本体は端正な造りで残存状況は良好と見受けられたが、控え柱と控え貫は金属製補強具で固定されていた。
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by banbeimania | 2008-08-27 00:34 | 蕃塀の事例

名古屋市中村区中島八幡社の蕃塀

 本日からは名古屋市中村区に所在する蕃塀を紹介していきたい。名古屋市中村区則武本通2丁目に所在する中島八幡社は、那古野原北部に鎮座したものを、慶長15年(1610)に築城された名古屋城の敷地に罹ったために当地に遷座したものであるという。祭神は応神天皇と思われる。

 中島八幡社の蕃塀は、3間巾の木造銅板葺き連子窓型蕃塀である。大きさは概略で、本体長約3.2m、全高約2.9m、屋根長約4.4m、屋根巾約1.9mで、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を4本立てて下から順に地貫、腰長押、内法長押を通し、上端は棟木を渡す。内法長押の上位に簡略化された雲形肘木と雲形腕木を架し、表裏両面の出桁を支え垂木を渡して屋根板を載せている。垂木の先端には銅製錺が装飾されていた。屋根は切妻造りの反り屋根で、銅板が一文字葺きされていた。大棟は銅板で造られその両端には銅製鬼板が置かれている。蕃塀の中央には竪連子窓が設けられており、その上には横羽目板が、下には縦羽目板が嵌め込まれていた。全体に白木造りであり、控え柱は石製、控え貫は木製で造られている。左から二番目の主柱裏面には「昭和八年十月 寄附者 西菊井町 (人名2名分)」の文字が刻まれていた。

 中島八幡社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、狛犬、灯籠、木造妻入拝殿、狛犬、渡殿から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 中島八幡社の蕃塀は、昭和8年(1933)に製作されたが、作者は不明である。木造連子窓型蕃塀で製作年代が判明する事例は少ないが、そのほとんどは金属プレートに記されるものか、石製控え柱に刻まれたものである。本蕃塀は主柱に直接的に年代や寄附者が刻まれたものであり、極めて珍しい事例といえよう。
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by banbeimania | 2008-08-26 00:43 | 蕃塀の事例

海部郡美和町古道八幡社の蕃塀

 海部郡美和町大字古道字宮ノ腰に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と推測される。

 古道八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.5m、全高約2.1m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.5mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。基壇を持たず直接地面に複雑に加工された円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から地貫、羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、中央の区画の表面には角を丸く加工した方形枠が施されている。左側の羽目板裏面には「御大禮記念 大正十四年十一月」、中央の羽目板裏面には「大正五年十一月納之 當所醫師 (人名1名分) 寄附」、右側の羽目板裏面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」の文字が刻まれている。欄間部は中央に円柱による束柱を立て、その両側は角を丸く加工した方形透かしが施されている。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は腰貫の直上と内法貫の直下に連子窓枠に相当する石材が配置され、その内側に角柱を14本立てて竪連子に造られている。主柱(円柱)の腰貫と内法貫に接する部分では、貫に連続するかのように方形に形作られて、結果的には一見すると腰長押と内法長押であるかのように見える状態となっている。屋根は切妻状に切り出された直線屋根で、棟木石は両側に突き出ている。控え柱は全て石造であるが、柱の頭部は方形に切り出されたままで装飾は認められない。

 古道八幡社は、正面から灯籠、鳥居、蕃塀、灯籠、基壇上の壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 古道八幡社の蕃塀は、大正5年(1916)に名古屋市西区の石工角田六三郎によって製作されたものである。これで紹介してきた石工角田六三郎製作の蕃塀は42例目を数える。本蕃塀は、これまで最古の角田六三郎製蕃塀であった稲沢市船橋熊野神社(1920)よりも約4年古く、新たに最古の角田六三郎製蕃塀と位置付けられる。

 本蕃塀は、腰貫と内法貫を腰長押と内法長押に見えるように主柱を加工していることが最大の特徴と言える。この他に、1)屋根が切妻屋根であること、2)貫の内側に連子窓枠の材が存在すること、3)控え柱頭部に宝珠などの装飾が無いことなどの特徴があり、これらを総合的に考慮すると、本蕃塀は木造連子窓型蕃塀の形状を忠実に模倣しようとしてできた蕃塀と考えられる。大正年間前期における石造連子窓型蕃塀の形成過程を考える上で貴重な事例と評価できる。
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by banbeimania | 2008-08-24 10:06 | 蕃塀の事例

海部郡美和町蜂須賀八幡社の蕃塀

 海部郡美和町大字蜂須賀字山東に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と推測される。

 蜂須賀八幡社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.3m、屋根長約3.3m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれたコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は巾広の角柱による束柱を1本立て2区画に分け、表面は両区画に獅子紋が描かれているが、裏面は無紋である。羽目板部の束柱裏面には、「昭和五十九年八月建之+(人名1名分)」の文字が刻まれており、下部には「施工 石源 早川石材店 津島市西愛宕町1丁目 電話(0567)26-7334」と印刷された金属プレートが貼付されていた。欄間部は中央に「八幡社」と記された扁額を置き、その両側には頭部を両端に置いた双龍紋が描かれていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は円柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された緩い反り屋根で、棟木石は両端が外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠形に形作られていた。

 蜂須賀八幡社は、正面から灯籠、一の鳥居(石造)、二の鳥居(木造)、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。蕃塀と本殿施設群との間は狭く、そこに拝殿が存在した可能性は低いといえよう。

 蜂須賀八幡社の蕃塀は、昭和59年(1984)に津島市の石工早川石材店によって製作されたものである。石工早川秀明がこの明治創業の早川石材店につながるとすれば、稲沢市六角堂八幡社の蕃塀(1925)に次いで2例目の早川石材店の作品となる。
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by banbeimania | 2008-08-10 20:25 | 蕃塀の事例

名古屋市守山区下志段味八幡神社の蕃塀

 名古屋市守山区下志段味字石米に所在する八幡神社は、創建年代などの由緒は不詳である。境内にある由緒書きには、貞享元年(1684)に再建したという棟札があり、明治5年(1872)に当地に移転遷宮したと記されている。祭神は品陀和気命・息長帯比売尊・加具都智之神である。

 下志段味八幡神社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.6m、全高約2.1m、屋根長約3.2m、屋根巾約0.5mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。基壇などを持たず直接地面に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は円柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面のみ全ての区画に角を丸く加工した方形枠が施され、裏面には何も装飾は施されていない。右側円柱の表面には「奉」、右側円柱の裏面には「寄附人 (人名2名分)」の文字が刻まれていた。左側円柱には何も文字は刻まれていなかった。欄間部は両端の下部に腕木板状の材が配置されているが、他に何も無く大きな方形透かしの状態となっている。円柱の柱頭に腕木板はなく、連子窓部は角柱を11本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石は存在しない。

 下志段味八幡神社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿から基壇上の本殿施設群(本殿や祭文殿など)に至る構成を持つ。

 下志段味八幡神社の蕃塀は、製作年代や作者は不明である。本蕃塀の左側の円柱は、他の石材に比べ風化の度合いが低くなっていて、補修されたものと推察される。本来、左側円柱の表面に「納」、裏面に製作年代などが記されているべきところであるが、それが認められないのは材が新たに取り替えられたことによるといえよう。また、本蕃塀は欄間部の形状や屋根に棟木石を持たない点が珍しい。
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by banbeimania | 2008-08-04 00:23 | 蕃塀の事例

一宮市玉野八幡社の蕃塀

 一宮市玉野字北西に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不明である。社名からみて、祭神は応神天皇と推定される。

 玉野八幡社の蕃塀は、2間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.1m、全高約2.2m、屋根長約2.6m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。切り石で囲まれた玉石敷の地面に礎石と石製布基礎を置き、その上に円柱を2本立てて屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を1本立て2区画に分け、各区画の表面には隅を丸く加工した方形枠が施されている。裏面には人名50名分の氏名が刻まれていた。腰貫の裏面には「奉納」、左側円柱の裏面には「昭和五十七年五月吉日建之」、右側円柱の斜め裏面には「施工 春日井市 石玉石材」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に幅広の角柱による束柱を置き、その両側には隅丸長方形の透かしが設けられていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を8本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された照り屋根で、棟木石はわずかに外側に突き出ている。控え柱は全て石製で、頭部は宝珠形に造られていた。

 玉野八幡社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠群、狛犬、祭文殿から基壇上の本殿に至る構成を持つ。

 玉野八幡社の蕃塀は、昭和57年(1982)に春日井市の石玉石材によって製作されたものである。装飾はほとんどなくシンプルな形状を呈しているが、その一方で刻文は裏面に多数存在するものである。
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by banbeimania | 2008-07-10 21:34 | 蕃塀の事例

一宮市西萩原八幡神社の蕃塀

 一宮市西萩原字八幡西に所在する八幡神社は、創建年代などの由緒は不詳である。社名からみて、祭神は応神天皇と推定される。

 西萩原神明社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.1m、屋根長約3.4m、屋根巾約0.6mを測り、両側に控え柱を持つ。

 詳細の構造は次の通り。参道と一体化したコンクリート製基壇に礎石と布基礎を置き、円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部はやや幅広の角柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面は両端の区画に獅子紋が、中央の区画に牡丹紋が施されている。裏面は、左側の区画には「昭和十二年八月」、中央の区画には「寄進人 木曽川町玉ノ井(人名2名分) 岡崎市 石匠河内明治」の文字が刻まれていた。欄間部は扁額を持たず3枚の横羽目板が嵌め込まれ、両端には桐紋が施されていたが、中央の横羽目板に描かれた紋様は不明である。円柱の柱頭に腕木板が前後と外側にあり、連子窓部は角柱を12本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石はわずかに外側に突き出ている。控え柱は全て石製で頭部は宝珠形となっている。

 西萩原八幡神社は、正面から灯籠、鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、狛犬、壁の無い吹き抜けの妻入拝殿、灯籠、狛犬から基壇上の本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 西萩原八幡神社の蕃塀は、昭和12年(1937)に岡崎市の石工河内明治によって製作されたものである。岡崎市の石工河内明治については、これまで紹介してきた蕃塀の中では確認できない。本蕃塀は、欄間部に横羽目板を用い透かしにならない点が特徴的である。こうした事例には、一宮市三条三條神社の蕃塀や一宮市北方大日霎社の蕃塀など、比較的多く存在している。
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by banbeimania | 2008-07-07 22:03 | 蕃塀の事例

一宮市籠屋八幡社の蕃塀

 一宮市籠屋2丁目に所在する八幡社は、創建年代などの由緒は不明である。社名からみて、祭神は応神天皇と推定される。

 籠屋八幡社の蕃塀は、3間巾の石造連子窓型蕃塀で、大きさは概略で本体長約2.7m、全高約2.4m、屋根長約3.5m、屋根巾約0.6mを測り、両側には控え柱を持たない。

 詳細の構造は次の通り。特別な基壇を持たず、コンクリート敷きの参道に礎石と布基礎を置き、その上に円柱を2本立ててその上に屋根石を載せる。円柱の内側には下から羽目板部、腰貫、連子窓部、内法貫、欄間部の順に材を積み重ねている。羽目板部は角柱による束柱を2本立て3区画に分け、表面は両端の区画に獅子紋、中央の区画に丸に対い鳩紋が施されている。裏面は左側の区画には「昭和四年一月」、中央の区画には人名2名分、右側円柱裏面には「ナゴヤ西区八坂町 石工角田六三郎」の文字が刻まれていた。欄間部は中央に扁額等を置かずに頭部を両端に置く双龍紋が表現されていた。円柱の柱頭に腕木板が前後にあり、連子窓部は角柱を10本立てて竪連子に造られている。屋根は寄棟状に切り出された反り屋根で、棟木石はわずかに外側に突き出ている。

 籠屋八幡社は、正面から鳥居、灯籠、蕃塀、灯籠、壁の無い吹き抜けの拝殿、灯籠群、狛犬から本殿施設群(祭文殿や本殿)に至る構成を持つ。

 籠屋八幡社の蕃塀は、昭和4年(1929)に名古屋市西区の石工角田六三郎によって製作されたものである。これまで紹介してきた石工角田六三郎製作の蕃塀は33例存在するが、その中で一宮市内では桜3丁目神明社の蕃塀(1928)、馬見塚六所社の蕃塀(1931)、立野天神社の蕃塀(1932)、丹陽三ツ井休郷八幡社の蕃塀(1934)に次いで本例が5例目となる。欄間部の双龍紋は頭部を両端に置く扁額を持たないタイプで、角田六三郎の作品には多いものである。
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by banbeimania | 2008-06-29 08:53 | 蕃塀の事例